24.最後のぶどう
「勇人君は、途中で先輩に呼び出されて……。ねえ、真澄ちゃん。どうしてわたしが勇人君と一緒だったって知ってるの?」
ふぅーって疲れきったような大きなため息をつき、吉永君はしぶしぶ説明を始めた。
「トラックを何周かランニングした後、足にテーピングをしようと思って、ロビー前のベンチに戻ったら……。おまえらが、見えた」
「そ、そうだったんだ。あのね、わたしが部室に本を取りに行ったら、たまたま勇人君がいて、一緒に帰ろうってなって、それで……」
わたしがしゃべっている途中で吉永君がさっさと前を歩き出す。
「なんか言い訳みたいに聞こえるけど。別におまえが誰と一緒に帰ろうが俺の知ったことじゃない。ただ……」
「ただ?」
歩みを止めた吉永君が、わたしに背中を向けたまま何か言いかけた。そして夕焼けの残り空を見上げながら話を続ける。
「秋の日暮れは早い。中間テストが終わって、部活で遅くなる日は……。あいつと帰れ。あいつがダメなら必ず仲のいい誰かと一緒に帰れ。いいな」
「真澄ちゃん……」
「今日みたいなことは、もう二度とごめんだからな。どうせ一人で帰るところを、さっきいたあの女たちに呼び止められたんだろ? ゆう、そうなんだろ?」
「う、うん」
「いったい何を言われてあいつらにのこのこついて行ったのか……。俺は部外者だから詳しくは訊かないが。それって、おまえらしくないよな。……なあ、ゆう」
首だけこちらに向けて彼が言った。わたしは、はいでもうんでもなく、曖昧にうなずくことしか出来ない。
「俺……」
なんだか吉永君の様子がいつもと違う。わたしは慌てて彼の横に並び、顔を覗きこんだ。
「何? 真澄ちゃん。どうしたの?」
「あのな。あっ……。別にいいよ。何でもない」
「やだ。なんで言いかけてやめるの? 教えてよ。何? 何があったの?」
「そんなに知りたいのか? 変なやつだな、まったく。おまえには関係ないことなんだけどな……」
わたしはゴクンと唾を飲み込んで、その時を待った。
「実は、俺のじいちゃんが……」
「おじいさん? 真澄ちゃんのおじいさんって、長野の? ぶどうを作ってるおじいさんのこと?」
信号待ちをしている間、彼の返事を待ったけど、何も答えは返ってこなかった。
「おじいさんが、どうかしたの?」
もう一度訊いてみる。信号が青に変わり、吉永君の歩調に合せて横断歩道を渡っていく間も、彼は無言のままだった。渡り終えて、バスターミナルの一角に足を踏み入れた時、ようやく吉永君が重い口を開いたのだ。
「じいちゃん、夏から体調を崩してて、親が向こうにしょっちゅう通ってるんだ」
「そ、そうなんだ。わたし、知らなかった……。母さんも何も言ってなかったし」
「だから……ぶどうも。今年のが最後になるかもしれない。父さんはぶどう園を継ぐ気はないみたいだしな。多分、だけど……」
吉永君の表情が硬い。もちろん、おじいさんのことが心配なんだろうけど。でも、それではなくて、何か違うことが言いたいんじゃないかと、なんとなくそう思った。
「何だよ。なんでおまえまでそんな暗い顔になるんだよ」
吉永君の本心が知りたくて、ついつい気難しい顔になってたのかな? 無理やり笑顔を作ろうとしたけど、うまくいかない。こんな時こそ吉永君を励ましてあげないといけないのに、なぜかわたしまで悲しい顔になっている。
だって、毎年もらってたあの立派なぶどうが、今年で最後になるかもしれないんだよ。会ったこともないおじいさんだけど、なんとなく胸の辺りがぎゅっと締め付けられるような切ない気持ちになった。
「おじいさん、大丈夫かなって。そう思ったら、なんだか悲しくなっちゃって。毎年おいしいぶどうを分けてもらってたでしょ? わたし、あのぶどう、日本中の果物の中で一番好きだったんだもん。今年のは特に甘くて大粒だったし」
「あ、ああ」
吉永君の顔が徐々に和らいでいく。頬に赤みが差し、少し照れたように笑っている。
「真澄ちゃんのおじさんもおばさんも、大変だね」
「まあな。今は母さんが向こうに行ってるよ。だから、塾のことは心配いらない」
「へ?」
なんでここで塾の話?
「おまえ、ホントに鈍いなあ。父さんは仕事が忙しくて帰ってくるのは夜中だし……。つまり塾をサボっても、誰にも叱られないってことだよ」
なーんだ。そういうことか。やっと意味を理解したわたしは、やっぱり吉永君の言うとおり、かなり鈍い思考回路の持ち主であると、改めて自覚し直す。
でも言いたかったのは、本当にそのことだけなの? 鈍いはずのわたしの脳裏に、解けずに残ったクロスワードパズルの空欄が、ぼんやりと映し出されていた。
まだ誰も乗っていないバスがロータリーを回って、乗り場に到着した。わたしはカバンを肩に掛けなおして、列の最後部に並ぶ。すると吉永君がすっと列から離れた。
「真澄ちゃん、どうしたの? 乗らないの?」
「ああ。塾の授業があとひとコマあるから、それだけ受けて帰る。いいか、ゆう。バスを降りたらマンションのエントランスまでダッシュするんだぞ。いいな?」
わたしは吉永君の目を見てコクリと頷く。すると彼が白い歯を覗かせて、少しだけ微笑んでくれた。
とうとうわたしの乗る番だ。吉永君と一緒に帰れると思って、密かにわくわくしていたのに……。しょんぼりしながらも、吉永君から目が離せなくてもたもたしていると、続けてご乗車下さいって、運転手さんにマイクで注意された。
バスに乗り込み、吉永君が立っているところに一番近い席に座る。窓に顔を寄せて、彼に向かって手を振った。
その瞬間、吉永君がふわっとした笑顔を浮かべ、恥ずかしそうに横を向く。わたしと目を合わさないまま徐に右手を挙げて、その手を振り返してくれた。
エンジンがかかり、静かにバスが発車した。
わたしは、吉永君の姿が見えなくなるまで、ずっと窓に顔をくっ付けたまま、手を振り続けた。