ステゴロの流川
秋葉シュウが、品川組に入ってから暫くたって、組の生活が慣れたかというとそうでも無かった。毎日、組を抜けたいと思いながら過ごしていた。
この日も、若頭の流川に半殺しにされた。
ボロボロになった体を引きずりながら、シュウは、救急箱を探したが見当たらず、仕方なく組事務所の裏側にある洗い場へ向かった。
そこには、救急箱をもって、傷の手当てをしていた兄貴分の目黒が居た。
「秋葉、随分と派手にやられたな。」
目黒は顔を3発殴られた程度の怪我だった。
「ちょうど、俺の時に割れちまって。」
「それは災難だな。」
広島出身の流川は、大のカープファンで、カープが負けた翌日は、若い衆に当たり散らす事で有名だった。
腹を立てて、若い衆めがけて、ガラス製の灰皿をぶん投げる事で鬱憤を晴らしていた。
手で防いだり、避けたりすると半殺しにされる。
だから、若い衆は誰も避けない。
この日のシュウも、甘んじてガラス製の灰皿の衝撃に耐えた。
ガラス製の灰皿は分厚く、耐久性もかなりある。が、何度も床に落ちればヒビが入り、いつの日か割れてしまう。
運、悪くガラス製の灰皿が割れた場合。
「組の備品を壊してんじゃねえっ!」
と怒鳴られ半殺しにされる。
若い衆たちにとっては、理不尽の毎日だった。
品川組には毎日のように下部組織の若い連中が常駐する。当番制ではあるが、彼らにとってカープが負けた翌日に行くのは、酷く憂鬱だった。
しかし、当番の日にしか行かない彼らと違い、目黒とシュウは、品川組直系であり、流川とは、ほぼ毎日顔を合わせなくてはならず、地獄の日々だった。
時代が悪いというべきか、この時代のカープは暗黒時代と呼ばれる程に弱かった。
「まあ、もうしばらくの辛抱だ。」
傷を洗い流しているシュウに、目黒がそう言った。
「もしかして、若頭が組を?」
通常、品川組の程の上部組織であれば、若頭ともなれば自分の組を持っている。
が、流川は、東京会きっての理不尽大王で、ついていける若い衆は皆無だった。
「あんなのについていく人間が居ると思うか?」
「居ないと思う。」
「俺が殺る。」
「兄貴、本気で言ってるのか?」
「ああ。」
「弾くのか?」
「下っ端の俺がどうやってチャカ仕入れるんだよ。それに弾いちまったら、俺も後々、殺されんだろ。」
「どうすんだよ?相手はステゴロの流川って呼ばれる程の奴なのに。」
「お前と違って、俺はヤクザのエリートなんだよ。あのおっさんみたいに伝説にはなってねえが、腕っぷしはそれなりにあるんだよ。」
「だからって、勝てるのか?」
「納会の帰りを襲う。」
「酔ってる時にか?」
「ああ、さすがに素手だと万が一があるからな、金属バットを持ってな。」
「バレたらどうする気だ?」
「バレる前に、大人しく自首するさ。」
「ムショ行ったって、ヒットマンが送り込まれるんじゃあ?」
「ねえよ。親殺しでもあるまいし。あのおっさんの理不尽さは、東京会中で知れ渡ってるんだ。破門されて終わりだよ。」
「ヤクザを辞めるのか?」
「ああ、ムショで更生して堅気にならあよ。」
「ムショ出て、まともに生きていけるのか?」
「今の地獄よりは、マシだろ?泥水啜ったって生きていけんだろ。」
「兄貴。」
「なんだ?まさか止めたりしねえよな。アイツが居なくなればお前だった、今よりマシだろ?」
「俺も連れてってくれ。」
「本気か?」
「ああ。」
「じゃあ二人でムショ行って、堅気になるか。」
「ああ。」
「じゃあ、金属バットはお前が用意しろ。日程は俺が調整する。」
「わかった。」
こうして、目黒とシュウは自分の組の若頭を殺るという前代未聞の計画を打ち立てた。
担当していた仕事の納会が終わり、流川はほろ酔い気分でいつもの河川敷沿いを歩いていた。
「いい加減出てきたらどうだ?」
自分をつけてきている者がいることは、とっくに気が付いており、人目につかない場所になってから流川は、声を掛けた。
何処かの組に雇われた連中だろう、流川はそう思っていた。
「目黒に秋葉か?」
金属バットを持った二人組が、自分の弟分だったことに流川は驚いた。
「お前ら馬鹿か?襲撃するなら、顔くらい隠せよ。」
素顔をさらしたままの二人を、兄貴分として注意した。
「死んでいく人間に顔を見られても困る事はねえだろ。」
目黒が言った。
「おいおい、本気で言ってんのか?」
「あんたには、ここで死んでもらう。」
目黒とシュウの覚悟は決まっていた。
「てめえら、ステゴロの流川様をなめてんのか?」
凄みを利かして弟分を脅す。
「いつまでも過去の伝説にしがみついたジジイが威張ってんじゃねえよ。」
「死にたいらしいな。お前はどうなんだ秋葉。今なら半殺しで許してやるぞ。」
「そっちこそ、命乞いするなら今の内だぞ。」
「しょんべんくせえガキ共が、本当に死にたいらしいな。」
流川は激怒した。
「死ぬのは手前だ、じじい。」
目黒が。
「死にさらせ。」
秋葉が。
二人が、金属バットを持って流川に襲い掛かった。
3分後、地面に倒れこみ、まともに動けなくなった者が二人。
「口先だけか。」
無傷で立っている流川が言った。
「ば、化けもんか・・・。」
目黒が倒れたまま言った。
二人は金属バットを持って襲い掛かったまでは、よかったが、あっさりと金属バットを奪われ、流川は奪った金属バットをあっさりと放り投げた。
その後は、素手で一方的に二人を、滅多打ちにした。
「さて、兄貴分を襲ったんだ。お前ら覚悟は出来てんだろな。」
「殺るなら、俺を殺れ。計画を立てたのは俺だ。」
「恰好つけんなよ、兄貴。こんな狂ったバケモンが居る組に居るくらいなら死んだ方がマシだ。」
「何で俺が弟分を殺さないといけないんだ?馬鹿かお前ら。」
「だったら、何だ?破門か?指でも詰めろってか?」
目黒が半ギレで言う。
「よし、焼肉行くぞ。」
「「は?」」
流川は歩き出し、足を止めて言った。
「おい、兄貴分を待たすなんて事は無いよな?殺すぞ。」
本気の殺気を二人に向けた。
二人は動かない体に鞭を打って立ち上がり、流川の後について行った。
流川行きつけの高級焼肉店。
下っ端の二人では、とても入れないような店。
奥の部屋に案内された。
顔がボコボコに腫れあがった二人を見ても店員は何も言わなかった。
「とりあえず一番いいのを3キロ持ってきてくれ。」
流川はそう注文した。
「それにしても、お前ら頭おかしいのか?兄貴分を襲うなんて。」
頭おかしいのはお前の方だろと二人は言いたかったが、何とか言葉を飲み込んだ。
「まあ、組から逃げ出すよりは、よっぽどマシだがよ。」
そう言った流川は上機嫌だった。
やっぱり、こいつは頭がおかしいと二人は思った。
「ここの肉は、最高に旨いからな。遠慮せず食え。」
そう言われて、断ることは出来ず、二人は死に物狂いで食った。タレも漬けずに。
口の中は傷だらけで、タレなんてつけようものなら、それは地獄の苦しみが待っていた。
「いい肉だからタレ漬けなくても旨いがよ。」
タレを漬けずに食っている二人を見て、流川は不憫に思ったのか。
「おい、アレを持ってきてくれ。」
そう言って何やら店員に注文した。
「お待たせしました。」
そう言って、店員が持ってきたものは岩塩だった。
「「・・・。」」
絶句する目黒とシュウ。
「最高の肉ってのはよ。岩塩で食うのが一番旨いのよ。」
そう言って、焼いてる肉に遠慮なく岩塩を振る流川。
「よし、いい感じに焼けたぞ。遠慮せず食え。」
二人は食った。
口の中は傷だらけで、岩塩をたっぷり振った肉を。
激痛が二人を襲う。
肉を吐き出すことは許されない。
二人は、涙を流しながら肉を頬張った。
「何だ何だ、お前ら。泣くほど旨いのか?」
二人は何も言わずただ、肉を頬張った。
一刻も早く、3キロの肉が無くなることを祈って。
「おい、もう3キロ追加で。」
非常な注文がなされ、二人は絶望の淵に落とされた。
「ここの肉は高級だからな。下部組織の若い衆には黙っとけよ。」
そう言われて、二人は、再び絶句した。
てっきり、兄貴分を襲った罰として、こんな目に合わされている。岩塩をたっぷり振った肉を食いながらそう思っていた。
しかし、どうやら、流川の方は違ったらしい、可愛い弟分に焼肉を奢っている。そういう感覚だった。
やっぱり、頭がおかしい。
二人は改めてそう思った。
「そうだ、岩塩も頼むか。」
「あ、兄貴。」
注文しようとした流川を目黒が止めた。
「「た、タレで頂きます。」」
目黒とシュウの言葉が重なった。
「そうか?まあ、ここはタレも絶品だからな。お前らがそういうなら、それでいいけどな。」
タレも傷だらけの口内には、十二分に凶器と言えたが、岩塩に比べたら十倍以上もマシだった。
殆ど二人で6キロの肉を平らげ、流川と別れた二人は、河川敷で吐いた。食った肉を殆どというくらい盛大に嘔吐した。
翌日、二人には何の処分も課せられることもなく、日常が続いた。
相も変わらず、カープが負けた翌日には、ガラス製の灰皿が飛んできた。
ある日、カープが大敗した翌日、流川の機嫌はいつも以上に悪く、この日は、朝から大掃除を若い衆に命じた。
シュウは大掃除に必死になるあまり、いつ飛んでくるか分らないガラス製の灰皿の事を失念していた。
事務所内を駆けずり回るシュウを鬱陶しく思った流川は。
「ウロウロしてんじゃねえっ!」
といつもの如く、ガラス製の灰皿をぶん投げた。
それは本能的というか、とっさの事だった。シュウはうっかりとガラス製の灰皿を掴んで捕ってしまった。
事務所内に戦慄が走る。
手伝いに来ていた下部組織の若い衆が顔面蒼白に。大掃除をしていた目黒も、顔面蒼白となった。
一番、血の気が引いていたのは、灰皿を掴んだシュウだった。
しかし。
「ナイスキャッチ。」
流川はそう言って笑った。
「「「「そうか、捕ればよかったのか!!!」」」」
事務所内に居た若い衆、全員が同じ思いだった。
その日の夜から、若い衆たちのガラス製灰皿キャッチの練習が始まった。
金はみんなで持ち寄り、ガラス製の灰皿を複数購入した。直ぐに割れて壊れないように、練習場所は近所の草むらで行った。
はたから見れば、おかしな集団だが、彼らは必至だった。
それに、ヤクザの若い衆が集まって何かやっているのを咎める者も居ない。むしろ見て見ぬ振りをするのが常識だった。
ヤクザの若い衆と言ったって、動体視力は一般人と変わらない。そうそう、不規則に動くガラス製の灰皿が捕れるものじゃない。
ある日、下部組織の若い衆が灰皿を掴み損ね、ヤバいと思ったのだろう、灰皿を抱くように何とか下に落とさないようにした。
若い衆たちの視線が流川に集まる。
【どうなるんだ、これ?】
と。
「この下手くそがっ!」
そう言って、拳骨を一発食らって、終わった。
【あれでもいいのかっ!】
若い衆たちにとって、拳骨なんて蚊に刺されたようなものだった。
こうして、少しずつ、品川組で生きていく術を身に着けていった。
品川組の組長は、若頭の流川を呼び出し、二人で会食をしていた。
「お前、やりすぎなんじゃ無いのか?」
「何がだよ?」
「若いもんの教育だよ。」
「頭撫でるくらい優しくしてるつもりだが?」
「お前の撫でるってのは、ライオンすら死にそうで怖いんだよ。」
「どっかから苦情でも来てるのか?」
「下部組織全部からだ。」
「過保護にも程があんだろ。」
「お前、そのうち若いもんに刺されるぞ。」
「俺が簡単に刺されるとでも?」
「いくらお前でもいきなり襲撃されたら、刺される事もあるかもしれんだろ。」
「そういやあ、こないだも若いもんから襲撃を受けたけどな。」
「何っ!何処の下部組織のもんだ?」
「下部組織じゃねえよ。」
「他所の組か?」
「自分とこの若い衆だよ。」
「はあ?もしかして目黒か?」
「まあな。」
「上のもん襲撃するなんて大問題だろ。」
「大したことはねえよ。俺は無傷だったしな。」
「無傷だったとかそういう問題じゃねえだろ。」
「それに目黒一人じゃなかったしな。」
「はあ?他に誰が居るっていうんだ?まさか政が?」
「なんで、政が今更、俺を襲うんだよ。」
「そりゃあ、そうだがよ。」
「居んだろ、もう一人若いのが、秋葉ってのがよ。」
「は?秋葉が?あいつが襲撃なんてする訳ねえだろ?目黒にそそのかされたか?」
「何言ってんだか、あいつも俺を殺す気満々だったぞ。」
「あの秋葉がねえ・・・。ていうか、そういう問題じゃあない。上のもんを狙うって事が大問題だろ。」
「オトシマエはきっちりつけたから、問題にしなくても大丈夫だ。」
「オトシマエつったって、いつもの半殺しだろ?」
「それだけじゃねえよ。」
「何をやりやがった?」
「俺の行きつけの高級焼肉店あんだろ。」
「ああ。」
「あそこに連れて行ってやったよ。」
「何処がオトシマエなんだよ。」
「半殺しにした後、直ぐにな。それで岩塩たっぷりの焼肉を食わせてやったよ。」
流川から、そう報告を受け、組長は口元を抑えた。
「二人で6キロ食わせてやったからなあ、あいつら帰りにどっかで全部吐いてんだろうよ。」
そう言って、流川は笑った。
「おめえ、やっぱ頭おかしいわ。」
「何言ってんだ親父。その頭おかしいのを若頭に据えたのはあんただろう。」
「もっとこう違った可愛がり方もあんだろうに。」
「まあ、心配すんな。あの二人はいいヤクザになる。」
「まあ、うちの若いもんの教育はお前に任せてるから、これ以上は俺からは言わねえが、下部組織の若いもんは。」
「そっちも問題ねえよ。最近は、若いもんで集まって何やら楽しんでるようだし。」
「そうなのか?」
「共通の嫌われ者が居た方が結束も固まるもんよ。」
「お前が嫌われもんになる必要はねえだろうに。まったく不器用な奴だなあ。おめえも。」
そう組長に、言われて流川は、ただ笑った。