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前編

 まだ子供だった頃、カズトが夢中だったのは金属と珪素化合物とで出来た巨人だった。

 その四肢の装甲が時折摩擦を起こす以外、駆動音はほとんど無い。

 重量感をこれでもかと伴う足音だけを立てて歩く巨体を遠くから見て、自分もあの胴体の中に乗り込んで走り回り、時には戦ってさえ見せるのだと、夢想することがあった。

 その少年の時代は昔、今のカズトは確かに、その夢を叶えたといえる。

 だが、現実は厳しかった。

 冷房の効いた喫茶店で、一人コーヒーを啜る。

 カズト・ヴァーズナ、三十九歳。独身。

 生まれ故郷を遠く離れた砂漠の土地で、彼は自動巨人を駆る傭兵となっていた。

 革命やクーデターの絶えない政情不安定な砂漠の国々では、費用こそ高いが期間契約さえしてしまえば維持や錬成について考えずに済む傭兵団の需要は高いのだ。

 そうした傭兵であるカズトに向かって、今まさに近づいてくる女がいた。

 砂漠の宗教の戒律に従って肌を隠すということをしない服装の女。

 カズトは戒律については知らないので、そうしたものの束縛を嫌う現代的な女なのだろうと思っただけだったが。

 ただ、中々に美人だった。


「表の自動巨人、あなたの機体?」

「そうだが」


 答えるカズトに、女は懐から取り出した手帳を見せながら告げた。


「あそこは駐機禁止場所よ。書類に署名して、違反金を支払って」

「うぇ!?」

「それと」

「……!?」

「最近入国者の中に不穏な動きがあるのは聞いてるわね。事情聴取をさせてもらうから、同行願うわ」


 女の目は本気だった。

 駐機禁止の標識を見落としていたのはともかく、恐らくはそちらが本題なのだろう。

 まぁ、カズトの身なりや素行では仕方ない部分もあるが。

 三十九歳独身、ついでに小太りで頭髪の密度も怪しくなってきた冴えない中年の男が、ずっと年下の私服の女警官に連行されて喫茶店を出て行く。

 店内のほかの客たちが、その様子に密かに失笑していた。

 傭兵といっても、カズト・ヴァーズナは個人営業(フリーランス)だった。

 そして、決して優秀とはいえなかった。





 不毛の土地ヴァクヤ。

 岩と砂と青い地平だけが彩る赤道直下の土地で、それでも人の群に賑わう場所があった。

 近世までは駄獣と商人、積み荷の行き交う交易品の通り道だったが、海路の発達で一時は廃れかけ、内燃機関の発達で再び貨幣経済の動脈として一定の役割を果たすようになった。

 人の環境には本来適さない故にこそ、そうした動脈の交差点や結節部には渇きを逃れて人々が群れる。

 カズト・ヴァーズナがいるのも、そんなオアシスを起源とする大都市の一つだ。

 今ではオアシスは干上がり、代わりに鋼鉄のパイプラインが水を運んでいる。

 そのパイプラインの横を通る自動車道を、自動車に混じって全高五メートルほどの巨人が走っている。

 足の代わりに動いているのは、脚部に設置された車輪だ。

 彼は機体を走らせつつ、呻く。


「ちくしょぉ……」


 生来、ついていなかった。

 いや、彼自身に原因があることも少なくなかった。

 だが、それを努力でどうにかできるのならばとっくにそうしている。

 さっきだって、あんな所に駐機禁止の標識があるとは気づかなかったのだ。

 しかも取調べでは私物を調べられ、カズトが趣味にしていた自動巨人のパーツ構築案などまで見られてしまった。

 そのせいで自動巨人でのテロ行為を行おうとしているのではないかという疑いを掛けられたのかは知らないが、かなり長い時間拘束が続いた。

 最終的にはこうして釈放されたが、とかく、そうしたへまや不幸が多い。

 いくら注意し、気をつけてもなくならないのだ。

 それは人間としてのスペック差なのだと諦めるにしても、世の中はそのような彼に対していささか冷たいのではないだろうか?

 子供の頃からの夢であった、自動巨人を駆る戦士にはなれたつもりだが、どうにも購入できた機体はこのオンボロだけ。

 彼自身も技量は高くなく、傭兵団に入って活躍するには少々どころではなく不足だ。

 脚部の車輪で自分の巨人を車道に走らせながら、カズトは苛立った。

 あの女警官はいい。

 少なくとも仕事は上手く行っていそうだし、仮に上手く行かなくても美人なら多少の妥協をするだけで、生きているだけで辛いなどということも無いはずだからだ。

 そんな人間がカズトを虐げるように、権力を武器に些細なミスをあげつらって金と時間を奪った。

 完全な勘違いと逆恨みだが、少なくともカズトはそう感じて自機を走らせていた。


(何かいいことねぇかなぁ。こんなクッソムカつく状態は……嫌だ)


 機内に設置した古いゼンマイ式のラジオは、しきりに隣の国で起きたクーデターでの戦闘の様子を叫んでいる。

 戦場からの中継と思しきリポーターの悲鳴が、遠雷のような爆音でブツブツと途切れ途切れになるのを聞きながら、カズトは道路の脇にあった自動巨人用の整備工場を兼ねた補給スタンドに機体を滑り込ませた。


「うぉっ!?」


 ガタの来た老朽品と、彼の拙い技術とが合わさって生じた転倒未遂。

 危うく料金を表示する看板を破壊しそうになりながら、カズトは歩いてきた作業服姿の誘導員の誘導に従って、機体を所定の場所へと移動させた。

 運転席の装甲を開く。

 空調機器の老朽化で碌に冷えないままだった暑く湿った空気が流出し、幾分冷たく乾いた心地の良い風が、寂しくなった彼の頭部の前線を通り抜けた。


「ご注文は?」


 開いた胸部から足を乗り出すと、やや下方に作業服姿の中年の男の姿が見える。

 彼より一回りは年上だろうに、その頭髪は豊かだ。


「駆動液だけ頼むわ」


 胸中で男の毛根を全力で呪いつつ、口では注文をした。


「お客さん、それだけでいいの? あちこち酷いガタが来てるよ、これ」

「いいんだよ! 予算との折り合いってもんがあらあ!」

「まぁ、いいならいいけどよ」


 ぶっきらぼうにそう反論すると、店の親父はキウスキの脚部をしげしげと眺めながら、カズトに尋ねる。


「どちらから」

「ハードゥール」

「良く脚が持ったもんだ」


 彼の機体をみて男がそう告げるのも分かる。

 名高いベストセラー機とはいえ、彼がなけなしの財産を投げうって購入したこの自動巨人の性能の劣化は酷いものだ。

 頭部のセンサーで生きているのはカメラのみ、運転席に外の光景を投影するだけで、録画機能は買った時から死んでいた。

 集音装置も左側が使えなくなっており、左腕は肘部分の関節が壊れたきり買い換えることも出来ず、脚部もメーカー保証の耐用年数を倍は過ぎている。

 武装は二つあったが、胸部の旋回機銃は弾切れを起こしてから放置していたら錆びたので廃棄し、腕に持たせる速射ライフル砲は買って半年で戦闘中に紛失した。

 お情けで入れてもらった傭兵団も戦闘外でのヘマが多すぎると言われてからかわれてから退団し――行軍中の不注意で流砂に飲まれそうになる、警戒中に誤って機体を転倒させ食料の乗った四輪車を押しつぶす、など。そして速射ライフル砲を無くしたことを揶揄されたのがとどめだった――、フリーランスの傭兵といいつつ何でも屋のようなことをやるようになって今に至る。

 とはいっても当然、というべきか、このような廃棄品同然のキウスキではやれることなど皆無で、今のカズトの収入源は肉体労働だ。

 貸し倉庫を借りては果てしなく老朽化した愛機を預け、食費と賃貸料、機体の更新のための軍資金を稼ぐ。

 もはや傭兵ではないと言われれば、実の所反論できない。

 先程の官憲の横暴によって半分以下に目減りした資金の繰り方について考えながら、彼はぐんぐん上昇して最大値を示しつつある機内のアナログメーターを眺めていた。


「はい充填終わり。1万7545グェンナマね」

「…………!」


 迂闊にも一ガロンあたりの値札をみてから気づいたが、政情不安が大きくなった影響なのか、やたらと値上がりしている。

 先程までなら少々痛くとも問題のない出費であったが、覆面警官の卑劣な摘発で財産は大幅に減少していた。

 払えない。

 だが、駆動液は自動巨人の高分子金属アクチュエータを伸縮・回転させるのに必要な液体であり、これが無くてはキウスキは、というよりも自動巨人は動かない。

 そして、カズトが都市と都市の間を移動するのにはキウスキが必要だ。

 この巨体を長期間貸し倉庫に置いていくこともまた、予算的には難しかった。


「……今月苦しいんだ。分割払いとか出来ねーかな」

「お客さん、外に値段は出してたんだが……うちは基本的にお客さんを疑わない方針でやってるんだから、お客さんを疑わないと商売できなくなるようなことをしてくれちゃあ、困るね」


 カメラの視界からでも、整備場の強面の整備士たちが一斉にカズトのキウスキに目を向けたのが分かる。

 一人などは隅にあった整備場所属らしい自動巨人に乗り込み、起動させた。


(くそッ……やりたくてやったんじゃねーっつの)


 そんなつもりは毛頭なかったが、もしも代金を踏み倒そうと暴れようものなら、整備されたあちらの巨人に、カズトのキウスキは一ひねりされてスクラップになるだろう。


「す、すいませんでした……」


 本日二度目の恥ずかしさとふがいなさにうなだれ、カズトが補充された駆動液の返却を申し出ようと決意すると――強制的にされるよりは気持ちよくここを出られるはずだ――、鈴の鳴るような声が聞こえた


「いくらならありますか?」

「え……?」


 カメラの視界にはその声の主は映っていない。

 カズトが思わず操縦席の殻を開くと、キウスキの下半身部分の前に、女が立っていた。

 年の頃は十代終盤といったところか、作業着などを着せるのがもったいないような、目の覚めるようなかわいらしい金髪の娘だった。


「予算に合う量だけ残しますよ。既にアクチュエータと反応しちゃった分も勘定に入れますけど」


 砂漠に咲く、一輪の花!

 童貞男の大袈裟な例えではあるが、カズトは思わず操縦席で感動に震えた。

 名前を聞く勇気すらないが、今はこの歓喜を心に刻み込んでおこう。

 そう決意しつつ、彼は礼を述べた。

 キウスキの動画撮影機能が死んでいることに歯噛みしながら。


「あ、ど、どうも……その……」

「おいくらまでにしますか?」

「い、一万二千で!」

「はい。その分まで抜いちゃってー」


 彼女の合図に応じて別の男がカズトの機体のタンクのカバーを開くと、そこにノズルを突っ込んで吸引を始めた。

 一時は最大値を示していた駆動液の充填率が低下し、すでにアクチュエータと結合した分も勘定に入れた量に達したのか、下がり続けるメーターの針は七割にわずかに届かない所で止まった。

 現在所持金、一万四千。これはおよそ全財産だ。

 駆動液の代金を支払えば残りは二千、駐機場の代金がこの町の相場で一日最大三千ほど。

 宿は取らずにキウスキの中で夜を明かす計算にしても、今日から早速駐機場所に困ることになる。

 それ以前に、食費は?

 駆動液は、五日間は持つ計算になる。

 機体全体が非常に老朽化しているが、壊れた左腕は液の循環を止めているのでその分を勘定に入れるともう少し延びる。


「ごめんなさいね、最近きな臭いから、六ヶ月連続で値上げさせてもらってるんです」

「そ、そりゃそーだよね! お互い大変なんだなー、ははは……」


 大丈夫、今日中に次の仕事を見つければ食事の問題は無い。

 何より、この娘の前でこれ以上見苦しい点を晒してはならないという重度の童貞特有の思考が、カズトの計算を誤らせた。


「ありがとうございましたー!」


 格好を付けて機体の背を店のガレージに向けたままキウスキの右手の親指を立ててみせると、カズトはそれでも爽やかな気持ちで機体を歩かせた。

 小太りで不器量、髪も日に日に薄くなりつつある冴えない四十路の男、それが巨人乗りのカズト・ヴァーズナの現実だった。

 だが、そんな彼でも己の身にいいことがあれば、通行人に十分な注意を払って自動巨人を移動し、時には他人に道を譲ってやろうとすることもある。

 機内に設置されたゼンマイ式ラジオのゼンマイをまき直すと、彼はキウスキの進路を斡旋所の方向に定めた。






 結果から記すと、仕事は見つからなかった。

 傭兵としての腕ならばまだしも、カズトは自分の知識に自負があった。

 警官たちに自分のオリジナル・構築(アッセンブリ)を見られてしまったのは心外だったが、自動巨人に関してはまさしくオタク(ギーク)だったと言っていい。

 整備作業もそれなりに出来るという自負があった。

 だが、彼のキウスキの全身の整備不良、特に左腕と足まわりについて言及され、言葉に詰まったカズト(と、彼の愛機であるガタの来まくったキウスキ)を巨人整備士として、ましてや戦闘要員として雇う者など、少なくとも彼が寄った七カ所の斡旋所のどこにもいなかったのだ。

 今日中に出来る仕事と言えば簡単な日雇い作業しかないが、今日に限ってどこも枠が埋まっていた。

 隣国の戦争の影響で、雇用状況が悪化していたからだ。

 砲弾が飛んでくるかも知れない状況で、一時的とはいえ撤退する企業も増え続けていた。


「なんもかんも政治が悪い……」


 もっとも、カズトは政治など、全くと言っていいほど分からないが。

 彼は仕方なく、別の町へとキウスキを移動させようと町の外へ移動した。

 南の町まで行けば、何とかなるだろう。

 駐機代に充てる予定だった金をわずかな水と食料に変え、彼は賭に出たのだ。

 だが、それが裏目に出た。


「んぁ?」


 先ほどから彼を追尾してくるエンジン音がさすがに気になり、キウスキの視界を後ろに向けると、そこには銃座を積んだ車の一団が見えた。


(野盗……!?)


 安価な中古自動車に銃座を積んで即席の機動戦力にすると言う、近年海外でも有名になったあれだ。

 銃弾の群が殺到する前に、彼は逃げた。

 キャラバンも組まず護衛も保たない古びた自動巨人とその乗り手などはパーツと奴隷にしか使い道がないが、それでも彼はターゲットとなり、カズトはとにかく逃げた。


「ちきしょう! 俺が何したってんだバーロー!!」


 無様に汗と涙と鼻水にまみれ、砂漠では貴重な水分を浪費しながら逃げた。

 善悪や良不良の次元ではなく、単に不用心であればそこに良からぬ手合いが群がるという常識の問題なのだが、それでもカズトは全てを呪って愛機の脚が保つことを祈った。

 障害物が比較的少ない砂漠の地形は自動車に有利、だがカズトはよく立ち回り、キウスキもいくつか弾丸を受けつつよく耐えた。

 非武装なので逃げるしかないのだが、それなりの健闘だった。

 そして気づけば、彼はよく分からない場所にいた。


「……どこよここ」


 疲労と動揺と汗と喉の渇きとで掠れるような声しか出せなかったが、カズトは目の前に広がる無人の町をキウスキの視界で見渡し、そう漏らした。

 下半身からも少し液体が漏れてしまっていた気がするが、気のせいに違いないと願う。

 改めて見れば、乾いた粘土で作られたかのような、古めかしい町並みだ。

 人気はないが、遺跡だとしたら観光者か研究者の一人もいそうなものだ。

 とりあえず、追っ手がまだいるかも知れないのでキウスキを歩かせ、謎の町並みを進む。


(本当に人の気配がねーな……こんな町があったら俺だって知ってるはずだけど)


 あまりの静けさに、カズトはこの町が自分の見ている幻覚か何かなのではないかという可能性に思い至った。

 水分の欠乏でなど脳が存在しないものを見るというのは、有り得ない話ではないだろう。

 だが、キウスキの右腕で建築物に触ってみると、確かに反動がある。

 操縦席を解放して身を乗り出して触れれば、そこには素焼きの煉瓦に近い感触があった。

 それにしては継ぎ目が碌にないのを不思議に思いはしたが、しかしそれでも、この町は確かにここにあるようだ。

 それ以外のことは依然として分からないままだが、そろそろ落ち着いてきたせいか、空腹が酷くなってきた。

 キウスキの駆動液にまだ余裕はあるが、このままでは先に操縦者が行動不能になってしまう。


(何か……食い物か水がねーかな)


 水も食料も、積載した部分に被弾して無くしてしまっていた。

 こんなよく分からない遺跡じみた場所へと踏み込んだ不可解さで紛れてはいたが、今やカズトは水か食料がありはしないかと町を物色するこそ泥だ。

 しかし、水道や食料庫はおろかまともな家具調度すら、この町の家々には存在しなかった。


(どこを覗いても箱の中にテキトーな仕切りがあるだけじゃねーか……!?)


 どう考えてもおかしい。

 カズトは空腹に痛む腹をさすりながらものろのろと操縦桿を動かし、キウスキをひときわ大きな町の中心の建物へと向かわせた。

 城のような印象だ。

 今までの成果が成果なので、あの重厚な壁の内側にも宝物やら食料がある可能性は低い。

 だが調べないわけにも行かない。

 全高四.五メートルのキウスキが立ったまま歩いても問題がないほど各部屋の通路は高く、またキウスキが二台そのまま行き交えそうな幅があった。

 そのまま城の奥まで直進すると、最奥らしい広い空間に出た。

 天井はドームになっており、恐らく頂点までは五十メートルはあるだろう。

 外から見た城の外観とも、おおむね一致する。

 そして、その空間の中心、階段が同心円状に一段一段せり上がっていった頂上に、目立つ構造が見えた。


(祭壇……?)


 考古学など門外漢も良いところだが、とにかくカズトはその装飾の施された直方体の調度をそういうものだと解釈していた。

 “祭壇”の上には、四本の燭台に囲まれた小箱。

 幅の広い階段を数段あがって、キウスキの右腕をそこに向かって延ばす。

 移動させずに蓋だけを開くと、そこには古いランプが入っていた。

 油を入れる容器に取っ手と灯芯を差し込む口がある古いタイプで、電気照明やガラスを使用したランプが普及した現代では博物館や古い民話、土産物屋でしか見ることがないような、古めかしいランプだった。

 爆発物などが仕掛けてある訳でもないだろう、彼はキウスキを降り、そのランプを手にとって調べてみた。

 横倒しになって入っていたそのランプには油が入っているわけでも、植物油を染み込ませるための灯芯が刺さっているわけでもなかった。

 まして、喉を潤したり腹を膨らませたりするような物は何もなかった。当然ではあるが。

 カズトは落胆し、運転席にふらふらと戻ると背もたれに倒れ込んだ。


「ちくしょぉ……こんなとこに迷い込んで……手に入ったのがこれだけとか……!」


 いよいよ喉が渇き、空腹が抜き差しならぬ物になってきた。

 舌も湿り気を失い、頭が朦朧としてくると、ついに幻聴までもが聞こえてくる。


「おーい聞こえるか」

「……」

「ワシワシ、ワシだよランプの魔人だよ」

「…………」

「いろいろ制限があるが、おまえの願いを三つまで叶えてやるぞー」

「………………」

「喋れないほど衰弱しとるか。困ったなー……しょうがないから願いを一つ消費して、まずはおまえをまともな状態に戻すぞ」


 ひとしきり幻聴を聞くと、カズトの渇いた口の中に何かが差し込まれるのがわかった。

 そして更に喉まで進入してくる、潤い。

 水だ。

 命の液体は徐々にカズトの意識を回復させてゆき、彼の全身に僅かだが、力が戻った。

 意識までが明瞭になると、彼の目の前に半裸の男がいるのが分かる。

 端整な顔立ちの美青年で、頭には飾りのついたターバンを巻いていた。

 運転席の入り口に足をかけて乗り出してきており、その左手で上部の縁を掴み、右手には水の入っているらしき瓶を持っている。

 それを、カズトに飲ませたらしい。


「……あんたは」

「聞いてなかったのかい、ランプの魔人さまだぞよ」

「……状況がぜんぜん飲み込めねーんだけども」

「まあ、無理もないか」


 その男はそう呟くと、今度は小さな白い粒を彼の口の中に押し込んできた。


「こぽっ!?」


 辛さに驚くが、塩だった。小さな塩の塊。


「水だけでは血が薄まって体に悪いぞえ。ほれ、残りの水」

「お、おう……」


 美男子なこと以外は特に不快になる要素もなく、また害意も無いらしかった。


「まぁ、おまえが納得するかどうかは別じゃが……ワシが何者か、改めて一通り話すぞよ」


 その口から、カズトはそれなりに興味深い話を聞いた。

 まだ神々と人類との境界線が曖昧だった時代、弱者の願いを叶えるために作り出された超常の器物の一つ。

 誰に作られたのかは魔人自身も知らないらしいが、それでも人々の願いを叶えてきたのは本当なのだという。

 二十年に一度――作られた時代とは惑星の自転や公転の速度が僅かに違うため、徐々にずれが生じてきているらしいが――、こうして人口密度の低い場所に都市状の生成物を作りだし、迷い込んだ旅人の願いを叶えるのだ。

 複数の人間が迷い込んだ時は都市を引っ込めて姿を隠してしまう――願いを巡って諍いを起こさないように――のだと魔人は付け加えたが、それなら野盗を振り切って一人で迷ったカズトが入り込めたのも納得がいく。


「そういう訳で、納得してもらえたかのう」

「まぁな!! しかしうめぇ!! 三ヶ月ぶりの皿に載ったメシ!! フオオオォ!!」


 既にカズトはキウスキを待機状態にして運転席を降り、用意された大量の料理を貪っていた。

 ガツガツと皿の料理を平らげ続け、ついでに感動しながら食べかすをまき散らす意地汚い肥満気味の中年男に向かって、ランプの魔人だと名乗る青年は呆れたように呟いた。


「おまえも苦労しとるんじゃなあ」

「ランプの魔人最高!! むごー!!」






 タイミングを見計らっていたのか、からりと匙を置いて満腹の一息を吐き出したカズトに向かい、ランプの魔人が話しかけた。


「さて、もういいかの」

「んぉ、ごっそーさま……」

「おまえ、では不便なこともある。ワシは名も無きランプの魔人なので名乗りようがないが、おまえの名を教えちゃくれんか?」

「……カズト・ヴァーズナ」


 人間でないのは事実だろうと思い、カズトは食事の礼も兼ねて名乗った。

 まだ腹の中がパンパンだったが、そのくらいはやぶさかでもない。


「ではカズトよ、二つ目の願いを言うがいい」

「そうだなあ……」


 彼の願いを叶える力というものは、カズトの目の前に転がる空っぽの皿を見るだけでも分かる。

 ランプの魔人は一切の調理環境や食材無しに、これらの料理を皿ごと出現させたのだ。

 カズトの命を優先したとはいえ勝手に願いを一つ決められてしまったのは残念だが、それで命が助かったことは事実であるし、何よりまだ願い事は二つも残っていた。

 慎重に考えればいいだろう。

 二つ目の願いは……


「うん、(きん)だな! えーと、自然金(しぜんきん)ってのがいいな」


 カズトはまず、そう答えた。

 現代経済は為替相場に移行しつつあるとはいえ、金の価値は未だに絶大だ。

 延べ棒や金貨は全て国際市場や発行国の管理下にあるためおいそれと手が出せないが、自然金、つまり採掘したてのものを用意できるならば、少量ずつを長期に渡って換金していけば足はつきにくい筈だ。

 やや曖昧な知識だったが、下手に紙幣などを作って正規の物と番号が重複するなどのトラブルは避けたい。

 だが、魔人は少々冷ややかさの混じる視線で彼を見ると、告げる。


「量を言わんか。この星の推定埋蔵量を超えて出してやってもいいが、一応世の中が大混乱に陥るであろうことは義務として忠告しておくぞよ」

「えーと、量はその……一トンでいいか。隠し場所は……ちょっと待ってくれるか、それとも待つのも願い事に――」

「隠すまでもなかろ。金の比重は水の約二十倍じゃから、体積は同じ重さの水の約二十分の一。重さはともかく大してかさばりはせんよ。その巨人とやらに載せとけ」


 魔人がそう告げるなり、彼らの目の前に表面がごわごわとした金色の塊が出現した。


「……何これ」

「金だぞな。おまえのいう通り、地中の自然金をある程度持ち運びやすい形状にして持ってきた。なので、ちと約束と違うが銀も混じっておる。量れば一トンを少々オーバーしとるが、いいよな?」

「いいけど……意外と小さくね?」


 カズトの目の前にあるのは、およそ一辺が二十センチほどの、概ね方形の断面をした、一メートルほどの長さの角柱状のゴテゴテした物体だった。

 彼のイメージする“一トンの金”とはだいぶ違う。


「水かて一トンは一立方メートルの立方体だぞえ。現代の相場は良く知らんが、おまえ一人が不自由なく生きるには十分だと思うがなあ」

「ま、まぁいいや。俺は出来れば巨人乗りとして身を立てたいんだ。元手になりゃあ十分だよ。そんで、最後の願いだけど……」


 その時、ふとカズトの機体の運転席に乗せていたラジオから聞こえてきた音声が――付けっぱなしだったのだ――、彼の耳に入った。


『戦闘が行われています! ただいま我々のいるアルシノーイ市は、砲撃を受けております!! あっ、じ……自動巨人です! どこの所属かは明らかではありませんが、自動巨人がこちらに向かって――』


 ゼンマイ切れか、それともリポーターたちが攻撃を受けたのか、音声はそこで途切れた。


「……アルシノーイって」


 三時間ほど前まで、カズトがいた町の名だった。

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