15.ごめんね、呼び出したりして
「何?」
階段横の壁にもたれるようにして吉永君が立っていた。わたしを見つけるなり、不思議そうに尋ねる。
袖のところが黒く切り替えてあるスポーツメーカーの白いTシャツにハーフパンツ姿の吉永君は、いつもより少しだけ、子どもっぽく見えた。
お風呂に入ったばかりなのかな? 髪も学校で見るのと違って、パサパサと無造作にいろんな方向を向いている。
「あっ。ご、ごめんね。急にこんなところに呼び出したりして……。あの……。そうだ、今朝は、ありがと」
「ん?」
きょとんとした顔でじっとこっちを見る。そうだよね。そんなこと言うためだけに呼び出したわけじゃない。吉永君もきっと困ってるよ。
「あっ、いや、今朝はいろいろお世話になっちゃって……。もうこれから、気を遣わなくていいよ。わたしも子どもじゃないんだし、一人でも大丈夫だから……」
やだ。どうしよう。ちゃんと麻美のこと言わないといけないのに。関係ないことばかりしゃべってしまう。吉永君もきっと変に思ってるよ。早く言わなきゃ。
「何か話があるんじゃないのか? 用がないなら、俺、もう帰るけど。明日から部活の朝練始まるから、とっとと勉強して寝ようと思ってる」
「ま、待って……」
もたれていた身体を壁から離して、階段を上がろうとする吉永君を引き止めた。
「あの、あのね……。マミのことなんだけど」
「まみ?」
上りかけた階段の途中で止まって、吉永君が振り返った。
「うん」
「誰? それ……」
えっ? 誰って……。もしかして知らない? でも陸上部のマネージャーだよ? あそこでもみんなからマミって呼ばれてるはず。同じ部活の吉永君が知らないはずない。
「四組の……。そうそう、勇人君と同じクラスの大園さん……なんだけど」
「ああ、大園か。あいつがどうかしたのか?」
「うん。そ、その……。真澄ちゃんのことが……す、好きだって。だから、真澄ちゃんも、マミのこと、どう思ってるのかなって、そう思って……」
吉永君がそれを聞いた瞬間、はっと息を呑んだのがわかった。そして開きかけた口をそのまま閉じてしまった。
こんなこと突然言われたら誰だってびっくりするよね。でも、どっちなんだろ。嫌だったのかな? それとも……。
「ねえ、真澄ちゃん。気を悪くしないでね。わたし、でしゃばりすぎたかも……」
「…………」
こんなことして、麻美の印象が悪くなったらどうしよう。わたしのせいだ。
「こんな話、迷惑だったのかな? ホントにごめんね。忘れて……。今言ったこと、全部。ね? 真澄ちゃん……」
「…………」
吉永君はじっとわたしを睨むように見つめた後、天を仰ぎ、大きくため息をつく。そして同じ段のところまで追いついたわたしを真っ直ぐに見て、おもむろに話し始めた。
「話って、そのこと? それで、俺はどうしたらいいんだ? 大園と付き合えばいいのか?」
「真澄ちゃん……。無理にとは言わないよ。ただわたしは、マミの願いを叶えてあげたくて」
「友情の証か?」
「そんなんじゃないよ……。もし真澄ちゃんもマミのこと、少しでも興味持っててくれたらいいなって、そう思って……」
「…………」
吉永君が、ずっとわたしを見ている。何かを探るような、強い眼光が……怖い。
わたしと吉永君の間に長い沈黙が横たわる。居たたまれない。これ以上彼を見ていられなくて、視線を逸らした。
「あ、あの……。乗り気じゃないなら別にいいんだ。マミだって、片想いでもいいって、そう言ってたし」
うつむきながら、やっとのこと、それだけ言えた。
「おまえはどうなんだ?」
「へ? どうって……」
急に吉永君の声がわたしの頭上に降りかかる。なんでわたしなの? そんなこと聞いてどうなるの?
「大園のために、いい返事を持って帰らなきゃならないんだろ?」
「えっ? べ、別に、そんなことない……と思う。ダメならちゃんとそう伝える……。でも」
「でも?」
「マミはいい子だし、それに、真澄ちゃんのことが、大好きで、それに、スタイル抜群でかわいいし……。それに、勉強だって、できる。わたしなんか比べ物にならないくらい、すべて揃ってて、それに、それに……」
ああ、ダメ。なんだか泣いてしまいそう。我慢しなきゃ。わたしのせいで、麻美が吉永君に嫌われることにでもなったら一大事だ。ここはなんとしても踏ん張らなきゃ。
「それに、真澄ちゃんのこと……。誰よりも大切にすると思う」
言えた。声が震えてしまったけど、わたしの言いたいことは伝わったよね? 吉永君、それでも、ダメかな……。
「わかった。付き合うよ」
え。
付き合うんだ……。
「後で、大園のアドレス、俺の携帯に転送しといて。ゆう? 聞いてるのか?」
「あっ、う、うん……」
「じゃあ。おやすみ、ゆう」
吉永君が階段の上まで上りかけた時、わたしの心臓が凍りついた。吉永君のアドレス……さっき……消した。
「真澄ちゃん、ごめん! 転送……できないっ!」
わたしは吉永君の背中に向かって大きな声で叫んだ。
「なんで?」
「真澄ちゃんのアドレス、わたし、その……。消しちゃって」
「はあ? 消した? なんで?」
「それは……」
吉永君。あなたのことを忘れるためだよ、なんて、言えるわけなくて。
「わかったよ。もうおまえには頼まない。勇人にでも聞くよ。おまえとせっかく仲直りできて元の鞘に収まったと思ってたの、俺だけだったってわけだな。そんなに大園のことが大事なら、おまえの言うとおりにしてやる。俺は、俺は……」
「真澄ちゃん……。ごめんなさい。わたし、そんなつもりじゃなくて」
「言い訳はもういい。おまえにとって俺は、所詮それくらいの取るに足らない存在なんだよ。もう、俺の前をうろつくな。俺も二度とおまえには話しかけない。いいな!」
吉永君が、階段を駆け上がっていく。そして瞬く間にわたしの視界から、彼の後ろ姿が消えていった。