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裏野さんの心配の種

作者: 赤いからす

『夏のホラー2016』参加作品です


 大学の最寄り駅の不動産屋で部屋を探したが、家賃が高く、苦笑いを浮かべて出てくるのを繰り返していた。

「そのご予算ですと、駅からだいぶ遠くなりますね」「隣駅でも難しいでっしょうね」「自己物件ならありますが、あまりお勧めできません」てな具合で俺が親の仕送りと貯金を鑑みて計算した予算は相手にされない。スマホアプリでも探したが、これといった物件は出てこなかった。


 四月に高校を卒業する前に遊ぶ予定も計画に入れて新幹線に乗ってやって来たのに、物件探しで一日を潰したあげく、バイトもしなければギリギリの生活を余儀なくされる現実を叩き付けられ、田舎の高校生は都会の厳しさを思い知らされたのであった。


 考えが甘かったことを反省しつつ、ネットカフェで今後の対策を練るために、二十四時間、年中無休、午後六時から通常料金より安いナイトパック、という看板の文字に誘われて雑居ビルに入る。


 受付の端末で必要事項を入力して会員証を作り、生徒手帳で本人確認してもらい、パーテーションで仕切られた個室で休むことにしたが、完全に外れだった。座敷タイプのスペースを選んだが、足を伸ばせず、体を曲げて寝なければいけない。パソコンも一昔前のOSで座椅子もところどころ破けている。


 フリードリンクのコーナーでアイスコーヒーをプラスチックのコップに入れて個室に戻ろうとすると、パーテーションの壁に貼られていた紙切れに目が吸い寄せられた。『裏野ハイツ』木造築三○年、最寄駅から徒歩四分、四・九万円、徒歩一○圏内にコンビニ、郵便局、コインランドリー有、1LDK(リビング9畳、洋室6畳)……白い紙に黒い字で願ってもいなかった物件の条件が簡単な地図付きで記入されていた。一番下に大家さんの名前と電話番号がマジックで書いてあり、午後七時を過ぎていたが時間の指定がないのでスマホでかけてみると、ラッキーなことに相手が出た。


「裏野さんですか?」

 紙に記載されていた大家の名前で尋ねる。


「……はい、そうです」

 渋い男の人の声で反応が鈍く、耳が遠いのかもしれない。


「裏野ハイツの物件のチラシが貼ってありまして、お電話をしたのですが」


「あぁ~裏野ハイツですね。よかったら今からでも物件を見にきませんか?」

 裏野という大家さんはせっかちに物事を進めてくる。少し迷ったが、こっちも呑気にしていられない事情があるので『裏野ハイツ』で落ち合う約束をした。


 徒歩四分は本当らしく迷うことなく辿り着けて、すでに男の人が『裏野ハイツ』の前で立っていた。それほど寒くないのに黒いロングコートを羽織り、範囲の狭い中折れのそり返りがある正礼装用の帽子を被った老紳士。身長が高く、右手で杖を突いているが、姿勢が良くて杖が本当に必要なのかと思うくらい腰が曲がっていなくて、アスファルトに突き刺さって立っているように見えた。


「佐伯さんですね」

 俺の名前を呼んで老紳士が帽子を取って頭を下げてくる。目障りなパーツがなく、素朴な顔つきで細い目をまげて微笑む。


「はい、佐伯といいます。よろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ急にお呼び出しして申し訳ありませんでした」

 裏野さんはゆっくりと優雅に首を横に振る。


「なかなか良い物件が見つからなくて困っていたところなんです」

「こちらも空き部屋を早く埋めたかったので、良いタイミングでした」

 よっぽど入居者がいなくて収入に困っているのかと思ったが、喋り方はスローで表情も焦っているようには見えなかった。


「部屋を見てから決めたいと思います」

 このまま契約書に判子を押してしまう流れなので釘を刺す。


「もちろんですとも。こちらへどうぞ」

 裏野さんが歩き始める。


 ごくありふれた平凡な木造二階建てで各階三戸ずつの合計六戸。古そうではあるけれど、改築でもしたのか白い外壁とオレンジ色の屋根は割ときれいな色。ただし建設現場の足場の鉄板をそのまま持ってきたかのような外付けの階段は、蹴り込み板の部分がなくて透けて地面が見える粗末な造り。


「駅から近くて立地条件がいいのに、ずいぶん家賃が安いんですね」

 事故物件の可能性も考えられるので探ってみた。


「建物も古いですし、不動産屋の仲介料などもありませんので、お安くできるのですよ」


「僕みたいな者にはありがたいです」

 思わず自虐的な笑顔を披露してしまう。


「ずいぶんお若いですね。四月から大学に入学なさるのですか?」

「はい、そうです」


「それはおめでとうございます。ということは、まだ法的には高校生なのですね」

「未成年者だと契約できないのでしょうか?」


「ご両親の承諾書と保証人になってくれる人がいれば問題ありません。用紙は部屋を見て気に入ってもらえたらお渡します」


「わかりました」

 第一印象は怪しく見えたが、会話しているうちに親切な人柄が垣間見えて安心感が芽生えてきたのは良いことなのか悪いことなのか、まだ判断するには早い。


 外付けの階段はハイツの右側にあり、手前の部屋が203号室で裏野さんはそこの部屋のドアにカギを差し込んだ。


「どうぞ、お入りください」

 裏野さんは杖をドアノブにかけて部屋の奥に進んでいく。


 玄関のドアを開けるとすぐに9帖のリビング&ダイニングが目に飛び込んできて、バスとトイレが別で洗面所も独立していた。奥にある洋室の6帖のスペースに床の高さと段差がない掃き出し窓を開ければベランダもある。さっきまでネットカフェに居たのでやたら広く感じた。


「一人だと広いくらいですね」

 自分の予算ではワンルームや、狭小スペースを活用したロフトマンションを覚悟していたので、得したような気分になる。


「トイレや洗面所なども業者に頼んで殺菌消毒してあります」

 どうしてもオレに伝えたかった情報らしく、裏野さんは早口だ。


「清潔なのは安心です」

 褒め言葉が上から目線のような言い方になってしまったが、裏野さんは笑顔で得意顔だったので結果オーライかもしれない。


「それと……」裏野さんはベランダと繋がっている掃き出し窓を開けた。「前に住んでいた人がこれをベランダに置き忘れていってしまったのです」


「それ、なんですか?」

 二枚の小さな葉を広げた苗が土から出ている茶色い鉢を裏野さんは持ち上げた。


「しばらくここに置いといてもらえませんかね?」

「まだここに住むと決めたわけではないので、僕にその権限があるのかどうか……」

 大家なのだから自分で持って帰ればいいのにと思いながら、曖昧に答えを濁す。


「水をやらなくても育つ新種のアスクレピアスという花で、大麻などの怪しい植物ではありません。ちなみに花言葉は “ 解放してください ”です」裏野さんは苦笑いで説明したあと「枯らしても責任問題にしませんので、ここにしばらく置いといていただければ、家賃は半年間無料にしましょう」とまさかのディスカウントを持ちかけてきた。


「いいんですか?」飛びついてしまった。

「布団はありませんが、電気とガスは使えますから、今日からでも泊まれます。おそらくネットカフェとやらで、今日は寝泊まりする予定なのでしょう」

 怖いくらいの予知能力で指摘された。しかも尋ねる言い方ではなく、決めつける口調だ。


「どうしてわかるんです?」

「チラシを貼ったのは駅前にあるネットカフェだけなんです」


「そうなんですか」

「とりあえずここで一泊してみてはどうですか?」


「本当にいいんですか?」

 確かに数分見て決断するよりも一晩泊まってじっくり吟味できるなら、そのほうがいいに決まっている。ただし、契約を断りにくい立場になる。

「では、これをどうぞ」


 裏野さんがコートのポケットから銀色輝くカギを出して、オレの手のひらに落とす。刻みが一方向しかない安物のタイプ。冷たくてひんやりとした感覚が伝わってくる。


「あのぅ~一晩考えさせてもらいます」とんとん拍子に契約を進められている気がして迷いが出てきた。

「明日の朝八時にご判断をお聞きしたいと思います」裏野さんは帽子のツバを掴み、別れの挨拶をすると、ドアノブに引っ掛けていた杖を宙に浮かせて軽やかにキャッチ。「では、明日の朝までじっくり考えてください」最後は愉快そうに言葉を残してドアを閉めた。


 住宅街をすり抜けてきた風が頬を撫でる。やけに冷たいので掃き出し窓に近寄り、ピシャリと閉め、アルミサッシの三日月形のクレセント錠を一八○度回転させてロックした。ネットカフェより居心地良いはずの空間に静けさが満ち、裏野さんが出て行って数分なのに別世界になったような雰囲気になる。


 ──どんだけ寂しがり屋なんだよ。

 一人暮らしの疑似体験直後に、自分の思わぬ一面が垣間見えて笑いそうになる。スマホでゲームをするしか時間を潰せず、完全に暗くなってくるとお腹が鳴って、近くのコンビニで夕食を買いに行こうと部屋から出ると、201号室に入ろうとする年老いたお婆さんが「見ない顔だねぇ~」と疑いの眼差しを向けてきた。


「203号室に引っ越す……かもしれない三浦と言います」

「かもしれない?」


「今日は仮で試しに泊まらせてもらっています」

「動物を狩るほうの狩りかい。なるほどねぇ~」

 お婆さんと会話が成立せず、なにを納得しているのかわからない。


「いいえ、仮面の仮です」

「あぁ~そっちの仮かい」

 ハハハッ……と語尾に笑いを付け足してお婆さんは自分の部屋に入っていく。


 お婆さんが入る直前に一枚の紙切れのようなものを落とした。「あのぅ~なんか落ちましたよ」と割と大きな声で呼び掛けたが、お婆さんが出てくる気配はなく、しょうがないので拾うことにした。小さな女の子が映っているボロボロの写真で、こんなものを持ち歩いているということは、よほど大切にしているモノなのかもしれない。呼び鈴がないので「あの~写真落としましたよぉ~」と言いながらドアをノックした。


 すると、勢いよくドアが開き「早く返しなさいよ!」と俺の親切心を無下にする態度で写真を奪い取り、ドアを乱暴に閉められてしまう。都会でのご近所付き合いは悩みの種になりそうだ。


 切れる老人、ご近所トラブル……最近ニュースでよく耳にする言葉を思い出す。隣の部屋じゃなかっただけマジだなと、202号室を素通りして『裏野ハイツ』から離れた。


 近くのコンビニで幕の内弁当と炭酸のソフトドリンクを買って帰ってくると、202号室のドアが半開きで風に揺れながら動いていた。一階も二階も表札で名前を出しているところがないので契約が済んだあとで裏野さんにどんな人が住んでいるのか聞かなければいけない。201号室のお婆さんのところへ改めて挨拶に行くのは避けたいところだ。


 キィキィと鈍い音をさせながらドアが揺れ、まるで俺を手招きしているようで気味悪く、コンビニのレジ袋を持って挨拶するのはかっこ悪いかなとご都合主義を脳内に刷り込ませて自分の部屋のドアノブにカギを差し込む。


 そのときちょうど風が吹き、異臭が俺の鼻を刺激した。

 青臭く、冷蔵庫で腐った野菜が入っていたときのような臭い。


 ──同じ階に切れる老人とゴミ部屋に住む奴がいるのか?


 ご近所付き合いは大切なわけで、きれいなお姉さんと鉢合わせなんてことは現実には起こらないようだ。隣の部屋の臭いを少しでも入れたくなかったので、素早くドアを閉めて中に避難する。


 味もそっけもない幕の内弁当を食べていると、微量ながら自分がいる部屋からも青臭いニオイがしていることに気づいた。どうやら洋室に置いてあるなんとかいう花のようで、よく見ると二枚だった葉が三枚に増えている。いや、急にそんなに生えるわけがないが、裏野さんが水などは必要ないと言っていたから、育つのが早いのか?と鼻を近づけていくと強烈な臭いが襲う。風で隣の部屋から流れてきた臭いと似ている。


 ──まさか裏野さんは隣の部屋にも同じモノを置いてるのか?

 枯らしてもいいなら……俺は苗に上から炭酸をかけた。シュワシュワーと泡が立ち、土の中へ浸透していく。甘い匂いがしてくれれば儲けもの。


 俺は洋室の吐き出し窓を開けてベランダに鉢を移動させた。

 スマホのバッテリー残量がなくなって充電が必要になり、横になって目を閉じると、一日中歩き回ったこともあり、ぐっすり眠れる……はずだった。


 ガラスが容赦なく割れる音。


 その直後に足がものすごい力で引っ張られていく。

 目を開けても何が起きているのかわからず、足下に視線を移すと緑色の巨大な植物らしき化け物が俺を足から丸飲みしようとしていた。


「な、なんだ……う、うそだろ……」

 夢だと願って現実を受け入れられない。


 思考が混乱している間に俺の下半身が巨大な植物の口に入っていく。「だ、誰かぁ~助けてくれえぇ~」

 大声で叫び、フローリングの床を手でかきむしっても滑ってしまうだけ。植物の入り口には綿毛のようなヒダが生えてチクチク刺さり、奥のほうはヌルヌルして摩擦抵抗なくふんばれない。首のところまで飲み込まれ、ドキュメンタリーで大きなウサギを丸飲みする蛇を見たことはあるが、まさか自分がウサギの立場になるなんて想像もしなかった。植物の裏側の赤い口腔内の視界が見えると絶望感に支配される。よだれとしか思えない粘性のある液体が顔にかかると意識が薄れ、視界もぼやけてきた。唯一の幸運は痛みを感じないこと。蚊だって血を吸う前に麻痺成分を注入する気遣いがあるくらいだから、植物の唾液に麻酔が仕組まれていても不思議じゃない。


「こんなに大きく育ってしまって、何があったのでしょう」聞き覚えのある声だった。「さぁ~皆さん家賃を半額にしてほしければ、手伝ってくださいね」裏野さんの声に間違いなかった。「101号室の佐々木さん、102号室の川端さん、男なんだから積極的に動いてください。103号室の菅野さんは家族総出でありがとうございます。窓ガラスが割れていますから足下には気を付けてくださいね」


 人が大勢部屋に入ってくる。『裏野ハイツ』の住人なのか?助けてくれるのか……俺は残る力を振り絞って手を伸ばす。しばらくすると植物の化け物と一緒に宙に浮き、持ち上げられてどこに運ばれていくのかと思っていると、行き先は隣の202号室だった。


 そこには、さらに大きな植物が触手のように葉や茎をクネクネ曲げて踊っていた。


「久し振りの親子の対面ですから、うれしそうですね」

 裏野さんの声は弾んでいるが、俺の心は落ち込む。完全にハメられたのだ。


「あの子もう餌になっちゃったのかい?」

 201号室のお婆さんの声が聞こえてくる。


「炭酸のペットボトルの空がありましたから、なにか余計なことをして怒らせたのでしょうね」

 裏野さんが呑気なトーンで答えた。


「あら?まだ体が口の中にあるから死んでないのかしら?」

「甘噛みして動かないようにして、親にも半分くらい分けてあげるつもりなんですよ」


「なんて親孝行なのかしら。微笑ましいわ」

 202号室のドアが閉められると、住人達の「これでしばらく餌を用意しなくてすみますね」「こんなことで家賃が半額になるなんて、ありがたいですね」「おぉ~口移しで餌を分けるつもりですよ」「上半身は親、下半身は子供が食べるつもりなのか?」「水族館のシャチのショーより迫力ありますね」「シィーご近所に聞こえちゃいますから静かにしてください」などの安堵と興奮の言葉が飛び交う。


 202号室にいた大きい植物の口が開き、俺は頭から入れられる。


 最期に聞こえてきたのは201号室のお婆さんと裏野さんのこんな会話だった。

「次の餌の当てはあるのかい?」

「それが、これからの心配の種ですね」

 裏野さんの愉悦する笑い声が耳から遠ざかっていく。

                                     〈了〉

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― 新着の感想 ―
[一言]  もう少し、恐怖心をあおる過程が欲しかったです。割とすんなりと最後まで進んでいってしまったので。  けれども、ラストはしっかりと怖いです。他人事のように言葉を交わす住人が、とても怖かったです…
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