フリーランス 3
騎士団第7分隊は田園地区の納屋を探索していた。
「何てざまですの……」
アイリーンはとある納屋を見て、口惜しそうに呟いた。
「一足遅かったようですわね」
「そのようですな」
ジャクソン分隊長が応えていた。
納屋の古い木製の壁には大穴が開き、中には何者かに両断された精霊機が横たわっている。騎士団が管理している主力精霊機ハルシオンだった。柱には生まれたままの姿にされた誘拐犯と思われる男たちがくくりつけられている。
出発前に確認したエリス嬢の姿は見あたらない。
鉢巻だけは残されたままの男の胸に紙が貼られていた。
『義賊 フリーランス参上』
フリーランス……アイリーンには覚えの無い名前だった。
フリーランスがエリスをさらった子悪党を叩きのめし、彼女を連れ去った……しかも入手方法も撃退方法も不明だが、騎士団のハルシオンを撃破してだ。
ハルシオンは鋭利な刃物で斬り捨てられていた。
一撃だ。
犯人は相当の手だれだろう。アイリーンにも容易に想像できた。
「フリーランス……あの噂になっている賊か?」
「ベン、知っていますの?」
「ああ。ま、人並みにだけどな」
アイリーンの同僚のベンは、鉢巻男から紙を剥ぎ取ると彼の頬を殴った。
拳に装着されたガントレットが、鉢巻男の骨と共に鈍いを音を響かせる。鉢巻男が気づいた。
荒い息遣いで鉢巻男はベンのことを見ている。
「おい汚物。こいつらは何処に行った?」
「…………」
「答えろ。答え次第では減刑してやってもいいぞ」
「…………知るか」
鉢巻男は忌々しそうに吐き捨てた。
「知ってても教えてやんねえよ……テメエら、クソ貴族にはな」
「ふん、ゴミが」
直後、ベンの鉄拳が鉢巻男の顔面に叩き込まれた。
鼻を砕かれ血を滴らせながら鉢巻男の体から力が抜ける。
「衛兵。連行しなさい!」
「はっ!」
アイリーンが同行させていた衛兵に指示する。誘拐犯たちは柱から開放され、衛兵に連れて行かれた。
「さて、エリス嬢は何処に連れて行かれたのでしょうな?」
「おそらく貧民街だろうぜ」
ジャクソン分隊長の問いにベンが答えた。
「フリーランスの根城は貧民街にあると聞いたことがある」
「い、嫌ですわ。そのような汚らしい所にわたくしは行きたくありません!」
アイリーンが声を荒げる。
「貧民街は人の住む所ではありませんわ。国民権もない下賤の者が住む場所ですのよ。わたくしたち貴族が近づいてよい場所ではございませんわ!」
「その通り。ですから、潜伏するには好都合ということですな」
ジャクソン分隊長うなづいた。
確かにその通りだと、アイリーンも感じる。
貧民街は悪の巣窟だ。言うなれば、駆除し続けても消えることのない害虫の根城。だからアイリーンたち貴族は見て見ぬ振りをしてきた。
臭いものには蓋をしておきたい。
悪臭のする場所に近づきたい人間などいないだろう。アイリーンも同様であった。
だがエリスの救出は第7分隊に与えられた仕事だ。
「是非もなし、ですか」
「うむ」
「手がかりはない。手分けして探すしかないか」
第7分隊は貧民街に向かい、手分けしてエリスを探索することになった。
風の精霊石の微細な空気振動を利用した「通信用ギア」を片手に、アイリーンたちは貧民街に向かう。
(見ててください、お兄様! アイはお兄様の分まで立派に働いてみせますわ!)
騎士団が来る事を、フリーたちはまだ知らない。
●
「言うより見せる方が早いだろ?」
アジトの食卓にてフリーは呟いていた。
同じ机をランスとアーチャー、そしてエリスが囲んでいる。机の上には鉄板を加熱するためのギアが一つと、香ばしい香りを漂わせる精霊焼きがある。
フリーは自分の秘密をエリスに話そうとしていた。
フリーランスの仲間以外に知る者がいない秘密を説明するため、鉄板のギアに手を伸ばす。
「ちょっと待ちなさいよ」
だがアーチャーに阻まれた。
「この無能、アタシの調理道具に触るな。今までに何回ギアをおしゃかにしたと思ってんのよ?」
「う……」
「やるのならコッチにしなさい」
アーチャーが食卓にあった棚から手の平台のギアを取り出した。
小さなクズ精霊石が取り付けられている。色は赤、炎の精霊石だ。アーチャーがギアを作動させると小さい炎がささやかについた。
「あ、それなら私も知っているです。着火用のギアですよね。お城でも煙草を吸う人が良く使っているのを見ます」
エリスの答えにアーチャーが頷く。
「そうよ。火をつけるのに便利だし、何より安いわ。秘密を見せるにしても、高い調理器具で試すよりこっちでやってくんないかしら? ねえ、フリー?」
「うっ、す、すまん」
反射的に謝罪するフリー。アーチャーの赤い瞳に怒りの炎が灯っているような気がして、反射的に謝ってしまった。別に彼女が怖いわけではない。断じて、ない、とフリーは心の中で断言する。
アーチャーが着火用ギアを投げて寄こした。
ギアを受け取ると、フリーはギアを作動させて見せた。炎は上がらない。何度繰り返してもギアは作動しなかった。
「あらら、本当にギアが使えないんですね。何故でしょう?」
ギアは精霊石から抽出した魔力を様々な力に変換するためのモノだ。
魔力は大気中に充満している。しかしそれを凝縮させて扱う事は大抵の人間にはできない。だがギアを使えば、精霊石に凝縮された魔力からギアを通じて魔法を発動させる事が出来るのだ。
誰でも使える。それがギアだ。だから日常生活にもギアは溶け込んでいる。
しかしフリーの持つ着火ギアは作動しなかった。
「何故でしょう? とても興味深いです。面白いです。フリーさんはとても面白いです」
「……そりゃどうも」
エリスは好奇心に流されるままフリーを上から下まで凝視し始めた。
ま、普通はこうなるわな。ギアが使えない人間なんて前代未聞だから、見世物みたいになるのではないかと思っていた。
フリーの口から深いため息が漏れ、
「そうだ、フリーさんを解剖してみましょう」
「あのさ、さらりと怖い事言うの止めてくんない……エリスちゃん、そんな子だったのか?」
「もちろん、冗談ですよ?」
小首をかしげて見せるエリスの可愛い笑顔に身の危険を覚えていた。
食事中のエリスの笑顔は天真爛漫だったが、先ほどのはどこか張り付けたような印象をフリーは受けた。案外……本気で言っているのかもしれない。
気をつけよう。
こんな感想を抱く自分に呆れながら、フリーは着火ギアをエリスに投げた。
エリスは手で受け止めようとしたが落としてしまう。机から着火ギアを拾い上げた。
「なんですか?」
「動かしてみな」
「ほぇ?」
「火をつけてみな。そのギアを使ってさ」
エリスは戸惑っていた。フリーの言っていることが理解できない様子だ。
だが言われるままに着火ギアを作動させた。
火は……出ない。
「あ、あれ?」
エリスが何回かギアを作動させるも、火は出なかった。
「おかしいです。ギアの回路が壊れた感じはどこにもないのに……」
「わはは、そりゃそうだろ!」
その様子を見ていたランスが笑っていた。
「フリーが駄目にしたのはギアの方じゃねえ。精霊石の方さ」
「俺の台詞を取るな、ランス」
フリーが口をはさんだ。
「俺はどうにも特異体質でな。小さい頃から俺の体に触れると、精霊石が駄目になっちまうんだ」
「でも精霊石は魔力の結晶体です。触れただけで使い物にならなくなるはずがありません」
エリスの言う事も最もだ。
ギアの発展と共に、精霊石はギアの動力源としてしか見られなくなった。しかし元々は精霊が内包していた魔力が結晶化したモノだと言われている。
どんなクズ精霊石でも、子どもが大人になる程度の時間では魔力が枯渇することは、絶対にない。
「最近になって分かった事なんだが……」
フリーが掌を見ながら言った。
「俺の体は精霊石を駄目にしているじゃなくて、魔力をどうにかしてしまうようなんだ。魔力を消滅させる、吸収する、拡散させる……正確には分からないけど、俺の体に魔力は役に立たない」
「では、そのためにギアが使えないのですね?」
「まぁな。お陰でえらい不便な思いをしているよ。重宝するのは、戦いでの防御ぐらいで、バトルギアも使えないしな……やれやれ、面倒な体だよ」
フリーはこの日一番大きなため息をついていた。
「ホント、こっちはいい迷惑よね。今までに何個ギアを駄目にされた事やら。ねえ、フリー?」
アーチャーが意地悪な笑みを浮かべる。
フリーは面倒くさそうに苦笑を浮かべていた。
「ア、アタシがいないとアンタはホントに何にもできないんだから! 少し感謝しなさいよね!」
「どうもありがとうございましたこのご恩は一生忘れませんアーチャー様」
「凄く棒読みね!」
心なしかアーチャーの口元は嬉しそうに緩んでいた。
「おい、顔、赤いぞ?」
「う、うっさいわね! 精霊焼きとってあげないわよ! エリスちゃん、残りの精霊焼き全部あげるわ。しっかり食べてね?」
精霊焼きが切り分けられ、空だったエリスの小皿に積まれていく。
フリーの取り皿は空のままだ。
「勘弁してくれ。飢え死になんて死に方は嫌だぞ。面倒臭そうだからな」
「可哀想なフリーさん。私の分を分けてあげるのです」
「すまねえな、エリスちゃん!」
ひょい、ぱく。ランスに横から精霊焼きを掠め取られた。
「旨し!」
「てめえええぇぇ! 吐け、吐き出せ、俺の飯を返せ!」
フリーは絶叫した。ランスの肩を掴んで揺するも帰ってきたのは大きなゲップだけだった。
フリーの端正な眉がつりあがる。
フリーは食器を置くと席から立ち上がり、部屋の隅の剣の鞘を取った。柄に手をかけてると、眼光が獣のように鋭くなる。
「……決闘だ!」
食卓の場でフリーは剣を抜き放った。
許すまじ! 食べ物の恨みは深い……食べ物の恨みを思い知れ!
切れ味鋭い銀色の長剣は、中ごろから先がキレイに無くなっていた……鉢巻男の魔法で切り落とされたのをフリーは忘れていた……。
「ケットー? 何ですかそれは? 美味しいのですか?」
「エリスちゃん、見ちゃいけません。あれがカッコ悪い大人というものよ。エリスちゃんはあんな風になっちゃ駄目からね?」
「はい、肝に銘じておきますです」
「アーチャー、それより新しい精霊焼き焼いてくれよ!」
「分かったわよ。食い意地の張った団長さんね」
「……分かった。お願いだ、俺を無視しないでくれ」
剣を納めたフリーが泣きそうになりながら席に戻る。
この後、フリーはアーチャーが新しく焼いた精霊焼きに舌鼓を打ち、機嫌はすっかり良くなったのだった……。
フリーたちは、騎士団が貧民街に向かっているのを、まだ知らない ──……