古いSF映画(三十と一夜の短篇第19回)
朝五時半にアラームが鳴る――のだが、アキタはその一瞬前に目を覚まし、アラームが鳴る前に止める。
「それならばいっそアラームなど掛けなければいいじゃないか」と、同僚のサトウに言われたことがあった。
だがアキタ自身にとってはそういう問題ではない。アラームを掛け、止めるところまでが彼の『日課』の中での一連の流れなのだ。
「お目覚めですか。今朝のご気分はいかがですか」
どこかから、低めで柔らかい女声が聞こえる。アキタは首をぐるりと回して息をついてから、その声に答えた。
「今日の目覚めは、そうだな、割とスッキリしている。ここ数日は天候のせいか、起床後も数十分ぼんやりとしてしまう日が多かったが……」
「それはよろしゅうございました。今日は声にもハリがありますわね」
「そうかな……そうかも知れないな」
――あれはいつからだったろう……同僚のヤマダをうちに泊めた時のことだっただろうか。
ゆっくりと背筋を伸ばしながら、アキタは回想する。
仕事帰りに飲みに行き、思いのほか話が弾んで終電を逃したヤマダを、自宅に呼んだことがあった。その後も語りながら飲み続け、翌日の朝アキタは酷い気分で目を覚ましたのだった。
幸い、頭痛がするほどの宿酔いではなかったが、どうにも思考が鈍ってしょうがない、とアキタは苛立ちを感じていた。
たまたまその日、ヤマダが掛けていたアラームが五時五十五分だった。それが鳴る時間までアキタはぼんやりと間抜け面をしたままベッドの縁に腰掛けていたのだが、そのアラームを機に行動開始しても、結果的に充分な時間があった。
それ以降、『五時五十五分のアラームが鳴るまでに脳を覚醒させればいい』というルールを彼自身に付け加えたので、起き抜けにぼんやりしてしまう時でもアキタは焦ったりしなくなった。
情報パネルを起動させる。
ゆうべは映画を観ながら眠ってしまったようだ。
アキタの入眠をセンサーが感知したらしく、映画の後半で再生が停まっているというメッセージが出ている。
だが彼には朝から映画を観るような趣味はないので、いつもと同じように天気情報を表示させる。
アキタが子どものころはまだテスト段階だった機能だが、今ではみんなが無意識に使用しているであろう、日常的なツールの一つだ。
もっとも、アキタのように室内の大型情報パネルで確認する人は、今となっては極少数なのだろう。若者たちは携帯端末や、一昔前のコンタクトレンズのようなタイプの身に着ける端末。更に最近では、脳にチップを埋め込んで網膜に直接表示させるという方法も流行っている。
手術代も安価になり、技術の向上によってほんの数分で終了し、その後も煩わしさがない――ということで、特に最近、生活におけるミニマリズムがまた流行り出してからは、『なるべく身軽に暮らしたい』という人たちにはこの手段の受けがいいらしい。
その点において、アキタは昔気質の不器用な頑固者なのだろう、という自覚があった。彼は、携帯電話ですら音声のみのタイプを好んで使用しているのだから。
「本日の東京方面の汚染予報は――」と、柔らかく、しかしよく通り印象に残る女声が告げる。アキタには生身の女性にしか見えないが、彼女はその姿も声も合成されたCGだった。
当然、すがすがしいこの笑顔も作り物なのだが、情報パネルを通した彼女はやはり生きている人間の女性にしか見えない。
「テクノロジーも進み過ぎると、どうもついて行けないもんだな……」
毎朝、彼女の顔を見るたびに、つい同じ感想を漏らしてしまう。
こういうところも含めて、確かに彼は旧型の人間なのだろう。
「朝食はいかがいたしましょうか」
シャワーを済ませたタイミングで女声が問い掛ける。
「今日は木曜日だったか……じゃあいつもので。あぁマリエ、ベーコンは三枚で頼む。今日は少し肉を多めに食べたい気分だ」
「かしこまりました」
『マリエ』とはアキタのかつての妻の名だった。声の彼女のものに似せて、アキタが調整した。
自動的に用意される下着やワイシャツを身に着け、髪をセットする。人によっては髪型も自動補助システムに任せるらしいが、アキタは自分で済ませるのが習慣として身についている。
身支度を整えてテーブルに着き、用意された朝食を咀嚼する。情報パネルに映し出される古いヨーロッパの街並みを映した映像を眺めながら、アキタはゆうべ観ていた古いSFを思い返していた。
近いような遠いような未来の世界。そこには人間と、人間にそっくりな人工生命体が混在していて――
もうずいぶん前の映画だったが、数年ごとにリバイバルされて、マリエと付き合っていた当時にも観に行ったことがあった。
その映画の影響なのかどうかはわからないが、今朝見ていた夢の中では、自分が何者なのかわからなくなっていた気がする。
いつだったか、アキタは同僚のスズキに「アキタさんてなんかロボットみたいすよね」とからかわれたことがあった。
アキタが毎日同じ行動を繰り返すからだという。
だが彼自身としては、毎日新しいことを考えるのは仕事のことだけで手いっぱいだったのだ。
就職したての若い頃はやはり、スズキのように好奇心旺盛で毎日新しいランチの穴場を開拓しようとしてみたり、たまには羽目を外して朝まではしご酒をしたりしたものだったが、いつの間にか仕事中心の生活になり、それ以外のこと――食事や生活全般に関して――に煩わされるのが面倒になってしまったのだ。
当時はまだ自動補助システムは目新しい技術で、アキタたちの部署はまさにその最新の技術の一部を開発している現場だった。
技術テストも兼ねて自宅に導入して以来、彼はこのシステムが非常に気に入っている。音声を各自の好みに調整できるようにしたのも、実はアキタの案だった。
そのお陰で、一時期はアイドルや俳優のヴォイスセットが飛ぶように売れたこともあった。
朝食を終え、ビジネスバッグを手にして玄関へ向かう。
今時、無用の長物と化した大きなビジネスバッグを持ち歩くのもアキタくらいしかいないのかも知れない。
「行って来るよ、マリエ」
「行ってらっしゃいませ」
マリエの声に、アキタは一瞬微笑みを返してから家を出た。
* * *
「おはようございます、アキタさん」
「おはよう――と、そっちの彼は新人さんかな?」
マンションの守衛である二人の若い男性と、アキタは毎朝挨拶を交わす。
新人と呼ばれた男性は、ほんの一瞬驚いたように眼を丸くした。
「よくわかりましたね。こいつ、今日からなんですよ」
「そうか。これからよろしく頼むよ。では行って来ます」
「いってらっしゃい。お気をつけて」
ピシッとしたスーツ姿のアキタをにこやかな笑顔で見送る守衛たち。その姿が充分に小さくなってから『新人』が驚きの表情を作りながら先輩守衛に問い掛けた。
「あれが有名な『アキタ』氏ですか? 本当に僕たちを見分けることができるんだ……」
量産型の守衛は直接人間と関わるので、あらかじめ人間の感情に似た反応が脳に組み込まれている。
そのため、ほんの数日前に製造された『新人』でも、いっぱしの人間並みの反応をすることが可能だ。
「不思議だろう? 僕らならお互いのIDを確認できるから当然なんだが、人間にはその機能がついていない。もっとも、技術者なら作業用デバイスにそういった機能がついているらしいが、アキタさんは裸眼なんだぜ」
まるで自分のことのように得意気に説明する先輩守衛は、ここに配属されて八年になる。自己学習型の脳を持つ彼らは、三年も経てば人間よりも人間らしい表情や反応を示すことも可能だ。
そんな彼は三年目の頃、自分に『イワテ』という名前をつけ、以来それを自称していた。
「そんなすごい人なのに、本当にエラーを起こしているんですか?」
「そうは見えない、というんだろ? 人間はエラーを起こしても、僕らのように修正が利かないからね――もっとも、アキタさんの場合、例の『冬』到来時に身体の大部分を機械義体に交換しているんで、そっちは定期的にリペアや交換をしているんだが」
「今時、パーツの交換なんて健康な人間でもファッション感覚で楽しんでいますから、その点は問題がないんじゃないでしょうか?」
「――Λ835β、彼の勤務先についての情報は?」
「あ、はい。東京ヨクトシステム技術開発部システム開発課――」
Λ835βがデフォルトでインプットされている情報を読み上げると、イワテは苦笑した。
「新人が来たのは三年振りだけど、未だに初期設定はソレなんだ――重要な情報だから先に教えとくけどさ、アキタさんは、このエリアの端にある一画に通っている。そのエリアだけ、彼のために廃墟ビルをビジネスルーム風にしつらえてあるらしい。なんでも『冬』以前は本当にそこにヨクトシステムがあったらしくてさ。彼はそこで毎日、旧式でもう何も映らないモニタの前に座って、電源が入らないキーボードを叩きながら、目に見えない部下たちと一緒に仕事をしているらしい」
「そうなんですか?」と、新人は今度こそ本当に驚きの表情をした。
「信じられないのも無理はないよ。僕らならとっくに廃棄処分だからね」
「リペアできないなんて、かわいそうですね」
新人は同情的な表情を作る。その表情は教科書通りで、まだぎこちない。だが『イワテ』は新人に向かって、曖昧な微笑みを浮かべながら首を振った。
「アキタさんの場合は、リペアしない方が幸せかも知れない、と僕は思うんだ。彼が時々話してくれる彼の同僚たちも、ほとんどは『冬』到来時に亡くなっているし、それ以外の人たちも、もう百年近くも前に寿命で亡くなっているからね」