フリーランス 4
この「世界」は楕円形をしている。
天上から見下ろした時、確かにそのような形をしていた。
地図に書くと理解しやすくなる。川原に転がっている水切りに丁度良い形の石のような楕円形。
4大国によって、楕円形の「世界」を東西南北で4等分されていた。
「風の国」は東に位置する。4大国の再開めが交錯する国境から、山や川、森など自然溢れる平野をさらに東に行くと「風の国」の城下町が見えてくる。
この国の町は城砦を頂として山のような形に広がっている。
高貴な者は上へ、そうでない者は下へ。
完全なる縦社会……それが「風の国」である。
貧民街は「風の国」で最も低い位置にある街だった。
田園地帯のある地表よりも低い。元々ではなく、過去の地震による地盤沈下で沈んだ街だ。地表より2m程低い街は風雨の影響を必ず受け、生活環境は城下町で最悪だった。
「風の国」は縦社会。高貴な者は上へ、下賤な者は下へ。
その意識は民の底に根付いており、最も低いその場所は自然と貧民街と呼ばれるようになり、近づく者は少ない……
貴族、アイリーン・B・シルバは貧民街に足を踏み入れていた。
「何故、わたくしがこの様な所に来なければいけないのかしら……?」
滑らかな布で口元を押さえブツクサ言いながら歩を進める。
銀髪を二つに纏めたアイリーンは胸を守るチェストプレートにガントレットを身につけ、赤いマントを翻しスチールブーツでひび割れたレンガの道を歩いていた。腰には小ぶりな一振りの長剣。その柄には赤い精霊石と、「風の国」の平原において最強の動物と噂される「レオー」を模した紋章が刻まれていた。
貧民街に人影は少ないが、アイリーンは視線を感じていた。
「あちこちから見られてますわね」
アイリーンは鼻を鳴らして視線を確かめる。
暗い路地裏や人が住めそうにないレンガの建物から見られているのを感じる。
赤いマントは騎士だけが着用を許される。大方、アイリーンを騎士として隠れているのだろう。
「土地が低いせいか空気が淀んでますわ。それに少し臭い。早くエリス嬢を助けて、城で湯浴みでもしたいところですわね」
現在、フリーランスの手がかりを見つけるために、ジャクソン分隊長とベンとは別れて行動している。敵の根城を発見する時間を短縮するためだ。
発見でき次第、通信用ギアで集合をかける手はずになっている。
(アイ、ここは我慢ですわ。お兄様のために、まずは手柄を立てないと……)
アイリーンは貧民街を一人進んでいく。
●
食事が終わり、一服したフリーたちは談笑していた。
他愛もない話ばかりだ。それなりに楽しく時間を過ごし、気づいたときには小1時間が経過していた。
フリーたちがアジトにエリスを運び込んだのは、彼女が気絶してしまったからだ。彼女には起きて、自分たちが誘拐犯ではない事を証言してもらわないといけない。
気絶したまま城に行ったとしよう。
たちまち誘拐犯扱いされ、投獄されるだろう。
エリスに食事を振舞ったのも敵ではないことをアピールする意味もあった。食事は終わり、彼女はすっかり元気を取り戻して笑っている。
当初の目的を果たすときが来た。
「さてと、行くとしますか」
「? 何処へですか?」
椅子を立つフリーにエリスが疑問を口する。
「もちろん、君を家まで送り届けるのさ。一人じゃ帰れないだろう?」
「いいえ。お城は城下町の何処からでも見えるので、きっと一人で帰れるのです」
「ま、そう言わずにさ。俺たちを助けると思って、俺に君を送らせてくれ」
「でも、ご迷惑じゃありませんか?」
『全然ッ』
フリーランスの3人の声が重なった。
フリーたちの目的はエリス奪還の報奨金だ。騎士団を動かしたにも関わらず平民に先を越されては、国も金を支払わないわけにはいかないだろう。もちろん、騎士団の面子を守るための口止め料的な意味も含めてだ。
このことは心証を悪くするためエリスには伝えてはいない。
目の前で首をかしげているこの少女が、フリーたちの裏事情を知る必要もないだろう。
フリーは愛用の黒服に剣を携えた。懐から何かを取り出す。「レオー」を模した紋章だった。貨幣の倍ほどの大きさで、細い鎖でフリーの首に吊るされている。
(衛兵に絡まれたらコレを使うか……面倒だがな)
懐に紋章を仕舞った。
「フリー、くれぐれも粗相の無いようにね」
アーチャーが調理道具を片しながら言う。
「エリスちゃんが可愛いからって襲うなよ、わはは!」
ランスが茶化してきた。
保護対象に乱暴を働くはずがない。フリーは女性の好みに煩い方ではないが、エリスのように幼い雰囲気の娘に手を出すつもりはなかった。
エリスは妹のようなものだ、今日限りではあるのだが。
「行こうか?」
「はい!」
エリスが元気に立ち上がった。
「皆さん、ありがとうございました! 精霊焼き美味しかったです、ご馳走様でした!」
「またいつでも来てね。はい、コレ精霊焼きのレシピ。お城で作る事は無いと思う行けど」
アーチャーがエリスの手に紙切れを握らせる。
エリスの礼にアーチャーはこう返した。
「その時はお城のお土産も持ってきてくれると嬉しいわ」
「俺は金色のお菓子だと嬉しいぜ!」
ランスの言っているのは金貨のことだろう。
ちなみに銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚に交換できる。銀貨10枚あれば平民なら一月程度食っていける金額だ。金貨は大金である。
ランス流の冗談なのだろう。
「分かりましたです! 金色のお菓子ですね、探しておきます!」
それをエリスがどう捉えたかは分からないが。
「行くぞ、エリス」
「はい、フリーさん」
フリーたちは貧民街へと足を踏み出した。
アジトを出ると貧民街の古びた建物が目に入ってくるが、それはフリーにとっては見慣れた光景だった。
窓が割れた家もあれば、入り口の扉がない建物もある。過去の沈下で石畳の道には亀裂が入り、割れた窓の破片や腐臭を放つゴミが散乱していて衛生的にはよろしくない。
しかしフリーにとっては見慣れた貧民街の風景だ。
「なんだか……凄いですね」
エリスは初めて見る貧民街に驚いていた。
「この国にこんな所があるなんて……」
「きっと、どこの国にだってあるさ」
問題を抱えていない国なんてない。そして問題や体内の毒は、いつも上ではなく下にしわ寄せとして降ってくるものだ。
フリーは貧民街で暮らしてきたから分かる。
この貧民街のような街は、決してこの世から消えてなくなる事はない。
フリーが視線を上に向けると、まるで天を突くようにそびえ立つ城砦が目に飛び込んできた。目を細めている。フリーは何かを思い返しているようにも見えた。
「エリスはお城に住んでるんだったな」
フリーはエリスに訊いた。
「はい、そうですけど、何か?」
「どうだ? 普段見下ろしている街を実際に見てみて、エリス、君はどう思う?」
「えっ、と……」
エリスは数秒逡巡して答えた。
「良くない、と思うのです」
「良くない、というと?」
エリスの言葉をオウム返しする。
「私たちだって、この貧民街の人たちだって、同じ国の住民です。皆、同じ暮らしをするのは無理でしょうけど、最低限の生活をする権利は誰だって持っているはずです。でも私の周りの人たちは口を揃えて言うのです」
エリスは少し唇を強く結びフリーを横目で見た。言いにくい。そんな風に見て取れた。
しばらくして、エリスは口を開いた。
「貧民街の奴らは人間じゃない。だから関わっちゃいけないって、皆さんは言うのです」
「……そうかい」
エリスの言葉は貴族の持つ共通理念として通用するものだろう。
貴族は平民をいつも見下している。貧民街の人間は特にだ。人間扱いされていないのは薄々感じていたが、エリスの口を通じて聞かされ、フリーの実感はさらに固くなる。
エリスは上流階級の人間だ。フリーは思う。彼女も他の貴族と変わらないのかもしれないな……と。
「でもそれは、間違いだと気づきました」
エリスは言った。
「フリーさんもランスさんも、アーチャーさんも皆優しかったです。皆、人間でした。お城の人たちの言っていることは間違っていると、私は思うのです」
「……そうか。ありがとうな、エリス」
フリーが感謝の言葉を述べたが、エリスは何故言われたのか理解していない風に見えた。
貴族が全てエリスのみたいなら良かったのにな……。平和なエリスの頭の中では貴族と平民の対立していないのだろう。彼女のような人間ばかりなら、戦争なんてきっと起きない。
……国が、それで成り立っていくかは別問題として、だ。
「さてお嬢様。私がお城までエスコートして差し上げましょう」
「お願いします。でも、私には触れないで下さいね」
手を差し出したところで、ホンの少し前のことを思い出した。
エリスはフリーは触れた途端に倒れた。理由は……分からない。フリーの特異体質が関係しているのだろうか?
また倒れられても厄介だから、今は触らない方が無難だろう。
「貧民街の出口はこっちだ。付いて来い、エリス」
「あっ、フリーさん待ってください」
エリスの前をフリーが先導した。エリスは慌てて後を追ってくる。
特に何事もなく、貧民街の出口までやって来た。
過去の地震で地盤沈下しているため、出入り口には大きなハシゴが掛けられており、住民はそれを使って出入りをしている。
ハシゴを上れば城下町で、後は城に向かって道なりに登っていくだけで貴族街に到着できる──
「やはり来たか」
大男が立っていた。
ハシゴの前に陣取り、フリーたちの進行方向を阻んでいる。銀色の軽鎧に赤いマントをなびかせている。大男は騎士だ。
フリーよりも頭一つほど長身で筋肉が盛り上がっており、背中には肩口程まである大剣を背負っている。
「なんだ、お前は?」
表情険しくフリーが聞いた。手は剣の柄に置き、エリスを庇うように体を前に出す。
大男はフリーを見下ろしながら鼻を鳴らした。
「それはこちらの台詞だ。貧民街の汚物が、我ら貴族に軽々しく話しかけるな」
「……ふん。その貴族様が貧民街に何の御用ですかね?」
「しらばっくれるなよ、この悪党が」
「悪党?」
大男の言葉にフリーは……身に覚えがありすぎた。
義賊「フリーランス」は別に「正義の味方」ではない。
フリーランスの仲間と平民の味方だ。
だから貴族から盗みを働くことだってある。だが、そのほとんどを貧民街の住民に分け与えたりしていた。そのため「フリーランス」の経済状況……要するにフリーたちの活動費用は破綻しかけだったりするのだが……。
大男は騎士だ。貴族への盗みでフリーたちを捕縛しに来たのだとしたら……問題である。
「悪党? 何のことだ?」
何にせよ、一度ここは白を切っておこうとフリーは言った。
「俺たちはこの街で静かに暮らしているだけだ。今まで、貴族様も貧民街は無視し続けてきただろう? このまま放っておいてくれないか?」
「汚物が。貴様の答えなんぞ聞いていない」
「…………」
厄介だ。
平民の訴え要求は一切聞かず、自分たちの都合だけを押し通すこの大男は典型的な貴族のようだ。最初から話し合う気がないのなら言い逃れも難しい。
「エリス嬢、お迎えに上がりました。この様な場所でさぞ深いな思いをされたことでしょう」
大男はエリスには紳士的だった。
「はぁ」
「さあ、城に戻りましょう」
「でもフリーさんが送ってくれると言っているのです。わざわざ探しに来てくれてありがとうございます。皆さんで一緒にお城に帰りましょう」
「その提案は了承しかねます」
「? 何故なのですか?」
エリスの質問の返答を大男は行動で示した。
背負っていた大剣を抜いたのだ。子ども1人分の重量は優にありそうな鉄の塊が軽々と持ち上げられる。切れ味ではなく重量をもって相手を叩き切るための武器だ。
「その男はエリス嬢を誘拐しました。悪党の答弁は地下監獄でしてもらうことになります。もしくは此処で死んでもらう」
「おいおい、勘弁してくれ。投獄とか面倒極まりないぞ」
「そうですよ」
エリスが大男に言う。
「フリーさんは私をお家にユーカイして、精霊焼きをご馳走してくれたのです。決して、悪い人ではありません!」
突如襲いかかって来た頭痛のため、フリーは頭を押さえてしまった。
大男の顔には勝ち誇った笑みが浮かべられていた。自分が正義だと信じきっている顔だ。説得は難しいだろう。
それにしても……
(天然だとは思っていたが……ここまでとは……)
酷いの一言だ。
エリスは何の意図も計算高さもないのに、一言で状況の泥沼化に成功していた。
(天然の策士? この娘……将来、悪女になったりしないだろうな?)
エリスの将来が心配になってきたが、状況が思考の脱線を許さない。
「情状酌量の余地はなし。どうだ汚物? 言い逃れできるか?」
大男がフリーを睨む。
「…………あぁ。だが面倒だからもういい」
フリーには大男は偏見でしか人を見れない上に粗暴な男のように見えた。
この手合いは腕にモノを言わせた方が良い。
どの道、大男が退かなければ貧民街の外には出れない。
大男は懐からギアを取り出して作動させた。
「こちらベン。賊を発見、これより交戦に入る。場所は貧民街出入り口」
「面倒だな。仲間が来る前に片ずけるとしよう」
「図に乗るなよ。この汚物が」
大男が馬も両断できそうな大剣を両手で構えた。大きい。間合いはフリーの長剣の軽く2倍といったところだろう。
フリーも剣の柄に手をかけた。
今、ここで捕まるわけにはいかない。エリスを城へ届けて報奨金を頂かなければ、フリーたちの生活がさらに苦しくなってしまう。
それに騎士団だろうが衛兵だろうが、今更のこのこ出てきて、彼女を連れて行かれるのは我慢ならなかった。
「俺の名前はフリーマン。義賊『フリーランス』のしがない鉄砲玉だ」
「騎士団第7分隊所属、ベン・C・レーション。貴様を地獄に送る男の名前だ。覚えておけ」
「嫌だね」
一触即発の空気が流れる。
眼光の鍔迫り合いの後、フリーは剣を鞘から抜いていた。
現在、仕事忙しく執筆が滞っています。
次回更新まで時間がかかると思われます。
1週間後までには更新できるよう頑張りますのでよろしくお願いします。