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そばにいて  作者: 大平麻由理
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9.今日だけは

「なあ。俺のこと、よしながくんって呼ぶのがマイブームなのか? じゃあ俺も、いしみずさんって呼んだ方がいい? 」

「そ、それは……。別に、どっちでも」

 わたしの右頬の数センチ先まで近付いた吉永君の顔なんて、到底見れるはずも無く。前を向いたままわざとぶっきらぼうに答える。心臓に悪いよ。全く……。

 石水さんか……。そう呼ばれたいような呼ばれたくないような。でも学校でゆうちゃんって呼ばれるのはもっと恥ずかしい。昨日のように怒りに満ちた、いしみず、という呼び方も勘弁して欲しい。

「じゃあこうしよう。学校では石水って呼ぶ。帰ってきたら今までどおりってことでどう? だからそっちも家ではそのよしながくんっての、やめろや。どこかに別人のよしながとやらがいるみたいで落ち着かない」

「わ、わかった。そうする」

 ようやく吉永君の顔が離れていった。ああ、びっくりした。彼に気付かれないようにそっと深呼吸をする。それにしても。なんて不思議な光景なんだろう。今日は朝から学校を休んで、絵里と麻美がお見舞いに来てくれて。愛花の暴走に振り回されたあげく、今こうやって、わたしの家の廊下で吉永君と話している。どう考えても夢の中の出来事のようで、これが現実に起こっていることだなんて信じられない。

 さっき愛花が言ってたけど、吉永君がわたしの体調を心配してたずねてくれたことも、もちろん、本当だなんて思ってない。だって、つい昨日まで目すら合わさないほど吉永君は冷たくて、わたしのことなんかちっとも見てなかったんだよ。ほんのちょっぴりも。だから真意は謎のままだ。

 吉永君ったら、いつのまにかこんなに大きくなって、わたしの背もとっくに追い越している。わたしの知ってる吉永君じゃないみたいだ。でも今日が終われば、またいつものようにお互いの気持ちが交わることなんて一切なくて、それぞれの高校生活を過ごしていくのだと思うと、今のこのひと時がとても大切に思えてくる。 

「なあ、俺、ずっと聞きたかったんだけど……」

「何? よし……いや、真澄ちゃん」

 たった今決めたばかりなのに、また吉永君って言ってしまいそうになる。だって、彼に直接呼びかけることはなくても、心の中で、毎日吉永君って言い続けてきたんだよ。慣れるまで、少し時間がかかりそうだ。で、何を聞きたかったのかな。ちょっと気になる。

「俺のことずっと避けてただろ? エレベーターも乗らないし。俺、かなり嫌われてるって思ってた。いや、まだそう思ってる。昔、いろいろちょっかいかけたりもしたし、やっぱ根に持ってるのかなってな。その辺は、どうなんだ? 」

「どうって……」

 なんでそうなるの? わたしが吉永君を避けてたって? そんなのありえない。それを言うなら、全く逆だよ。

「今もこうやって俺といるのが、実はうざいとか思ってない? 」

「何言ってるの? それは違う。わたしは真澄ちゃんのこと、そんな風に思ってないよ。真澄ちゃんこそ、わたしを避けてたじゃない。わたしさ、絶対真澄ちゃんに嫌われてるって、ずっとそう思ってた。エレベーターに乗らないのは、その……。運動のためだよ。わたし運動部じゃないしさ、身体がなまっちゃうでしょ? 」

 まさか吉永君の住んでる三階を自分の足で踏みしめたいからだなんて、本人の前で言えるわけないしね。

「それ、ホントなのか? 」

 吉永君。何もそこまで目を見開かなくても。ってことは、わたしたち、お互いに勘違いしてたってことなのかな。

「なーんだ。そうだったのか。俺はてっきり……。まあいいや。じゃあ、仲直りってことで」

 吉永君が手を出してきた。もしかして握手だろうか。吉永君って、こんなキャラだったっけ。もっとこう、やんちゃな感じで、口下手で……。三年半という月日が、こんなにも人を成長させるのだろうか。

 わたしはためらいがちに手を出し、そっと彼の手を握った。二秒くらい握り合って、手を離す。なんか心がほっこりしてきた。そうか。思い過ごしだったんだ。わたしのこと無視してたわけじゃなかったんだ。頬の緊張が取れて、顔がにんまりしてしまう。照れ隠しにえへへへと笑って、向かい合ってる吉永君を見上げた。あれっ。どうしたの? 今、仲直り……したよね。なのにまたいつもみたいに怖い顔になってる。

「俺、そろそろ帰る。そうだ。ゆうの携帯」

 携帯? いったいどうするつもりなのかな。わたしはジャージのポケットから白い携帯を取り出す。

 そして……。固まった。 今、ゆうって言ったよね。あれれ? ゆうちゃんじゃなくて、ゆうなんだ……。吉永君が初めてわたしのこと、ゆうって呼び捨てにした。ちょっと。いや、かなり嬉しいかも。

「どうした? 俺、変なこと言った? 」

 しまった! あんまりびっくりしたものだから、吉永君の顔、じっと見つめちゃったよ。

「い、い、いや、別に。なんでも……ないよ。携帯、だよね? 」

 なんか、わざわざ名前のことを聞き返すのも恥ずかしくて、そのまま知らないフリをして携帯を差し出した。

「……もう俺達、ちゃん付けで呼ぶような年でもないだろ? なんならゆうも俺のこと呼び捨てでいいけど? 」

 えっ……。わたしの心の中、見透かされてる。やだ。恥ずかしすぎるよ。吉永君って、確信犯だよね。このわたしが吉永君のこと、ますみ、なんて呼べるわけがないのも知ってる目だ。

「あ、いや、その……。わたしは真澄ちゃんでいいよ。えっと、もしかして、赤外線? 」

 なんなの? この甘ったるい空気は。わたし一人が舞い上がってる。完全に。一分でも一秒でも早くこの話題から遠ざかりたくて、携帯に意識を集中する。

「ああ。ゆうのメルアド知らないしな。あいちゃんを見つけたら連絡する。ゆうもあいちゃんと連絡取れたら、俺に知らせて」

「うん。わかった」

 そうだった。わたしたち、お互いの携帯アドレスを知らないんだ。というか、クラスの女子は多分全員吉永君のアドレスを知らないはずだ。男子にも滅多に教えないって、これは結構有名な話だったりする。二つの携帯をつき合わせて操作をした後、ちゃんと表示されるか確認して、じゃあと言って家を出て行った。彼の後ろ姿がゆっくりと遠ざかって行く。

 わたしはまだ雲の上を歩いているようなふわふわした感覚を引きずっていた。昨日のピンクのバンダナどころの騒ぎではない。ついさっき、吉永君の手を握ったのだ。たとえそれが握手という挨拶の一種であったとしても、大きくて温かい吉永君の手が、わたしの手を握り返してくれたのは夢でも幻でもない。

 麻美、ごめんね。あれは仲直りの握手だからね。わたしは麻美の恋を応援するって決めたんだから、今日を限りに吉永君のことは忘れるよう努力する。当然だ。この恋をあきらめるのは無理かもしれないけど、麻美を悲しませるような態度だけは絶対に取らないって誓う。だから……。今日だけは、吉永君のことを想う気持ちを許して欲しい。彼のアドレスも愛花のことが落ち着いたら、消去するつもりだ。

 わたしは心の中で麻美に謝ると、愛花の居所(いどころ)を確かめるため、仕事中の母さんに電話をかけた。

  

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