シフォン【閉鎖的アナザーワールド】:ハミング・ティーチャー
『イマドキの若者の流行を紹介するこのコーナー! 今回はカラオケでの「バーチャルカラオケ」略して「バーカラ」!』
とある土曜日の朝、四人で朝ご飯を食べていると、娘の歩優がテレビのワイドショーに目を奪われていた。
わたしが炊いたビチャビチャで美味しくないご飯をごくりと飲み込むと、歩優は隣に座っているわたしとテーブルの向かいに座っているお姉ちゃんに向かって言った。
「……ねえ。……カラオケって、なに? ……行ってみたい」
◆
「いらっしゃいませ! 三名様ですか?」
「……ああ」
「会員証はお持ちですか?」
「いや、ない」
「それでは新規でお作りしますので、こちらの用紙に必要事項をご記入ください!」
歩優の要望に答えるため、わたし達三人は初めてカラオケにやって来た。お母さんは……やっぱり行かなかった。お姉ちゃんが、受付でいろいろしてくれている。
「……はい。次回からご来店の際は、こちらの会員証を提示してください」
「……ああ」
「本日、お時間はどうされますか?」
「……一時間で」
「一時間で。……ご希望の機種はございますか?」
「……機種? カラオケマシンのか。よく知らない。一般的なやつで」
「……それでは、『CLEAR SOUND FREEDOM』はいかがでしょうか?」
「……それでいい」
「かしこまりました。……それでは、四階の四十八号室になります」
◆
「……カラオケは難しい」
個室に着いてから、お姉ちゃんが呟いた。
「……ごめんなさい、邑さん」
「……いや、いい。気にするな」
道中、わたしとお姉ちゃんで知っている限りのカラオケに関する知識を歩優に教えた。どうやら、「歌うためのお店」というのはわかってもらえたらしい。とはいえ、二人ともカラオケに行ったことがない。家族の前で歌うこと自体、おそらく初めてだと思う。お手本を見せるために、最初にお姉ちゃんが歌ってくれた。器用なお姉ちゃんは、特に苦戦する様子もなくタッチパネルの機械を操作していた。
歌う曲は、『You can get over』。
「時の止まった In the room. 絶えず壊れる Dear my people. 誰が救える Somebody saves me?」
ああ、やっぱりお姉ちゃんはすごい。お姉ちゃんの歌声は、強く、凛々しく、でもどこか儚い雰囲気で、わたし達母娘を釘付けにしていた。学生時代に音楽の授業でくらいしか歌った経験はないはずなのに。これが、センスというものなのだろうか。
「…………ふう。……次、頼む」
「……うん」
……正直、わたしも最後に歌ったのは通信制高校で一度音楽のテストをした時だった。自信なんてない。
「淋しくなって 他人を騙して わたしだけが幸せになろうなんて」
わたしが選んだのは、テレビ番組でアイドルが歌っていた曲『ふぉーりん'』。
「ふぉーりん' ふぉーりん' ふぉーりん'・しっく」
わたしは、不器用だ。
音程は外れ、タイミングはずれて、声は裏返る。
自分でもわかった。わたしに歌唱力は皆無なのだと。
それでも、お姉ちゃんと歩優は文句ひとつ言わずに聞いてくれた。
「…………歩優、歌える?」
「……やってみる」
次は、歩優が歌う番。曲は、『Walker Tender Winter』。
「白い世界 育まれた 小さな小さな希望のカケラ」
わたしのような音痴が言うのも変だが、歩優の歌はなんだか惜しい感じがした。わたしと違って音程も外れていないし、声も響いている。けれどところどころで発声が不安定になって、フレーズの終わりでこけてしまっているような。
初めて家族でそれぞれの歌唱力を披露し合ったカラオケは、なかなか貴重な体験になったと思う。
◆
「すみこせんせー、さよーならー!」
道沿いの音楽教室から何人かの子ども達が出てきて、それを避けながら三人で手を繋いで歩くわたし達。
「歩優、カラオケはどうだった……?」
わたしの右にいる歩優は少しうつむいてから、答えた。
「……よく、わからない。……でも、またみんなで行きたい」
「……そう」
「…………楓、歩優。昼も近いし、なにか買って帰るか」
「……ん」
「うん」
たまには、こういうあまりやったことのないことも良いかもしれない、と思った。
わたしは、この小さな温もりを離さないように、もう少しだけ右手を強く握った。いつかやって来るかもしれない悲しみに、負けないように。
歌っている時の台詞ってどう表現したらいいのでしょう。