シフォン【閉鎖的アナザーワールド】:おふくろの味
わたしの両親は、いつも何かから隠れるように暮らしている。
「……そろそろ行くぞ。楓、歩優」
「……待ってお姉ちゃん。今、歩優の目やに取ってるから。ほら歩優、もう少し我慢して」
「……手伝ってやる。見せてみろ」
「……お願い」
わたしの名前は、倉田歩優、六歳。倉田邑と、倉田楓の娘。
今日は、わたしと、邑さんと、楓さんの三人で、ピクニックに行くことになった。
「……麻子さんは、なんて言ってた」
「……やっぱり、外に出たくないって」
「……わかった」
わたしのお婆さん……麻子さんは、外に出たがらない。嫌な思い出があるらしいけれど、難しいことはわからない。
麻子さんほどではないけれど、わたしも両親も積極的に外出を控えている。邑さんはお仕事とスポーツジムと楓さんの買い出しの付き添い、楓さんは買い出しと帰りが遅くなった邑さんを迎えに行く時くらいしか、自発的に外に出ることはない。わたしも、幼稚園や保育園に通っていない。「外は誰が見ているかわからない」と、両親はよく言う。
でも、あまりに引きこもるのも精神的によくないから、こうしてたまに親子三人でお出かけすることもある。
◆
わたし達は、家からそんなに離れていない、噴水のきれいな公園にやって来た。今は夏真っ盛り。噴水近くの人工池では、たくさんの子連れの家族が水遊びを楽しんでいる。
「歩優、一緒に遊ぼう」
「うん」
「……わたしは、シートを敷いて待ってるから」
「ああ。私が教えた通りに敷いてくれ」
「わかってる」
わたしは邑さんと水遊びを楽しみ、その間に楓さんはピクニックシートを敷いてお昼ご飯の準備をしていた。
数十分後、足を拭いたわたし達が楓さんのところに行くと、そこにはお弁当箱やジュースのペットボトルが並べられていた。
「……紙コップはこぼすから。……わたしが」
「大丈夫だ。いつものことだから。……さて」
「「「いただきます」」」
わたしは最初に、おにぎりを食べた。いくらか小骨が入っていたけれど、鮭のおにぎりのようだ。丸とも三角とも四角とも言えないよくわからないイビツな…………そう、隕石のような形だった。あと、塩味が濃かった。
「……この玉子焼き、殻が入っているぞ、楓」
「……がんばる」
「楓さん。このポテトサラダ、辛い」
「……タバスコ、入れすぎた」
「……それはもとから入れなくていい」
「……次からは気をつける」
「……このたくあん、美味しい」
「それは、お姉ちゃんが作ったから…………」
「……ごめんなさい」
「歩優が謝る必要はない。わたしのご飯が美味しくないだけだから」
「……」
「……確かに、楓の料理は美味しくない。もっと言うと、不味い」
「……」
「……でも、少しずつ進歩してる。殻は以前ほど大きくないし、味も許容範囲に落ち着いてきた。不味いが、食べられなくはない」
「……」
「それに…………楓が、私達を喜ばせようと作ってくれているのは、十分伝わってくる。作ってくれてありがとう、楓」
「お姉ちゃん…………!」
そう呟くと、楓さんは邑さんにふわりと抱きついた。
「……ゆ、邑さん。わたしも…………」
「ああ、いいぞ。……おいで、歩優」
「うん……」
◆
「……楓、歩優。そろそろ帰るぞ」
食後。交代して今度は楓さんと水遊びをしていると、イヤホンでラジオを聴きながらビデオカメラを回していた邑さんが、そうわたし達に言ってきた。
「お姉ちゃん、もうそんな時間……?」
「いや、そうじゃないが……とにかく帰るぞ。ここは危ない」
「……わかった」
急いで楓さんに足を拭いてもらってピクニックシートをかたづけていると、楓さんが転んで邑さんがズボンのポケットに入れていた携帯ラジオのイヤホンに手を引っかけてしまった。
『……なお、犯人グループは現在も逃走しており、近隣住民の方は…………』
一時的にラジオの音が聴こえたけれど、すぐに邑さんはイヤホンを繋ぎ直して、音を止めた。
その……直後だった。
「オラお前ら、車の鍵をよこせ!」
汚い大声に振り向くと、そこには目元と口しか出ていない黒いマスクを被った二人組がこちらに向かって叫んでいた。周りの空気は、一瞬で凍りついた。
「歯向かったらただじゃおかねぇぞ……。とっとと鍵をよこせ!」
「よこせよこせ!」
「キャー!」
誰かが、悲鳴を上げた。
「騒ぐんじゃねぇ! 撃ち殺すぞ!」
「撃ち殺すぞ!」
二人組の片方が、空に向かって銃を撃った。叫んでいた女の人は、また黙った。
「……おい、そこのロリ」
「そこのロリ!」
わたしが、指名された。
「……」
「お前だ、お前だよ。こっちに来い。人質にする。どうせなら、かわいい奴の方がいいからな」
「からな!」
「……」
「聞こえなかったのか!」
「なかったのか!」
なにも言わないわたしにイライラしたのか、二人組の片方がわたしの方へ歩み寄ってきた。
それを手で制したのは、邑さんだった。
「……楓。歩優を頼む」
「……わかった」
楓さんはそう返事をすると、わたしを優しく包み込んだ。
「邪魔をするな。……どけ!」
「け!」
「……あいにくだが、まだうちの娘はハイジなんだ。お前達の呼びかけに答えられるわけがないだろう」
「なんだと……。撃ち殺すぞ!」
「すぞ!」
そう言って二人組の片方は邑さんに拳銃を向け、引き金を……。
引いた直後に、オレンジ色の水しぶきが舞った。
よく見ると、さっきまで邑さんが左手に持っていたはずのオレンジジュースのペットボトルが無くなっていた。
「……な、なにが……。いったい、なにが起こって…………」
「楓」
「おごすっ!」
邑さんのが放った一言ののち、二人組のもう片方が変な声を上げて倒れた。
倒れた方から、銀色のなにかが飛んできて……。
「ぶぺっ!」
銃を撃った方も倒れた。
「それと……うちの娘はかわいいだろう。なにせ私の妹が産んだんだからな。かわいくないわけがない」
しばらく静寂が辺りを包んだあと、静寂は一斉に拍手喝采に変わった。その喧騒の中心に立つ邑さんの手には、一本のバターナイフが握られていた。
「……帰るぞ、二人とも」
「うん。そうしようお姉ちゃん」
「……なにを……したの?」
「……お姉ちゃんの合図で、騒がしい方の人の頭にバターナイフを投げて」
「跳ね返って私のところへ戻ってきたそれを……銃を持っていた奴の額めがけて、自分の方へ戻ってくるように投げただけだ。それより悪いな、楓。ジュース、目眩ましに使って」
「……いいの。また買えばいいから」
「……ねえ」
「……どうした、歩優」
「……二人とも……かっこよかった」
「……そうか、ありがとう。………………『娘を守れない母親でいられるかってんだよ』。……昔の麻子さんは、私にそう言ってくれた。私も……歩優を守れる母親でありたい。そう思ってる」
「…………」
「……帰ろう、お姉ちゃん、歩優」
「ああ」
「うん」
銃を向けられても、わたしを守ってくれた両親。
あまり笑わなくて、なんでもできる器用なお母さん。
いつも怪我してばかりだけど、精一杯尽くしてくれる不器用なお母さん。
そんな二人が力を合わせたら、最強に見える。
わたしは……そんな二人のお母さん達の「味」をこれからも大切にしていきたいと思う。