第六十四話:新学期の悪夢と、古文書の微かな共鳴
長かったようで短かった冬休みが終わり、雪解けの気配と共に、月島暦の通う中学校にも、再び生徒たちの賑やかな声が戻ってきた。久しぶりに会う友人たちとの再会を喜ぶ声、冬休みの思い出話に花を咲かせる声、そして、間近に迫った学年末テストへの、早くも憂鬱なため息。教室は、新学期の始まり特有の、どこか浮足立ったような、それでいて少しだけ気の引き締まるような、独特の空気に包まれていた。
暦自身もまた、この冬休み、Kとしての年末特番の大成功や、シークレットスタジオでの早川美咲、相田翔との新たな創作活動の開始など、多くの大きな出来事を経験し、心身共に一回り成長したような気がしていた。特に、美咲と翔くんという、Kの秘密を共有し、心から信頼できる「共犯者」を得たことは、彼女にとって何よりも大きな心の支えとなっていた。
(美咲ちゃんも翔くんも、冬休み中、ずっと私のことを気にかけてくれてたな…シークレットスタジオでの作業も、二人と一緒だと本当に楽しくて、時間があっという間だった…)
そんなことを思いながら、暦は、久しぶりに袖を通す制服の感触に、どこか新鮮な気持ちを覚えていた。
しかし、新学期が始まって数日経ったある夜。暦は、今まで経験したことのないほど鮮明で、そして恐ろしい夢を見た。
夢の中の彼女は、見知らぬ、しかしどこか懐かしいような、石造りの街を彷徨っていた。空には、あの三つの月がぼんやりと霞んで見え、しかし、その光は弱々しく、街全体が薄暗い影に覆われている。建物の窓ガラスは割れ、壁は崩れ落ち、道端には枯れた花々が虚しく散らばっていた。そして何よりも、そこにいる人々の顔には、深い絶望と疲弊の色が浮かび、街全体が、まるで生命力を失ったかのように、静まり返っていたのだ。時折、遠くから、為政者を罵るような怒声や、何かを求めるような悲痛な叫び声、そして幼子の泣き声のようなものが、風に乗って聞こえてくる。それは、かつて彼女が垣間見た、美しく輝いていたはずの異世界の、信じられないほど荒廃した姿だった。
(…いや…! こんなの…嘘だ…! 私の知ってる場所は、もっと…もっと綺麗で、みんな笑ってたはずなのに…!)
夢の中で、暦は必死で叫ぼうとするが、声が出ない。息が苦しくなり、胸が締め付けられるような恐怖感と共に、彼女は自分のベッドの上で、荒い息をつきながら飛び起きた。全身は冷たい汗でびっしょりと濡れ、心臓はまだ激しく高鳴っている。窓の外は、まだ夜明け前の深い闇に包まれていた。
(今の夢…あまりにも、リアルすぎた…まるで、本当にあの場所にいたみたいだった…)
その日以来、暦は、あの悪夢のような光景が頭から離れず、日中も時折、言いようのない不安感や焦燥感に襲われるようになった。Kとしての創作活動にも、どこか影が差し、力のコントロールも、以前より不安定になっているのを感じていた。
「…東雲さん…私、最近、すごく怖い夢を見るんです…」
数日後、シークレットスタジオでの打ち合わせの際、暦は、思い詰めた表情で、東雲翔真さんに、あの夢のことを打ち明けた。隣では、美咲と相田くんも、心配そうに彼女の顔を見つめている。
暦の言葉を、東雲さんは静かに、しかし真剣な眼差しで聞き入っていた。そして、彼女が話し終えると、彼は深くため息をつき、そしておもむろに一枚の古びた羊皮紙のコピーを取り出した。それは、以前にも見せた、相田くんのお祖母様の手記の解読結果の一部だった。
「暦さん、君が見た夢の光景…それは、もしかしたら、この手記に記されている、ある記述と関係があるのかもしれない。実は、手記の解読を進める中で、異世界の『星の力の衰退』や、『世界のバランスの乱れ』を示唆するような、不穏な記述がいくつか見つかっているんだ。具体的な内容はまだ不明な点が多いが…君の夢が、その異世界の現状を、何らかの形で捉えた可能性も否定できない」
その言葉に、暦は息を呑んだ。自分の見た悪夢が、ただの夢ではないかもしれないという事実に、背筋が凍るような感覚を覚える。
「そして、さらに気になるのは、この部分だ」東雲さんは、手記の中の、ある暗号めいた文字列を指差した。「これは、以前にも話した通り、ある特定の『座標』と『日時』を示しているようなんだ。その日時は、今から約一週間後。そして、その座標は、地球上には存在しない、おそらく異世界のどこかだ。この手記には、数年、あるいは数十年周期で、我々の世界と異世界との『位相』が近づき、互いの影響を受けやすくなる時期がある、と記されている。そして、計算上、次にその影響が最も顕著になるのは…およそ2年後だ。今回、手記が示すこの『特異点』とされる日時は、その大きな周期の前触れ、あるいは小さな共鳴現象のようなものかもしれん。何が起こるか正確には予測できないが、おそらく、異世界の『声』が、普段よりも少しだけ、我々に届きやすくなる…そんな日になるのではないだろうか」
東雲さんの声は、重く、そしてどこか運命的な響きを帯びていた。
「異世界との…繋がりが強まる…2年後…?」相田くんもまた、信じられないという表情で呟く。自分の持つオルゴールと、祖母の手記が、そんな壮大な謎の鍵を握っていたとは…。
暦は、言葉を失い、ただ自分の両手を見つめていた。自分のこの「力」が、異世界と繋がっている…? そして、その異世界が、今、危機に瀕している…?
(…2年後…その時、私は…Kは…そして、この世界は…どうなっているんだろう…そして、今、私にできることは…?)
頭の中が混乱し、どうしようもない無力感と、そして同時に、何かをしなければならないという、抗いがたい衝動に駆られる。
その時、相田くんが、静かに、しかし力強く言った。
「…暦。君が見た夢が、本当に異世界の現状なのだとしたら…そして、2年後に何か大きなことが起こるのだとしたら…僕たちは、それまでに、できる限りの準備をしなければならない。女神様が僕に託した言葉は、『もし出会ったら、その子の力になってあげてほしいな。きっと、あなたにとっても、何か意味のある、大切な出会いになるはずだから』だった。それは、きっと、君がその運命と向き合う時に、僕が君を支え、共に歩むためだったんだと、今ならそう思えるんだ」
その言葉には、恐怖を乗り越えた、強い決意が込められていた。
美咲もまた、涙を堪えながら、しかし真っ直ぐに暦の目を見て頷いた。
「…暦ちゃん。2年後なんて、まだまだ先のことかもしれないけど…でも、あっという間かもしれない。だから、私たち、今からできることを、一緒に考えようよ。怖いけど…でも、暦ちゃんを一人で悩ませたり、不安にさせたりしないって、約束するから…!」
二人の、揺るぎない友情と覚悟。それは、暦の心に、温かくて、そして力強い勇気の灯をともした。
(…翔くん…美咲ちゃん…)
東雲さんは、そんな三人の姿を、複雑な、しかしどこか誇らしげな表情で見つめていた。
「…君たちのその決意、確かに受け止めた。2年後、か…。それは、我々にとって、決して長くはないが、しかし無力でもない時間だ。まずは、一週間後に訪れるという『特異点』で、何が起こるのかを、安全な場所から慎重に見極めよう。そして、その結果と、手記のさらなる解読、そして暦さんの力の成長を見ながら、2年後に向けて、我々が取るべき最善の道を探っていく。…ただし、くれぐれも焦りは禁物だ。いいね?」
その言葉は、三人の若き共犯者たちにとって、何よりも心強い指針となった。
月島暦の物語は、まだ始まったばかりだ。
Kとしての輝かしい道、月島暦としての穏やかな日常、そして、まだ誰も知らない異世界との運命的な繋がり。
いくつものプリズムが複雑に交錯し、彼女の人生という万華鏡は、これからさらに美しく、そして時に切なく、その模様を変えていくだろう。
「チームK」という名の、かけがえのない仲間たちと共に、彼女はこれから、どんな音楽を奏で、どんな未来を描いていくのか。
その答えはまだ、誰にも分からない。
ただ、2年後という、遠いようで近い未来に向かって、彼女たちの、そして世界の運命の歯車は、静かに、しかし確実に、回り始めた。
その輝かしい軌跡を、どうか、今しばらくの間、見守っていてほしい。
―――第一部・完―――
ここまで『月影の万華鏡 ~魔法のプリズム、輝くシークレットライブ~』第一部をお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました!
作者の〜かぐや〜です!
いやー、ついに第一部完結です!
普通の女子中学生だったはずの暦ちゃんが、ひょんなことから(?)世界的歌姫Kになり、そして今、異世界の運命まで背負うことになろうとは…。私自身、書きながらドキドキハラハラしっぱなしでした!
Kとしての華やかなステージの裏側で、学校生活に悩み、友人と笑い合い、そして自分の持つ不思議な力と向き合う暦ちゃん。そんな彼女の姿を、少しでも魅力的に描けていたら嬉しいです。
そして、彼女を支える最高の「共犯者」たち!
絶対的な信頼感で暦を導く敏腕プロデューサーの東雲さん。
太陽のような明るさで暦を照らす親友の美咲ちゃん。
そして、静かながらも運命的な絆で結ばれた、謎多き少年・相田くん。
彼ら「チームK」の物語は、これからが本番です!
2年後に訪れるという「Xデー」。
その時までに、暦ちゃんはどんな成長を遂げるのか? Kとしての活動はどこまで進化するのか? そして、異世界の謎は解き明かされるのか?
想像するだけで、ワクワクが止まりません!
少しの間、物語はお休みをいただきますが、必ずや、さらにパワーアップした第二部で、皆さんの元へ帰ってきたいと思います。
それまで、どうか暦ちゃんたちのことを忘れないでいてくれたら、作者としてこれ以上の喜びはありません。
それでは、また会う日まで!
〜かぐや〜




