881.~890.
881.
町の一角に、田畑を支える豊富な湧水がある。ずっと昔から日照りでも枯れることなく人々を救ってきた。冷たくて美味しいので、未だ飲み水は勿論様々な用途に使われる。だが時々この水は酷く甘くなる。すると魚や水棲生物が死に絶え、植物は巨大化し、生まれる子どもは鱗が生える。
882.
地元は所謂盆地で、一日のうち何度も霧に鎖される。年に数度、季節を問わずに一度たりとも霧が出ない日がある。そういう日はつまらない。授業中に窓の外が真っ白に埋まる。その中を、普通なら悪夢の怪物と怖がられるような巨大で歪な何かがゆっくりと歩いていく。時々目が合う。
883.
部屋の中を蛍が舞っている。本物の蛍だ。寝たきりで意識があるのかないのかわからない父の鼻の穴からざわざわと湧いて出る。気持ち悪いので、窓を開けるが出ていかない。朝には死んで床に降り積もっている。そうなると唯の黒い虫だ。ゴキブリと大差ない。父は時々目を開けて僕を見る。
884.
生い茂る巨大な裸子植物。三日で服が腐る濃密過ぎる湿度。地球の温暖化は悪化の一途を辿り、全球が熱帯か砂漠になった。生命は必死で適応し、人類もわりと生き残っている。のっそりと密林を進むのは海を失い陸生になった蛸だ。樹上で息をつめていると、被膜の翼を広げて飛んでいった。
885.
海から蜜柑が流れ着く。近隣に蜜柑農家はない。その蜜柑は死者の生まれ変わりなのだという。血縁者が食べれば甘く、そうでない者には苦いという。親友が死んで、毎日浜辺へ通う。ついに見つけた蜜柑から海水を拭って皮を剥き、実を口に入れた。甘かった、とても。
886.
台所の排水溝から蓮が芽吹いた。美しい薄いピンク色の花弁を優美に開いている。次に洗面所、お風呂場、トイレと、水場から次々に蓮が咲いた。綺麗だけど邪魔だし、なんだか気味が悪い。引っこ抜いても翌朝には咲いている。しつこい。今朝は半開きの妻の口と、鼻と耳から生えていた。
887.
彼女の頭には花が咲いている。最初は奇抜な帽子だと誰もが思う。それほど堂々と彼女は頭上の花を晒している。時間によって開いていたり閉じていたりする。秋頃になると受粉するらしく鼻の穴から色んな種を出す。貰った種を鉢に植えてみた。室内においたせいか、立派な向日葵が咲いた。
889.
突然夫が倒れた。近所の学校の敷地からヘリで大学病院へ搬送。ERへ運ばれていく夫を見送り、看護師に案内された待合室で茫然としていると、悲鳴が聞こえ始めた。覗き見ると次々人が夫と同じように倒れていく。残ったのは数名。私は彼女らに訊いた。「雪の日に、あれを食べたの?」
890.
砂漠で溺死する直前、妹はSNSに「だるまさんが見てる」と書き込んだ。それからSNSで繋がる人々が、ミイラ化しつつ肺が水浸しだった妹と同じ死に方をし始めた。公園の砂場や砂浜で、最後にSNSに「だるまさんが見てる」と投稿。繋がっていない私に、毎日何通も友達申請が届く。




