勇者の不安しか残らない旅立ちについて。
さてさて、あのエステル・ユーファミアが聖剣を抜いたとアサロンの城下町では噂になっていた。
彼は、その年にして『黒剣のエステル』として諸外国にまで名を響かせているような強者である。性格に難さえなければ英雄としてあがめられてもおかしくないほどの実力者である。
そう、それほどの実力者が聖剣を抜き、勇者となったというのは本来ならば喜ばしい事であり、アサロン国民としても安心して勇者に全てを任せられるはずである。本来なら。
しかし、抜いたのは実力者とはいえ、あのエステル・ユーファミアである。
外道で卑劣で、お金が大好きで、性格が悪いと噂の……である。
城下町の人々は不安そうな顔で、王宮を見上げているものであった。
エステルが聖剣を抜いて数日、エステル・ユーファミアは勇者としてのお披露目さえもまだなされていない。勇者というものが現れれば、毎度の事お披露目式というものがなされる。それはこの国に勇者が生まれたということを知らしめることを目的としたものだ。
先にそれを行い、魔王を倒すに相応しい実力を身につけさせてから(元から身についている人はすぐに)、旅立つものである。
お披露目式がまだなされていないのは、なぜだろうか。そして王宮から流れてくる噂に不安を感じている者たちも多くいた。
その噂といえば、『勇者が国王を脅している』、『勇者が魔王を倒すことを渋っている』、『勇者が魔剣を所持している』、『勇者が王宮を支配した』、『勇者が王宮の人々を戦闘不能にした』とか、どこから信じたらいいかわからないような噂であった。まぁ、大体あっているのだが。
エステル・ユーファミアという男はそれだけ悪名高く、信用がない。実力面に関しては信用はある、しかしやはり性格が難がありすぎた。
そんなわけで国民たちは大いに不安を感じていた。
そんな中で、突然『勇者が魔王退治に出発する』というお触れが出された。
お披露目式もやらずに出発とはどういうことだろうか? とアサロン国民たちはそれはもう首をかしげたものである。しかしそこは、あのエステル・ユーファミアが勇者なのだから例外ぐらいあるだろうと無理やり自身を納得させたものである。
そして勇者が出発するということで、その日、王都に住まうものたちは魔王退治に出発する我らの勇者を一目みようと集まったわけである。
だが、しかし。
「あぁ? なんだ。この野次馬はめんどくせーな」
集まった国民に対してエステルはそんな暴言を吐いた。
それに周りの空気が固まったのも無理はないことである。そもそも勇者というものは、その国の希望を背負っているものであり、総じてまっすぐで性格が良いものばかりであった。まぁ、悪い言い方をすれば単純で、勇者になったからには絶対に魔王を退治する! 皆の期待を俺が背負っているんだから! といった意気込みを自然と感じるようなものばかりであった。
だから『僕、頑張ります』、『絶対に魔王を倒して見せます』とか、そんな感じの言葉が、勇者の口から放たれるのが当然とされていた。だというのに、この勇者は勇者に夢を見て集まった国民たちに向かって、めんどくさいなどと口にしているのである。
「エ、エステル・ユーファミアよ。その言い方は――」
「うるせぇ、国王様よ。俺は確かに勇者として魔王を討伐してやることは了承してやったが、見世物になることなんて了承してねーっつーの。わざわざ俺が出発する日を公開して何がしてーんだよ」
エステル、国民の前だろうとも慌てて止めにはいったアスロン国の王に向かってその言いぐさである。国民たち、絶句である。
「それは貴様が勇者だろうとぶれ――」
「あー、はいはい。国民の前で威厳を保ちたいんだか知らないけどそういう言い方するんだな。ならこっちにだって考えがある。このこく――」
「ま、待て。すまぬ」
「わかればいいんだよ。とりあえず、この野次馬共がうざいから俺もう行くから」
さらっと国民に知られたらまずいような情報を言おうとしたエステルに、国王は国民たちの前だというのに慌てて謝った。
そしてエステル・ユーファミアは集まっている野次馬たちが面倒で仕方がなかったらしく、彼らが絶句して、エステルの態度に固まっている間にさっさと王都から出ていくのであった。
それから正気に戻った国民たち。
ある者は「あんなのが勇者なんて」と顔をゆがませ、ある者は「国王陛下になんて無礼な」と憤慨し、ある者は「聖剣を持っていないようにみえたのだがどういうことだ」と疑問を持ち、ある者は「おひとりで行かれたけどどういうことなんだろう」と声をあげ、まぁ、それぞれがそういうわけで王宮に対してエステル・ユーファミアという今代の勇者についての情報を求めたわけである。
国王陛下含む王宮のものどもは隠していても仕方がないということと、嘘を告げ後からバレても仕方がないと正直にエステルの事を話すのであった。
国民たちはエステルが聖剣を置いていったこと、仲間をいらないといったことなどを聞き(流石に交渉については伏せてある)、不安しか残らないのであった。