12.何も言わなくていい
「ねえ絵里。マミ、本当に来るかな……」
「どうだろ。五分五分ってところかもね。だって今日一日、廊下で会っても目も合わさないんだよ。体育の時だって、あの調子だもの」
わたしと絵里は、授業が終わるとすぐに学校を飛び出して、いつものバーガーショップに来ていた。麻美との約束の時間は五時半。あと三十分ある。せっかく麻美が昨日のことを許してくれたと思ったのも束の間、わたしが吉永君と一緒に登校して来たのを目撃された瞬間、振り出しに戻ってしまった。
今日の体育の授業は、バスケ。麻美のチームと対戦した時、必要以上に麻美に体当たりされたような気がするのだ。絵里もそれに気付いていた。
「にしても優花。あんた、タイミング悪すぎ。なんでまた、昨日の今日で、あんなに堂々と吉永と一緒に登校してくんの? 」
「だから……。さっきも言ったでしょ? 吉永君が、勝手にわたしのカバンを持っちゃったからって」
「ん……。その設定がわかんないのよね……。いくらなんでもそれじゃあ、あいつ。泥棒と一緒じゃん。カバンのひったくりってことだよ。違う? 」
あっ……。そ、そうだよね。わたしの言い方だと、そうとられても仕方ないよね。でも違うんだ。ひったくりとか犯罪めいたものでは断じてない。どう言えばわかってもらえるのだろう。
「ご、ごめん。言い方が悪かったみたい。その……。わたしがマンションの階段から落っこちそうになって……。それで吉永君が、まだわたしの体調が悪いんだと思って、カバンを持ってくれたの。わたしが持つって言っても、強引で、無視されて」
「なるほど、強引なんだ……って、優花? 」
「は、はいっ! 」
これでも説明不足なのかな。怖いよ。絵里のその不気味な笑い顔。
「ってことは、優花が階段から落っこちそうになった時、吉永がまるでスーパーマンのようにどこかから飛んできて、カバンを持ちましょうって言ったんだよね? ねえねえ、それっておかしくない? どう考えたって不自然だよ。あたしは騙されないわよ。少なくとも、優花が落っこちる前に吉永と一緒にいたってことでしょ? 」
「あ……。まあ、そんな感じ、かも」
「ねえ優花。もしかしてあんたさあ。マミに気兼ねして、とっても大切なこと、内緒にしてない? 」
「大切なこと? な、ないよ。そんなもの」
わたしは大慌てで否定する。多分絵里は、わたしが吉永君が好きだってことに気付き始めたんだ。今それがバレたら、絵里はわたしと麻美の間に入って、辛い思いをすることになる。そんなの、ダメに決まってる。絵里にこれ以上迷惑はかけられない。
「マミが来る前に、すべて洗いざらい、ぶちまけてもらいますからね。おっと、黙秘権行使ですか? 」
絵里はわたしが口をつぐんだのを見逃さない。絵里、お願い。これ以上、何も聞かないで。
「では仕方ありませんね。じゃあ、あたしの口から本当のこと言おうかな」
「ダメだってば。ねえ、絵里。何も言わないで。ね? お願い」
言葉にしてしまうと、もう後戻りできない。ここは断固阻止しなければ。
「やっぱり、怪しい……。優花、付き合ってるでしょ? 」
「えっ? 」
今、なんて? どうか、どうか聞き間違いで会って欲しい。
「んーーん。もうっ! 何度も言わせないでよ。あんたさあ、実は吉永と付き合ってんでしょ? って言ったの。違うとは言わせない! 」
わたしが、吉永君と? ありえない。なんですぐに話がそうなるのだろう。朝の勇人君といい、絵里といい。ただ一緒に、いや、たまたま同じバスで登校しただけで付き合ってるとか、あきれて物も言えない。
「絵里。話が飛躍しすぎだよ。それ、絶対に違うから。だって今日の朝、吉永君が言ったんだ。わたしのことはただの同級生だって。だから付き合うとか、ありえないって……。ショックだったけどね」
「ふーん……って。ちょっと、待った! それって、いったいどういうこと? 優花が告ったの? 吉永に? 」
「違うってば。告ったりなんかしないって。だって吉永君はわたしのことなんて、何とも思ってないもの。想いが叶うことなんて、この先、一生ないよ……」
あれ? わたし、絵里に何言ってるんだろ。
「優花? あんた……」
「え、絵里……。わたし、違うんだ。あの……。だから……」
絵里は何も言わずに、ただわたしをじっと見ている。そしてわたしの手を握ってくれた。
「優花。もう、何も言わなくていいよ。そうだよね。普段の優花を見てればすぐにわかることなのに……。あたしったら、優花の言うことをそのまま鵜呑みにして。吉永恐怖症だなんて、あり得ないこと信じていた。なんてバカなんだろ。優花、もう今日はいいからさ。早く帰った方がいいよ」
「絵里……。わたしは、別に、吉永君のこと……」
「もういいって。優花の気持ちはわかったから。後のことはあたしにまかせて。マミにはうまいこと言っておくからさ」
とうとう絵里にバレてしまった。ああ、どうしてあんなこと、言ってしまったのかな。自分の心に嘘をつくことがこんなにも難しいなんて。絵里はちっともバカなんかじゃない。わたしが最後まで隠し通せなかったのがすべての間違いのもとだ。
「たとえ二人が同じ人を好きになったとしても、あたしにとっては、優花もマミもこれまでと変わらず大事な親友なんだし。きっといい方法が見つかるって。……ってことは、もしかしたら……」
もしかしたら、何? まだ何かあるの?
「吉永も優花のこと……」
「吉永君が、あたしのこと? 」
「そう。えへへへ……。まあいいか。そのうちわかるよね。真実はひとつ、目は口ほどにものを言う、ってことで……」
「絵里? 」
絵里が何か言いたげな顔をして、途中でやめる。気になるよ。でも、その後に続く言葉が何かってことくらい、わたしにもなんとなくわかる。吉永君もわたしのことが好きって言いたいんだよね。絵里、ありがと。それが本当なら、どれだけ嬉しいか。でもね、残念ながら違うんだ。吉永君が、わたしのことなんて何とも思ってないのは、今日の朝の様子でよくわかった。本当に好きな女の子の前で、あんなに平静を装えるはずないもの。勇人君にもはっきりと否定してたしね。
「さあ優花、早く帰って。夕食のお手伝いがあるんでしょ? また今夜電話するから」
「絵里、ありがと。それと今まで、ごめんね。嘘つくつもりはなかったんだけど、吉永君のこと、なかなか言い出せなくて……」
「いいって。じゃあね、バイバイ! 気をつけてね! 」
絵里が元気良く手を振る。わたしも胸のあたりで小さく振り返した。そしてジュースの紙コップを出口近くの棚の下のダストボックスに捨てて、トレーを重ねた時だった。
「ゆうか……。帰る気? 」
わたしの目の前には無表情な麻美が、見たことも無いような冷たい目をして立ちはだかっていた。