11.わたしのカバン
バスはいつの間にか学生で満員になっていた。そして同じ学年の顔見知りの何人かがこっちを見ている。先にバスに乗り込んだ吉永君が窓際で、わたしは通路側。もちろん二人掛けのシートに並んで座っている夢のようなシチュエーションだ。
初め、隣に座るのを少しためらったのだけど、わたしのカバンを持っている彼と離れるわけにもいかず、座ってもいい? と了解を取るように吉永君の顔を見て、なるべく身体がくっつかないように、端っこにそっと腰を下ろした。
だからと言って、何を話すでもなく、お互い黙り込んだまま前を見て座っていた。それまでは誰の視線もわたし達に注がれてなかった。たまたま偶然、吉永君と並んで座ったくらいにしか見えなかったのだろう。学校まであともう少しというところで吉永君の膝の上にあるカバンに手を伸ばし、定期入れを取り出そうとした時だった。カバンの外側のファスナーを半分くらいまで開けると、急に吉永君の手が伸びてきて中に手を入れてわたしの定期入れを探り当てる。そしてわたしにそれを手渡してくれたのだ。
「あ、ありがと」
わたしはそれだけ言うのが精一杯で、受け取った定期入れをしっかり握り締めて再び黙り込む。すると、すぐ横に立っていた男子生徒が腰をかがめ、聞き覚えのある声でわたしたちにささやいた。
「おまえら、いつから……」
いつからって……。えっ? それって、アレだよね。いつから付き合ってるんだって意味だよね。どうしよう。勇人君が誤解してるよ。
「勇人。おまえの予想がはずれて悪いが、こいつ、病み上がり。フラフラして階段でずっこけそうになって。危なっかしくて放っておけないだろ? 」
間にわたしが座っていることなどおかまいなしに、吉永君と勇人君が顔を寄せてこそこそ話している。
「ふーん。そういうわけか。いやな、俺はてっきり……」
「んなわけないだろ。おまえも知ってる通り、こいつはただの……」
そこまではっきり否定しなくても。あの、わたし。ここにいるんですけど。途中で運転手さんのアナウンスが入って、吉永君の言葉が聞き取れなかったけど、多分、ただの同級生って言ったのだろう。真実だけど、そこまできっぱり言い切られるとちょっと寂しい気がする。
この吉永君に勝るとも劣らないイケメン君、絵里が言うところのイケメン度ベストスリーの一人でもある成崎勇人君も同じマンションに住む同級生だ。確か、麻美と同じクラスだったはず。いつの間に横に立っていたのだろう。全く気づかなかった。
わたしの住んでいる地域は、高校受験がわりと穏やかなところ。成績がクラスで中程度以上だと、好きな公立高校を選択できる。総合選抜制度ってシステムだ。わたしについてはもうすでにバレバレだけど、公立受験組ギリギリラインのかなり控えめな成績で、奇跡的に吉永君と同じ高校に滑り込めた特異な経歴を持つ。希望校に受験生が集中した場合、自動的に家から近い高校に振り分けられるので、中学でトップの成績だった勇人君もわたしと同じ高校……なんて不思議な現象が起こる。同じマンションの同級生の七割くらいが一緒の高校に通っているのが現実だ。隣の市みたいに、単独選抜のシステムだったら、わたしは絶対に吉永君と勇人君の行く高校に通えなかったはずだと胸を張って言える。でも残念なことに妹の愛花の学年から、単独選抜に変わるんだよね。なのでわたしは、最後のラッキーガールってわけ。
バスがアイドリングストップして、車内が一瞬静かになった。高校前に着いたのだ。乗っている客のほとんどが我先にと降りていく。わたしが先に立たないと吉永君がシートから出られない。その前にカバンを受け取るのが先だともたついていると、吉永君が早く行けという。でも、カバンが……。
「教室まで持って行ってやるから、さっさと行けよ。ほら、早く! 」
そう言って、カバンで背中を押される。ついに吉永君の本性が姿を現したのだ。でもまあ、つい数日前まで、一言もしゃべらなかったんだもの。それに比べたら、これくらい平気。照れ隠しにわざとそんな態度をとってるのかもしれないしね。わたしは口元を緩ませながら運転席横の出口に向かって進み、リズムよくステップを降りた。
「あ、優花だ。優花! おはよー」
反対車線にある向かいのバス停から手を振りながら絵里と麻美が横断歩道を駆けてくる。
「あっ、絵里、マミ! おはよ。昨日は……ごめんね」
わたしは今自分のおかれているとんでもなく非日常的な状況など、どこかに忘れ去ってしまい、すっかり絵里と麻美に気を取られてしまっている。
「ううん。ちっとも。ほら、マミ。あんたも謝らなきゃ。何も言わずに勝手に優花の家を飛び出したりしたんだもの。優花もマミのこと、すっごく心配してたんだよ」
絵里に諭された麻美がゆっくり顔を上げて、多少ぎこちない様子を残しながらも微笑みながらごめんねと言った。よかった。麻美が笑ってる。絵里から話を聞いたのだろう。少しは誤解が解けたみたいだ。
「お見舞いに来てくれて、とっても嬉しかった。今日はわたしのおごりで、放課後いつものバーガーショップに行こうよ! マミの部活が終わるの、待ってるからね」
わたしはまかしといてとばかりに、パンと胸を叩く。もちろん、満面の笑みを振りまくことも忘れずに。なのに……。麻美? 絵里? 急に黙り込んでどうしたのだろう。何か……あった?
「おい、石水……。行くぞ」
わたしの後ろから聞こえるその声は……。大変だ。吉永君だ。完全に彼の存在を忘れていた。声の方向に振り返った時、彼が肩に担ぐようにして持っている重なったカバンから、ゴーヤのマスコットがゆらゆらと大きく左右に揺れた。