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 ひどい悪寒がした。たちの良くない風邪を引き込み、これからどんどん熱が上がっていく時のようないやな感じだ。

 だがもちろんそんなわけはない。どんな強力なウイルスだろうと、今の陽虎に感染するのは生物学的に不可能だ。


「どうした、陽虎」

 隣のシャルロッテが顔を向ける。走行中の車内でもはっきりと分るぐらい、変調が表に出ていたらしい。


「別に、なんでもない。そろそろだなって思っただけだ」

「怖いんなら待っててもいいんだぜ。足手纏いならいない方がいいからな」

「俺と櫻子の命が懸かってるんだ。あんた一人に任せておけるか」


 シャルロッテを安易に信じたらきっと痛い目を見る。さすがに裏切るとまでは思ないが、途中で飽きて放り出すとか、反対に戦いに熱中する余り本来の目的を忘れたりなどはいかにもありそうだ。派手に暴れた挙句、陽虎の体が粉微塵なんてことになったらたまらない。


「着いたぞ」

 やがて車が止まり、晴日の下命により運転手を務めていた蜷川が振り返った。

 陽虎はフロントガラスの向こうに目をやった。ヘッドライトの光は少し前の道路を照らすだけで尽きている。そこから先は街灯の一本もなく、重苦しい闇が広がっている。


 運転席の蜷川に続いて陽虎達も車を降りた。矢部邸を囲む高い塀に遮られ、中の家に灯りがともっているかどうかは分らない。物音も一切聞こえなかった。

「夜中に来たのは初めてだが、薄気味悪いな」

 鳥肌でも立っているのか、蜷川は上着の袖をさすった。


「もっとも昼間だって全然楽しい場所じゃないが……さて、ひとまず俺の役目はここまでだ。暫くはここで待っててやるが、やばい行為にまで手を貸すつもりはない。悪いな」

「十分です。ありがとうございます」

 刑事を違法行為につき合わせるわけにはいかない。それに仮について来てもらったところで、相手は幽霊や妖術師の類である。普通の人間の手には負えまい。


「行くか」

 下腹に気合を入れて陽虎は歩き出した。が、すぐに足を止める。シャルロッテがついてきていない。気が抜けたみたいにぼうっと突っ立ったままだ。


「おい、どうしたんだ」

 引き返して肩を揺すると、シャルロッテは他愛なくよろめいた。体の芯に全く力が入っていない様子である。

 もしや既に何かの攻撃を受けているのか。

 この場で櫻子に起きたことを思い出して陽虎は焦る。半身を支えられながらシャルロッテは毒づいた。


「くそっ、怠いな。まだ寝足りないみたいだ」

「おい、ふざけんな。これからが本番だろうが。しっかりしろ」

「分ってるよ。気付けをもらうぜ」

「何を、んむっ!?」


 いきなり唇を塞がれた。柔らかく蠢く舌が口中に侵入し、陽虎自身の舌を絡め取って吸い上げる。

 背筋が痺れた。足腰が崩れそうだ。だが縄で杭に縛りつけられたみたいに全身がぎちぎちに硬直し、座り込むことさえままならない。


「とりあえずこんなもんか」

 唇が離される。

 遠くなりかけていた意識が再び焦点を結ぶ。

 シャルロッテの顔はなおも陽虎の間近にあった。夜の闇の中にあってさえ、黒褐色の肌は艶やかに美しい。


「も……」

 もう一度と願いそうになったのは麻薬の副作用みたいなものに違いない。シャルロッテがどんなつもりかは知らないが、色恋にはほとんどあり得ない相手だ。


 おかしな方向に昂った気を陽虎が鎮めようとしているうちに、眠気はもう取れたのかシャルロッテは矢部邸へと歩いていく。

 どこまでも勝手な奴だ。空き缶でもあれば蹴りつけてやりたかった。

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