181.~190.
181.
生まれて初めて歌を上手いと褒められた。小中高と音楽の成績は散々だった。高校は筆記試験の比率が増したからまだ良いが、教師から呼び出されたことすらある。あまりのひどさにわざとだと思われたのだ。そんな歌を。ゴポゴポと沸騰する渾沌はますます湧き立ち、蒼い地球に罅が入る。
182.
私の田舎の儀式は秘祭とか奇祭に分類されるものだろう。祭は初雪の日に行われる。朝、新雪に足をつけてよいのは未婚の女だけ。喪服のような真っ黒な着物に鈴入りのぽっくり下駄で家を出る。全ての女が広場に集まっておしまい。いつもひとつ足跡が多いがどこからなのかは分からない。
183.
草木も眠る丑三つ時、わたしは神社を訪れる。手水舎で手と口を清め、賽銭箱に五円玉を投じる。メインはここから。草木の間に耳を澄ますと、ひそひそと話し声。覗くと汚れたハンカチや甲虫の死骸、割れたカップが落ちている。それは零れた祈り。神が容れなかった黒い願いのなれの果て。
184.
私は鯨が苦手だ。イルカも。なぜと言われると困るのだが、嫌悪感というものに明確な理由がある方が少なくはないだろうか。ともかく昔から苦手で水族館では耳を塞いでいた。ああ、そうか、歌のせいか。あの真っ暗で重い海の底で、人より遥かに大きなモノを賛美する歌が、怖いのだ。
185.
雲と霧は実際にはほとんど同じものなのだという。雲がかかるほど高い山に登った人なら分かるはずだ。霧の向こうはあの世に繋がっているという話は多い。では雲の中はどうなのだろう。遠目にはふかふかした雲に小型飛行機で入り込んだ。―ああ、本当に雲と霧は同じものだった。
186.
寒いしお腹空いたなあ。マフラーで鼻先まで覆い、私は家路を急ぐ。自分の靴音に、もうひとつ足音が加わったことに気がついたのはひと気のない路地。振り向くより早く口を塞がれ胸を握られた。私は痴漢の指を噛み砕き、後ろに腕を伸ばして脇腹に突き刺した。夕飯前だけど食べちゃおう。
187.
良いというまで、決して部屋を覗かないでね。昔話のようなことを言って友人は隣室に引っ込む。私は素直に従い、酒と肴とバラエティー番組を楽しんでいた。暫くしてドアが開く。「本当に覗かないんだもんなあ」ひと皮剥けた友人は艶っぽく笑って抜け殻を差し出す。これを待ってたのよ。
188.
厭な噂を聞いた。暫く前から行方不明の女性社員が川に現れるのだという。今やすっかり都市伝説と化している。解体してからペーストにして川に流したのだから見つかる筈ないが、不安になった私は川を訪れた。案の定水中から笑いかけてくる女は、女性社員とは似ても似つかぬ美女だった。
189.
子どもの時から、聞く人にとって不快な掠れ声だった。あまり喋らない仕事に就きたかったが、結局普通の勤め人をしている。営業職ではないので、上手くやっている。良いこともある。この声はヒト以外にも不快らしい。私の悲鳴を聞くと、触手の群れは私を放り捨て、マンホールに消えた。
190.
耳掃除をしていたら、耳かきが右から左へ通り抜けた。最近聞こえづらかった母の声が、よく聞こえるようになった。「お願いだよう、ごはんを食べさせておくれ」うん、聞こえてるよ。




