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そばにいて  作者: 大平麻由理
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10.よかったな

 朝から一度も目を合わせずにプイと横を向いたまま家を出た愛花を、こっそりリビングの陰から見送ったわたしは、忘れ物がないか何度もカバンの中を確かめて、いつものように母さんに行って来ますと声をかけた。今日は学校に行くって決めた。麻美の誤解を解くためにも休んでなんかいられない。

 昨日愛花は、やっぱり母さんの仕事場に駆け込んでいた。負けず嫌いな愛花は、理由を一言も語らず、ただ悔しそうに泣き続けていたらしい。でも、すぐに姉妹げんかだと察した母さんは、夜寝る前にこっそりわたしの部屋に入ってきて、けんかの理由を問いただした。だからといって、いくら母さんでも、吉永君のことが原因で愛花ともめただなんて言えるわけもなく。どうでもいいことで言い合いになって、つい引っ張り合いになってしまったと話したら、明日から一週間、夕食の支度を手伝うようにって罰を言い渡された。ここで反抗して、今日あったことを全部話すことになったらもっと大変だ。わたしは反省の態度を誇張してしおらしくふるまい、ごめんなさいと言ってなんとか許してもらったのだ。

 ちょっと不本意だったけど、しかたないよね。かなり強く引っ張ったのは本当だし、愛花も悪気があったわけじゃないんだし。わたしは、昨日のことをいろいろ思い出しながら、とぼとぼとマンションの階段を下りて行った。そして三階の踊り場に着いた時、左手の廊下を見るのを……やめた。

 今日は麻美に昨日のことを謝る予定だ。夕べ絵里から電話があって、麻美に事情を説明する段取りもすでに決めている。愛花の勇み足でショックを受けた麻美にせめてもの償いだと思って、吉永君の家を見ないようにしたのだ。なのに……。それは、わたしが三階から二階に下りかけた時に起こってしまった。

「ゆう」

 遠くで誰かがそう呼んだような気がした。まさかそんなはずはないと思ってそのまま下りようとしたら、またもや聞こえるのだ。「ゆう」って。階段のまん中で立ち止まりゆっくりと後ろを振り返った。そこにいたのは。まぎれもなくあの人だった。そう、吉永君。

「ピッタリだな。俺の予測どおりのタイミングでゆうが下りてきた」

 意味不明なことを言いながらも、やたら機嫌のいい吉永君が姿を現す。いったいどうしたのだろう。わたしが不思議そうに彼を見ていると、彼もまた同じようにわたしを覗き見る。

「何でそんなに驚いてるんだよ。別に待ち伏せしてたわけじゃないから。わかるんだよ。ゆうが下りて来るタイミングが」

 い、いや。別に待ち伏せしてたとか、そんな風に思ったわけじゃ……。だから。そうじゃなくて、そんな真っ直ぐな目をしてわたしを見ないでよ。ドキドキしてきたじゃない。せっかく今日から吉永君のこと、これ以上好きにならないように努力しようって決めたのに、これでは元の木阿弥。

 ……だめだ。絶対、昨日より好きになってる。

「よかったな」

「……」


 よかったな……って、いったい何がよかったんだろう。突然の一言がわたしの脳内をぐるぐる駆け巡る。吉永君の言うことは謎めいていて、いちいちわたしを混乱に陥れるのだ。母さんにあまりきつく叱られずに済んだことを言ってるのだろうか。でもそのことはまだ彼には何も知らせていない。

「おい、大丈夫か? 俺の言ったこと、何か勘違いしてる? だからさ、あいちゃんが見つかってよかったなって言ってるんだけど」

「あっ。そうか。そうだよね。なーんだ、そのことか」

 昨日愛花が見つかったと吉永君にメールで知らせたら、「そうか」ってたった一言だけ返事が返ってきた。吉永君との初めてのメールはその一言だけ。それ以外の文章は画面のどこにも隠れていなかった。そりゃあそうだ。付き合ってるわけでもなんでもないんだもの。用件さえ伝え合えば、それ以上の言葉は必要ない。本当ならこのたった一言のメールも宝物にしておきたいんだけど、今夜で消去するつもりだ。もちろん、アドレスも一緒に。

「ゆうってやっぱ、昔と全然変わってないな」

「えへへ。みんなにもよく言われる」

 母さんにも父さんにも。愛花にまで言われてる。進歩がないって。ついに吉永君にまで言われてしまった。これって、さすがにヤバイよね。

「なあ、ゆう……」

「な、何? 真澄ちゃん」

 ゆうって呼ばれるたびに心が震えて、なんか、涙が出そうになる。

「俺、空白を埋めたいんだけど……」

「くうはく? 」

「うん……」

 また……。そんな難しいこと。わかんないよ。何なの、空白って。何もない空間? ノートの空白? いや、そういう話ではないことは理解できる。けれど抽象的すぎて即座に応えられない自分がもどかしい。吉永君が横に並んで一緒に階段を下りてるってだけでも、緊張のあまり心臓が口から飛び出しそうなのに、わけのわからないことを言われて、挙句、頭の中が真っ白になって……。あろうことか、階段から足を踏み外し、身体が大きく揺らいだ。

「おい。しっかりしろよ」

「ごめん。……ありがと」

 突然差し伸べられた手にしがみつくと、その反動で吉永君に抱きかかえられるような格好になる。慌てて体勢を立て直し、瞬時に彼から離れた。心臓が早鐘を打ち、息をするのも苦しくなる。何やってるんだろ、わたし。

「相当ふらついているぞ。本当に具合が悪かったのか? 無理するなよ。昨日はずる休みだなんて言ってごめん。そうだ。カバン、こっちによこせ。持ってやる」

 昨日麻美からもらった沖縄土産のゴーヤのマスコットをぶら下げたカバンを、ひょいと持ち上げて、瞬く間にわたしの手から奪っていく。瞬間、何が起こったのか、全くわからなかった。何も持っていない自分の手を見てようやく状況を理解したわたしは、片手に二つのカバンを重ねて持った吉永君に先導されて、そのまま一緒にバスに乗り込んだ。




 

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