661.~670.
661.
いつもより早く家に帰ったら、ペットの犬が眼鏡をかけ新聞を読みつつコーヒーを飲んでいた。お互い、完全にパニックになり、私は風呂に入ると叫び、犬はじゃあ夕飯作るとエプロンを着けた。風呂から出ると、犬はケージで丸くなっている。テーブルにはほかほかの夕食が並んでいた。
662.
「何をお探しですか?」古びた雑貨屋でぼうっと棚を見ていたら、暗がりの中から声をかけられた。顔も見ているし声も聞こえているのだが、なぜか曖昧だ。何も言えずに戸惑っていると、「ではこちらをどうぞ」と掌ぐらいの壜を渡された。中には足を抱えて膝に顔を埋めた私が入っている。
663.
雪が、上がり始めた。止んだのでなく、積もった雪が、空へとふわふわ上り始めたのだ。雪が付着した物も一緒にふわふわ、青空へと飛んでいく。傘を放りだし、長靴を脱ぎ棄てる。娘が悲鳴を上げた。レインコートにたっぷりついた雪ごと浮き上がる。手が届かない。私は雪を頭から被った。
664.
子どもが瓶に雪を詰めた。窓辺に放置して学校へ行ってしまったが、雪は溶けない。よく見ると雪の中に何かがいて、必死で雪を作り続けているのだ。私はよく似た瓶に水を入れて窓に起き、雪の瓶を自室に隠した。帰宅した子どもは落胆している。私は夜毎、こっそりと瓶を眺めている。
665.
黒い雪が降った。白い雪は夜を明るくするが、この黒い雪は光を吸って、昼を暗くしてしまった。しかも溶けない。青空と太陽に晒されても、黒々と横たわり、世界は薄暗い。人々は家にこもりがちになった。春、黒い雪を押し退け、家々の中の豊富な栄養を吸い、鮮やかな緑が芽生え始めた。
666.
ここはマンションの六階。窓の外に人が立てるスペースはない。けれど、そこに顔がある。女の顔だ。美しくも醜くもない、一度すれ違うだけなら記憶にも残らない、ただの顔。異様にくっきりと窓の外に、ある。時々まばたきする。昼間は見えない。私の目に見えないだけなのだろうか。
667.
部屋の中を、ガスマスクを被った金魚が泳ぎ回っている。寝惚けているのかと、灯りをつけるが、ガスマスク金魚は狭い室内を優雅に浮遊し続ける。ベッドの下から現れた鼠がブーメランを投げて、金魚からガスマスクを叩き落とす。金魚は泡を吹いて死に、天井に力なくくっついてしまった。
668.
ずるりと伸びてきた巨大な触手が、手足をもがれて転がる人間をひとり巻きとって、そのおぞましい口まで運んでいく。頭を半分だけぐちゅりと齧り、気に入ると全身を二口で食べてしまう。不味いと怒って壁に叩きつける。年々食べ残される人間が増えて、捕まえに行くのに苦労している。
669.
鼻水がたれてきたのかと思ってティッシュで洟をかんだら、小さいおっさんがずるっと出てきた。反射的にティッシュごと握り潰す。激烈に厭な感触とくぐもった悲鳴。ティッシュは真っ赤に染まった。明日病院で精密検査を受けよう。ビニール袋に包んだコレは、持っていくべきなのか。
670.
朝起きたら母が凍っていた。父も弟も、透明で分厚い氷の中に閉じ込められている。私の部屋以外の全てモノが氷漬けになっていた。不思議と寒くはない。強引に窓を開けて外へ出る。隣家からは猫が専用ドアを必死で押しあけて出てきた。駆け寄ってきた猫を抱きあげ、凍った道を歩き出す。




