エステル・ユーファミアという男について。
ある部屋の一室で、一人の男が椅子に腰かけて資料をめくっていた。男の職業は情報屋。
依頼を受け取り、その情報を集め、荒稼ぎしているのが髪を茶髪に染めた男――シサス・ディルルだった。
王族、ギルド、騎士団―――様々なものが情報を求めてシサスに依頼を持ち掛ける。この国でも有数の情報屋。それがシサスであった。
「エステル・ユーファミアか…」
シサスはその名を呟く。
めくられる資料に書かれているのは、エステル・ユーファミアという名の少年についてだった。
”エステル・ユーファミアについての情報を求む”、その依頼はとある貴族からの依頼だった。青ざめた、必死な形相に依頼を受ける事にしたのだが、資料を読めば読むほど相手が悪いと苦笑を浮かべてしまう。
シサスが情報網を調べて集めた情報には次のように書いてあった。
エステル・ユーファミア。
聖歴855年8月3日生まれ。16歳にしてギルドで『黒剣のエステル』として名をあげている。辺境の村で生まれ、エステルが10歳の時、エステル以外は奇病で死に至り、エステルのみが生き残った。
村人の死後、ギルド登録が出来る15歳まで『シャスイの森』で暮らす。
ギルドの強者としても有名だが、その情報収集能力は侮れない。掴んだ貴族などの不正の情報を国に密告するのではなく、貴族を脅して金を稼いでいる。
性格は外道。自分の利益にならなければ動かない。気にいった人間にはまだ優しいと噂だが、他の人間には一切興味がない。
拷問のプロとも言える所業で、情報を吐かせる。
金髪に、青い瞳を持つ、いわゆるイケメンであり、天才。しかし危なすぎて近づくものはほとんどいない。
必死に助けを請う一般人に向かって、「金は幾ら出せる?」と聞いた話は有名らしい。
本当に、相手が悪すぎる。とシサスは思う。
調べてみてわかったのだが、エステル・ユーファミアという男は恐ろしいほどに容赦がなく、外道である。
そもそも『シャスイの森』には魔物がうじゃうじゃいるはずだ。そんな中で平然とギルド登録できる年まで生きているあたり異常なのだ。
『○○の~』などといった通り名のようなものが僅か16歳の少年についているのも異常だ。
依頼をしてきた貴族は、恐らくエステル・ユーファミアに脅されている貴族だろうと、シサスは思う。
弱味らしき弱味も、エステル・ユーファミアにはない。
そもそもこれだけの誰でも知っていそうな事を調べるだけでも相当な時間を食ったのだ。これ以上調べれば、こっちが勘付かれ、エステル・ユーファミアに狙われることだろう。
自分にはむかう者、自分を調べる者。
そんな者達を見つけたエステル・ユーファミアの対応といえば冷酷以外何でもない。絶対的服従を誓わせ自らの手足になり下がらせたり、拷問を用いて精神的ショックで立ち直れないほどに追い詰めたり……。
魔法や剣術に関しても未知数の強さを誇り、その力は圧倒的だ。”天才”の名をほしいままにしながらも、金稼ぎという自分の趣味に全うして生きている。調べたところによると、守るものも彼にはない。人質にとれそうな人間はいない。
過去に、エステル・ユーファミアの知人のギルド員が人質にとられた時もエステル・ユーファミアは躊躇いさえしなかったと聞く。
そこまで、考えた時、ほのかな花の甘い香りが、鼻を掠めた。
甘い甘い花の香り―――。視線を上に向ければ、窓の外から一羽のアゲハ蝶がそこにいた。羽ばたきながら部屋に侵入してくる、アゲハ蝶。
「見ぃつけた」
甘い香りが漂うと同時に、何処からか声が響いた。
楽しそうな、愉快そうな声が。ハッとなってシサスがあたりを見渡すが、見渡す限りには誰も存在していない。
ドクドクと、体の心音が上がるのがわかる。何処までも愉快そうな声に、ゾクリと身が震えたのがわかる。頬を伝っていくのは、一筋の汗。
「あははは、固まった固まった。固まった」
何処からか見ているようなそんな声が響く。
「はは、震えてる震えてる」
首筋を通り抜けていく寒気。ああ、居る。エステル・ユーファミアが、居る。それを思うだけでシサスの体は大きく震えた。
「捕まぇた」
響いた声と同時に、いつの間にか首に一本のナイフがあてられていた。首に当たった感覚に、震える。後ろにいる存在の気配に、震える。
「なぁ、死ぬのと死なないの、どっちがいい?」
聞こえてきたまだ幼い少年の声に、シサスは確かに恐怖していた。
首筋にあてられたナイフは、エステルが力を入れただけで、シサスの命を奪い取ってしまう事だろう。何よりも恐ろしいのは、彼が何処までも楽しそうな声を上げることだ。
「死ぬならこのまま楽にしてやる。死なないなら俺の下僕コースかな? もちろん逆らったら一発で殺すけど。俺調べるのは好きだけど、調べられるのって、すげぇ、不愉快」
楽しそうな声が、一気に冷たい声へと変化していく。
不愉快、という言葉と共に、ナイフを握った手に力がこもる。
「…ま、待ってくれ!!」
「死ぬか、死なないか、選べ今すぐ」
「な―――」
「はい、十秒以内な。10、9、8―――」
カウントダウンを進める男の声は、何処か楽しそうだった。
「し、死なない!!」
シサスは叫んだ。それはもう、必死に。相手が十代の子供だろうとも、相手はエステル・ユーファミア。有言実行の男。返答次第で、誰であろうと殺す。調べていて、それがすぐにわかったシサスは思わず叫んだ。
「オッケー。じゃ、これプレゼント」
首からナイフが離れたと思うのと同時に、触れられた部分が熱を持ち、焼けるような痛みにシサスは襲われた。ジリジリジリ―――と皮膚が音を立てているのを実感する。
「―――っ」
痛みに思わず左手で首元を抑えるシサスを、すぐ後ろに立っているエステル・ユーファミアは笑いながら見ている。
「お前の体に、印を刻み込んだ。俺を裏切れば即死する印だ。解印師に頼もうとしても無駄だぜ? 俺のは特別製だからな」
印……、その単語にシサスは呪印と呼ばれるものが自身の体に刻まれた事を理解した。
呪印とは、その名の通り呪いである。解けるのは、解印師と呼ばれる特別な存在か、本人のみ。それでいて使い手は少ない、難易度の高い力である。
「じゃ、面白そうな情報全部俺に流せよ。あと俺の命令は聞け。後は自由だけど、逆らったら死ぬから」
―――そんな言葉と共に、エステル・ユーファミアの気配はその部屋から完全に消えた。
「……あの年で呪印まで使えるなんて」
エステルが去った後、鏡越しに刻まれた呪印を見たシサスは畏怖の感情を先ほどまでこの部屋にいた少年に感じていた。
ああ、情報屋仲間にも依頼主にも、逆らうなと告げなければ。あれには逆らってはいけない……、肌でそれを感じたシサスはそんな事を思うのだった。
シサスが解印師の元に駄目もとで行った結果、『こんな印初めて見ました…。すみません、無理です』と断られたのは別の話である。
ある小説にネタとして感想で書いたら、その作者さんが長編であったら面白そうといってて、書いてみるか、と思ってできたもの。
書く気分になったら結構書いちゃうので。
更新は不定期です。
呪印は呪いです。