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「明らかに普通の家じゃないけど……まさか銃持った奴なんかいないだろうな」

 陽虎は威圧感たっぷりの塀を見上げた。もし生身の体なら、ごくりと唾を呑んでいるところだ。

「銃とやらは知らねえけど、結界なら張ってある。たぶん櫻子はこれに引っ掛かったんだろうな。お前がやたらとびびってるのも、たぶん心のどっかでは気付いてるんだ」


「びびびびってなんかねえし。っていうか結界だって? 突破できるのか?」

「あたしを誰だと思ってる。こんなの紙切れみたいなもんだぜ」

 シャルロッテは陽虎の後ろに回り込んだ。


「用意はいいか?」

「なんのだよ、うおっ!?」

 シャルロッテが密着してくる。十二歳とはとても思えない、引き締まっていながらも弾力のある部分が背中に押し付けられ、陽虎の心はびくんと跳ねる。


 シャルロッテは陽虎を自分の前に抱え上げた。

「っしゃ!」

「待っ……!」


 躊躇なく突っ込んだ。瞬きをする間もなくコンクリート壁が迫り、陽虎は恐ろしさに歯を食い縛る。そして身を貫いたのは硬い衝撃ではなく熱さだった。産毛を焼くような熱風が急速に密度を増して、重い流体から容赦のない固体へと相転移しようかという矢先。


「……抜けた、のか?」

 圧迫感がすっかり失せていた。夜の闇は深いまま、周囲を見渡しても情景に大差はない。だが足下はアスファルトの道路ではなく土の地面に変わっている。

 振り返れば高い壁が黒々とそそり立っていた。結界を越えて矢部邸の敷地内に入ったのだ。


「お前、俺を盾に使ったんじゃないだろうな」

 陽虎から身を離した相手を胡散臭そうに横目で見やる。シャルロッテは悪びれない。

「どっちかって言うと矛だな。お前をあたしに重ねて瞬間的に霊力を上げた。元から大した障壁でもなかったしな、楽勝だったぜ」

「かなり無理やりっぽい感じがしたけどな……」


 ともあれ結果は成功だ。

 周囲に人の気配は皆無で、防犯ベルがけたたましく鳴り響くこともない。

 完全武装の警備員に取り囲まれて蜂の巣にされる、という心配はひとまず薄れた。だがまだ何かあるはずだ。


 悪い予想はほどなく現実となった。

 地の底から湧いて出たような唸り声がする。

「犬か……?」


 ことによると銃を持った人間よりも厄介な相手だろう。ドーベルマンらしき黒影が幾頭も、前方に扇形に広がり集まっていた。

 すぐに飛びかかってきそうな様子こそないが、まともな神経を持つ者であればこれ以上半歩だって先に進もうとは思うまい。

 そしてもちろんシャルロッテはまともからはほど遠かった。


「おい、シャル!?」

 陽虎が慌てるのを尻目に、犬達の半包囲の中心へ向かって歩いていく。獣ごとき恐れるに足りないと侮っているのか。それとも襲われれば戦うだけだと腹を括っているのかもしれない。


 シャルロッテが前に出ると、存外に警戒心が強いのか、犬達はじりじりと後ろに下がる。

シャルロッテはさらに前に出る。犬達はさらに下がった。

 まるで距離が縮まらない。むしろ広がってさえいるようだ。陽虎には分らない仕掛けがあるとしか思えない。


「どういうことだ。犬の嫌がる匂いでも出してるのか?」

「人を悪臭みたいに言いやがって。あたしは何もしちゃいない。向こうが勝手に脅えてるだけだ。間抜けな地上人よりよっぽど敏い」


 獣の本能により、シャルロッテが危険な存在だと察知しているというわけらしい。暫くの間遠巻きにしていた犬達は、結局最後まで攻撃してこないまま一頭残らずいなくなってしまった。

 その後は何事もなく、四角い頑丈そうな建物にたどり着く。


「入るぞ」

 シャルロッテは言った。目の前はただの壁だ。扉はおろか窓すら付いてない

 だがどうやってなどと問うのは無意味だった。ついさっき壁抜けをしてきたばかりだ。

「また同じやり方で行くのか?」


 いきなり抱え上げられるのも突撃されるのも精神衛生によろしくない。せめて心の準備ぐらいさせてほしい。

「普通でいい。こっちに結界はないからな」

 シャルロッテは「普通」に歩き出した。つま先が壁に埋まり、続いて足首から脛、そして全身が建物の中へと消える。

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