シフォン【閉鎖的アナザーワールド】:ふゆの温もり
「……あれ、難波先生。次の授業、空きの時間じゃなかったんですか?」
「はい。今日は緒久間先生が一日有給休暇で学校にいないので、その補欠に行かないと」
「あぁ。そういえば何日か前に有給とっていましたよね。いってらっしゃいです」
星花女子学園の職員室で他の教員の世間話を聞きながら蛍光灯の入れ替え作業をしていると、愛用している青いツナギのポケットに入れていた携帯電話が細かく振動した。
通話をオンにすると、スピーカーから聞こえてきた妹の慌てた声が私の鼓膜を揺らした。
『……もしもし、お姉ちゃん!?』
「どうした楓、仕事中に」
『…………買い物に来たら、歩優とはぐれちゃった』
「なに!?」
◆
……道に、迷った。
「楓さん、どこにいるの……?」
ここは、空の宮市内にあるショッピングモール。そのフードコート。平日のこの日、わたしは楓さんと二人で買い物をしていた最中に人とぶつかり、その拍子にはぐれてしまった。
「おう、どうした?」
フードコートの席に座っている知らない女の人に、声をかけられた。
知らない人に声をかけられても、絶対についていってはいけない。そう、両親に言われてきた。
わたしは、無視することにした。
「……いやいや、怪しい奴じゃないから」
「そういう人が、一番怪しい。……あ」
「ふーん。少しは頭が回るみたいだが、やっぱりお子ちゃまか」
「…………」
「……煽りに即座に反応しないとは。同年代よりはだいぶ冷静な判断ができるんだな」
「…………」
「まあいいや、ちょっとお姉さんとここでお茶しないか?」
「怪しい人に誘われても、行っちゃだめって言われてるから」
「はあ…………冷たいねぇ。そんじゃあさ、君がアタシのことを本当に悪い人だと感じたら、腰にカラカラぶら下げていつでも準備オッケーなその防犯ブザーを鳴らしてもいい。ここはショッピングモールのフードコート。すぐに大人達が駆けつけてくるだろうさ」
なんだか、どう断っても引き下がってくれなさそうだった。だから、わたしは大人しく女の人の向かいの白い椅子に座ることにした。
「……少しだけなら」
「さんきゅ。付き合ってくれるお礼に、そこの店で好きなもの買ってきていいぜ。アレルギーとかあるか?」
「……特に、ない。それに、なにもいらない」
「そっか。……君、倉田歩優だろ?」
「……うん」
どうしてこの女の人は、わたしの名前を知っているのだろうか。
「両親は優しいか?」
「……二人とも、すごく優しい」
「そうか、それはよかった。………………冬生まれだから『ふゆ』。両親の頭文字をとって『ふゆ』。安直なネーミングだねぇ。おまけに『ゆ』の字は、親が自分の名前に欲しかった漢字ときたもんだ。親の願望がマシマシだな。親の顔が見てみた……いや、知ってるからやっぱいいわ」
「……お姉さんは、わたしのお母さん達のことを知っているの?」
「ああ、よく知っているさ。痛いくらいにはな。……ところでさ、考えたことないか?」
「……なにを?」
「『どうして自分は、女の子同士の間に生まれたんだろう。そのうえ姉妹の間に生まれたんだろう』……って」
「考えたこと、ない」
「へぇ。そいつぁどうして?」
「……わたしの周りには、最初からお母さん達がいた。邑さんと、楓さんの二人が。……あと、おばあちゃんも。だから、それが当たり前だった。……よくある生まれ方じゃないことは、お母さん達から聞いた。……でも、わたしはそんな二人から生まれた。わたしは、ここにいる。……わたしは、それを不思議だとか、変だとか、そうは思わない」
「うーん、泣かせる話だねぇ」
「……お姉さんは、『よくある生まれ方』じゃあないの?」
「んー。そうだとも言えるし、そうじゃないとも言える」
「…………?」
「……面白いこと教えてやろう。お姉さんはな……死人から生まれたんだ」
「死んでる人から……?」
「ああその通り。…………昔、とある女が死ぬことを決めた。臆病で泣き虫で、どーしようもない女だった。そしてその女には、一緒に過ごしていた女がいた。単細胞で筋肉バカで、これまたどーしようもない女だった」
「……その女の人達は、わたしの両親みたいな関係だったの……?」
「とんでもない。その二人は、お互い恋愛感情なんざ持ち合わせちゃいなかったのさ。そんな二人は、死神の手を借りて心中……一緒に死ぬことに成功した。けどなー、単細胞……頭が悪ーい方の女には、ちょっとだけやり残したことがあった。それは……『好きな人が幸せになるまで見守る』こと」
「……頭の悪い方の女の人は、その相手の人に告白したことはあったの……?」
「いいや、ない」
「……どうして」
「その相手がな、女の異母姉妹……腹違いの姉妹だったからさ。女は好きなその相手に余計な負担をかけないために、そして傷つけないために、その恋心を胸の奥にしまいこんだ。……まあバカだから結構ポロポロ漏れてんだけどな。…………そんなわけで、一緒にくたばったその二人は、その未練をアタシと、アタシの……うーん……友達に任せた」
「……どうして、お姉さん達が」
「まー、古くから知っていた仲なんだよ」
「……ねえ」
「ん?」
「今のお話と『死人から生まれた』ことの繋がりが分からないのだけど」
「いろんなところを誤魔化しながら喋ったからなー、君にはまだ早いかもしれない」
「…………」
わたしが首を傾げていると、女の人は左手に巻いている腕時計の文字盤を触りだした。
「…………おっと、そろそろ時間かな」
「……時間?」
「そう、時間。……今日な、お姉さんはこれからさっき話の中に出てきた友達と二人で、死神に会いに行く予定なんだよ。その待ち合わせの時間が近づいてきたのさ」
「……お姉さんのお友達は、ここに来るの?」
「来るっつーか、もう来てる。君もよく知っているはずさ」
「……どういうこと、なの」
「君と君の母親がぶつかって君達二人がはぐれる原因になった人間。その人間こそ、アタシの友達。……そう、君が母親とはぐれてこうしてアタシと会話しているこの状況は、仕組まれたものだったのさ。諸事情で、君の苗字『倉田』をむやみに出さないために店内アナウンスがかからないことを見越してな」
「…………」
「……怖いか?」
「……わたしを一人にして、どうするつもりなの」
「君とちょっとだけ話がしたかったのさ。君の親、いっつも警戒していて迂闊に君に近づけないんだもの。こんな面倒くさいことをする羽目になっちまって……あー疲れた。まー時間も無いことだし、本題をと…………今、幸せか?」
「……………………」
「どうなんだ?」
「……幸せ」
「……そうか。……じゃあ、このあと世界が滅びかけるようなことになっても、君は君のままでいる自信があるか?」
「……質問の意味が、よくわからない」
「……そっか。なら聞き方を変えよう。君の親が泣いていたら、君はどうする?」
「泣いていたら…………?」
「ああ。もちろん、無視することもできる。君があの両親の娘に生まれたからといって、あの両親のために君の行動が左右される必要はどこにもない。子どもは、親を選べないのだから。……さあ、どうする? 倉田歩優」
「…………」
「難しいか?」
「……冬には…………」
「ん?」
「………………冬には雪が降る。雪は、冷たい。……でも、そんな冷たい雪で作ったかまくらの中は、温かい。……たとえ、外の世界がどれだけ冷たく邑さんと楓さんに吹きつけても、その冷たさは……温もりに変えられる。わたしの名前は『ふゆ』だから。……だからわたしは、そういうふうに変えていきたい」
「……驚いたな。そんなポエマーな答えが返ってくるとは」
「……」
「……でも、嫌いじゃないぜ? その答え。…………これで、安心して『いける』わ」
「…………?」
「歩優ーっ!」
「歩優っ!」
声がした方へ振り向くと、両親がこちらへ走ってきているのが見えた。
「良かった、歩優。無事で……」
「もう、もう二度と放さないから…………っ! ごめんなさい、ごめんなさい……」
わたしは両親に抱き締められ、二人の涙を浴びた。
…………そして、そんな二人を……いや、邑さんを商品棚の陰から見つめている人もまた、涙を流していた。
強く抱き締められていて苦しいなか、後ろを振り返ってみると、さっきの女の人は足元に置かれていた白い棒を持って、ゆっくりと立ち上がっていた。
「お幸せに」
そう、聞こえた気がした。
立ち上がったあの女の人は、白い棒を足元に軽く叩きながら「黄色い板の上を」歩いていった。