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「……よし」

 陽虎は小さく気合を入れると、ゆっくりと壁に手を付いた。冷たくざらついた手応えに逆らって、ぐいと押し込む。コンクリートが泥のように揺らぎ、指が潜る。


「行けるっ」

 思い切って体を進める。通り抜ける途中でつい目を瞑ってしまい、薄膜を突破したような感覚に再びまぶたを開けると、シャルロッテが立っていた。


 室内は暗く、これといって物音も聞こえない。なにしろ広い屋敷であるし、既に深夜ということもあり、住人はどこか奥の方で寝静まっているとも考えられる。

 騒ぎにならないのはありがたいが、代わりに探す手掛かりも得られない。


「面倒でも部屋を一つずつ当たってくしかないか」

 陽虎は消極的に提案したが、シャルロッテは首を振った。

「地下だな。人間もいる」

 透視するように床に鋭い視線を向けている。霊的な超感覚で何かを察知しているようだ。


 しかし引っ掛かる言い方だった。

 まるで人間以外のものもいるみたいだ。

 気味の悪い化物に取り巻かれるところを想像してしまい、萎えそうになる。だが考えてみればシャルロッテも今の陽虎も普通の人間ではないのだ。どんと来い。


 シャルロッテは不敵に笑った。

「どんな奴かな。少しは楽しめればいいけど」

「え、おい」

 引き止める間もなかった。突然床に穴が空いたみたいに、シャルロッテの体がするりと下に抜け落ちて消えた。


「ほんとにあいつは……少しは協調性ってものをだな」

 だがいない相手に説教してもしょうがない。

 陽虎は頭を切り替えて平板な床を見つめた。

 地下室があるならどこかに階段か何かもあるはずだが、真っ直ぐにシャルロッテの後を追えるならその方が早い。


「壁を抜けられるんだ。床じゃできないって理由はないよな」

 陽虎は自分に言い聞かせると、その場で大きくジャンプした。

 水泳の飛び込みさながらにあえて頭の側から突入する。

 ぴんと突き出した指先が抵抗にぶつかるが、本物の水だって似たようなものだ。想像力で現実を捩じ伏せて、全身がぐいぐいと沈んでいく感覚を呼び起こす。


 霊体は見事に床を潜った。

 一回転して足から着地、10.0とまではいかなかったものの、よろけただけで転倒は免れる。体勢を立て直しながらシャルロッテの姿を捜そうとして、目に映った光景に陽虎は絶句した。


 簡素な寝台に裸の少女が横たわっている。下着一枚も身に付けていない。

 たぶん陽虎より一、二歳上だろう。雑に切られた髪は元は明るい茶色だったらしいが、根元に近い側はだいぶ黒くなっている。前に染めるか脱色してから長い日数が立っているのは間違いない。

 深い眠りの淵にいるらしく、精巧極まる生き人形のように少女はぴくりとも動かない。


「ぐへへ、やはり若い肌は瑞々しさが違うのう。早く儂もあやかりたいわい」

 そして頭の禿げ上がったジジィがその少女に覆い被さり、乳房にむしゃぶりついていた。

 ――うわぁ。

 どん引きである。ただひたすらに見苦しくあさましい。人として終わっている。


 やっちまっていいか、というようにシャルロッテが目線で尋ねる。陽虎は頷いた。この男が矢部辰男、即ち元凶だ。

「ジジィ、たいがいにしとけ」

 シャルロッテは矢部の首の後ろを引っ掴んだ。醜く肥え太ったパンツ一枚の体を軽々と後ろに放り捨てる。


「ぐえぇっ」

 背中をもろに床に打ちつけ、矢部が苦しげにのたうつ。陽虎には一片の同情心も浮かばなかった。矢部の犯した罪からすれば、この百倍苦しんだって足りないぐらいだ。

 冷静を保つよう気をつけながら陽虎は周りを見渡した。


 学校の教室ほどの広さに、十床以上のベッドが並んでいた。寝ているのはまだ未成年の少女ばかり、全員が剝き出しの裸だった。明らかに意識はなく、何人かは栄養補給のためと思われる点滴のチューブを繋げられていた。

 陽虎は直感で理解する。この少女達は家畜なのだ。ミルクならぬ霊気を搾り取るために、不可視の鎖で魂を呪縛されている。

 矢部は未だ痛みに呻きつつも、どうにか床の上で身を起こし、シャルロッテを睨みつけた。


「……なんだ貴様は。誰の許しを得てここにいる。この儂に無礼を働いてただで済むと思うなよ、痴れ者めが」

 極道もかくやという迫力である。傲慢ながらも肝の据わり具合は本物だった。だがもちろんシャルロッテは毛ほども恐れ入りはしない。

「陽虎の体はどこだ?」

 矢部の誰何をまるで無視して逆に問う。

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