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月影の万華鏡 ~魔法のプリズム、輝くシークレットライブ~  作者: 輝夜
第四章:秋色のパレットと、秘密のメロディー

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第五十二話:内なる嵐の調律と、教室の鋭い視線


サンクチュアリでの、あの嵐のような一夜から数週間。

月島暦つきしま こよみの日常は、一見すると以前と変わらない穏やかさを保っていたが、彼女の内面では、静かだが確実な変化が起こり始めていた。東雲翔真しののめ しょうまさんという絶対的な理解者を得たことで、彼女は自分の持つ不可思議な「力」と、そして時折心を苛む「記憶の断片」に、少しずつ向き合う覚悟を決め始めていたのだ。

Kとしての新曲「星詠みの鎮魂歌レクイエム」の制作は、東雲しののめさんの献身的なサポートのもと、順調に進んでいた。あの夜に溢れ出た激情の旋律は、こよみ自身の言葉と、そして彼女の「力」が織りなす不思議な響きを纏い、かつてないほど深く、そして美しい楽曲へと昇華されつつあった。


しかし、その一方で、こよみは自分の力の不安定さを、以前にも増して強く意識するようになっていた。

日常生活の中でも、ふとした感情の揺らぎ――例えば、授業中に難しい問題に直面した時の焦りや、友人との些細なことで心がささくれだった時の苛立ち――に呼応するように、周囲の物が微かに震えたり、電灯がチカチカと明滅したりといった、小さな「予兆」を感じることが増えていたのだ。

(…まただ…しっかりしなきゃ…もし、これがもっと大きくなったら…)

その度に、こよみはサンクチュアリでの出来事を思い出し、背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。このままでは、いつか本当に取り返しのつかないことになるかもしれない。東雲しののめさんや、キララチューブの人たち、そして何よりも、大切な養父母や友人たちに、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

(…私のこの力…ちゃんと、自分でコントロールできるようになりたい…!)

その想いは、日増しに強くなっていた。


そんなこよみの決意を、東雲しののめさんは誰よりも早く、そして正確に察知していた。

ある日、サンクチュアリでの楽曲制作の合間。こよみが、少し思い詰めたような表情で窓の外を眺めているのに気づいた東雲しののめさんは、いつものように穏やかな、しかし真剣な眼差しで彼女に語りかけた。

「暦さん。最近、何か悩んでいることがあるのではないですか? あなたの音楽には、以前にも増して深い感情が込められているように感じますが、同時に、どこか危ういほどの緊張感も漂っている。もし、それがあなたの『力』に関することなのであれば…私に話してはもらえませんか? あなたは一人ではありませんよ」

その言葉に、こよみは、堰を切ったように自分の想いを打ち明けた。

「東雲さん…私、この力を…もっとちゃんと、自分でコントロールできるようになりたいんです。あの夜みたいに、自分の感情に飲み込まれて、周りに迷惑をかけるのは、もう絶対に嫌なんです。どうすればいいか…教えてもらえませんか…?」

その必死な訴えを、東雲しののめさんは静かに、しかし深く頷きながら受け止めた。

「…もちろんです、暦さん。私も、その必要性を痛感していました。Kとしてのあなたの才能を最大限に輝かせるためにも、そして何よりも、月島暦としてのあなたが安心して日常を送れるためにも、その力の制御は不可欠です。一緒に、その方法を探しましょう。あなたは一人ではありません。私たちがいます」

その言葉は、絶望の淵に差し込んだ一筋の光のように、こよみの心を照らした。


それからというもの、東雲しののめさんの「K(暦)の能力制御と精神安定のためのサポート体制の確立」という極秘プロジェクトは、Kプロジェクト全体の最優先事項として、驚くべきスピードで動き出した。彼は、世界中のあらゆる情報を渉猟し、古今東西の精神修養法から、最新の脳科学、果ては眉唾もののオカルト的な文献に至るまで、こよみの力の制御に繋がりそうな手がかりを、片っ端から集め始めたのだ。その執念と行動力は、まさに「できる執事」の面目躍如といったところだった。


そして、こよみの「自己鍛錬」の日々が始まった。

場所は、もちろんサンクチュアリ。東雲しののめさんが厳選した情報の中から、こよみの特性と年齢に合いそうな方法――例えば、深い呼吸と共に精神を統一する瞑想法、特定のイメージを鮮明に思い浮かべることで感情をコントロールするイメージトレーニング、あるいは彼女の「力」が音楽と深く共鳴することを利用した、音楽療法にも似た独自の訓練法など――を、こよみ東雲しののめさんの温かい励ましと的確なアドバイスを受けながら、一つ一つ丁寧に試していく。

最初は、なかなか上手くいかなかった。力をコントロールしようと意識すればするほど、逆に思考が散漫になり、胸の奥からはあの「恐ろしい記憶」の断片が蘇りそうになる。焦りと不安が、彼女の心を蝕んでいく。

(ダメだ…やっぱり、私には無理なのかも…こんな力、なければよかったのに…)

何度、そう言ってうずくまりそうになったことだろうか。

しかし、そんな時、いつも東雲しののめさんが、決して諦めることなく、彼女のそばに寄り添ってくれた。

「暦さん、焦る必要はありませんよ。あなたの力は、あなたが思っている以上に強大で、そして繊細なのですから。一朝一夕に制御できるようになるものではありません。ゆっくり、あなたのペースでいきましょう。失敗は、成功への大切なステップですよ。それに、あなたがどんな状態であっても、私は必ずあなたの味方です」

その言葉は、まるで魔法のように、こよみの荒れ狂いそうになる心を鎮め、再び立ち上がる勇気を与えてくれた。


試行錯誤を繰り返す中で、こよみは、自分の「力」の特性について、いくつかの重要な発見をし始めていた。

彼女の力は、単に感情の起伏だけでなく、周囲の環境――光、音、匂い、温度――や、特定の「音楽の旋律」、あるいは「色彩の組み合わせ」、そして何よりも、あの「異世界の記憶」と、まるで生き物のように深く共鳴し、その性質を変化させるということ。

例えば、静かで澄んだ水の音や、森の木々が風にそよぐような優しい音色を聴きながら精神を集中させると、力の流れが穏やかになり、まるで自分の手足のように、意のままにコントロールしやすくなる。逆に、不協和音や、工事現場の騒音のような不快な音、あるいは、あの「恐ろしい記憶」を刺激するような暗く冷たい場所に身を置くと、力は途端に荒々しくなり、制御が困難になる。

東雲しののめさんは、そのこよみの貴重な気づきを元に、彼女専用の「力の調律プログラム」とでも言うべき、オーダーメイドの訓練メニューを考案した。Kの楽曲の中から、特に彼女の精神を安定させ、力の流れを整える効果のある曲を選び出し、それをヘッドフォンで聴きながら瞑想する。あるいは、サンクチュアリの壁一面に、彼女の心が最も安らぐという、あの「三つの月が浮かぶ海辺のリゾート」の風景をプロジェクションマッピングで映し出し、その中で呼吸法を行う、など。

その訓練は、少しずつ、しかし確実に成果を現し始めていた。


そして、ある日の訓練中。

こよみは、東雲しののめさんに見守られながら、目を閉じ、深く、静かな呼吸を繰り返していた。彼女の意識は、自分の内なる力の源泉へと、ゆっくりと潜っていく。

そして、彼女がそっと目を開き、小さな手のひらを上に向け、そこに意識を集中させると――。

ふわり、と。

彼女の手のひらの中に、まるで小さな太陽のかけらのような、温かくて優しい光の玉が、音もなく出現したのだ。それは、最初は米粒ほどの大きさだったが、彼女の集中力が高まるにつれて、ピンポン玉くらいの大きさにまで成長し、そして、しばらくの間、その輝きを保ったまま、安定して彼女の手のひらで揺らめいていた。

「…できた…! 東雲さん、見てください! 私、できました…!」

こよみは、信じられないという表情で、自分の手のひらの上の光の玉と、東雲しののめさんの顔を交互に見つめながら、歓喜の声を上げた。その瞳は、喜びと達成感で、キラキラと輝いていた。

それは、ほんのささやかな成功だったかもしれない。しかし、彼女にとっては、自分の「力」を、初めて自分の意志で、明確な形でコントロールできた、記念すべき大きな一歩だったのだ。

「…素晴らしい…本当に素晴らしいですよ、暦さん…! あなたなら、必ずできると信じていました」

東雲しののめさんもまた、その光景に、プロデューサーとしての冷静さを忘れ、一人の人間として、心からの感動と称賛の言葉を送っていた。その目には、うっすらと涙さえ浮かんでいるように見えた。


サンクチュアリでの地道な訓練の成果は、少しずつではあるが、こよみの日常生活にも、良い影響として現れ始めていた。

感情が不安定になりそうになっても、東雲しののめさんから教わった呼吸法を一つ試すだけで、不思議と心が落ち着き、冷静さを取り戻せるようになった。時折襲ってくる、あの「恐ろしい記憶」のフラッシュバックの予兆を感じた時にも、以前のようにただ恐怖に飲み込まれるのではなく、それを意識的に逸らし、心の奥底にそっとしまい込むことができるようになってきた。

しかし、完全に「力」をコントロールできるようになったわけでは、もちろんない。

特に、Kとして感情を込めて歌う時や、相田くんのことなど、不意に強い感情の揺らぎが訪れる場面では、まだ時折、力の「微かな漏れ出し」を感じることがあった。


中間テストの最終日、最後の科目が終わり、教室に安堵のため息と、解放感に満ちた生徒たちの声が響き渡る。こよみもまた、ようやく肩の荷が下りたような、晴れやかな気持ちで、ホッと息をついた。その瞬間だった。

彼女が何気なく手にしていたシャープペンシルから、カチカチカチカチッ!と、まるで意思を持ったかのように、ものすごい勢いで芯が連続して飛び出し、あっという間に数センチの長さになってしまったのだ!

「えっ!? わわっ、な、なにこれ!?」

こよみは、慌ててシャーペンを机に置くが、芯はまだカチカチと虚しく音を立て続けている。その小さな異変に、周囲の生徒たちは気づいていない。ただ一人を除いては。

こよみちゃん、どうしたの? シャーペン、壊れちゃった? あはは、テスト終わって気が抜けちゃったのかな?」

隣の席の美咲ちゃんが、ケラケラと笑いながら、不思議そうに覗き込んでくる。

「う、ううん、なんでもない! ちょっと、このシャーペン、最近調子が悪いのかな…あはは…」

こよみは、顔を真っ赤にしながら、必死で取り繕った。

(や、やばい…! 今の、絶対におかしい…! もしかして、テストが終わって、ホッとして気が緩んだから…力が、またちょっとだけ…!?)

幸い、他のクラスメイトたちはテスト終わりの解放感で騒いでおり、こよみのこの小さなパニックには気づいていないようだった。


―――ただ一人、斜め後ろの席に座る、相田翔あいだ しょうくんを除いては。


彼は、読書をしているフリをしながらも、その鋭い観察眼で、先ほどのこよみのシャープペンシルから起こった、常識では考えられない不可解な現象の一部始終を、確かに、そして驚きと共に捉えていた。

(…今の…何だ…? シャープペンシルが、あんな風に勝手に芯を出し続けるなんて…故障だとしても、あんな動き方は絶対にしないはずだ…まるで、目に見えない何かの力で、無理やり押し出されているみたいだった…そして、その時の月島さんの、あの異常なまでの慌てぶりと、顔の赤らめ方…)

彼の脳裏に、文化祭の時の、こよみの描いた絵の、あの圧倒的なまでの存在感と、言葉では説明できないほどの深い世界観、そして美術室での、あの浮遊する絵筆の記憶(彼の中ではまだ、夢か現実か判然としていないが、しかし強烈な印象として残っている)が、鮮明に蘇ってくる。

月島暦つきしま こよみ…君は、一体、何を隠しているんだ…? そして、君が時折見せる、あのKにも通じるような、常人離れした才能と、ミステリアスな雰囲気は…一体、何なんだ…?)

相田くんは、静かに、しかし確信にも似た、そしてどこか切なさを帯びた疑念の眼差しで、何も気づかずに美咲ちゃんと慌てて談笑しているこよみの後ろ姿を、じっと見つめていた。その視線は、まるで何か大きな秘密の核心に、少しずつ、しかし確実に近づこうとしているかのようだった。彼の心の中の、月島暦つきしま こよみという少女に対する興味と謎は、ますます深まるばかりだった。


その日の放課後。こよみは、サンクチュアリで、東雲しののめさんと共に新曲「星詠みの鎮魂歌レクイエム」の最終調整を行っていた。

以前のように感情の奔流に飲み込まれることなく、自分の内なる「力」を意識的に、そして繊長に歌声に乗せ、かつてないほど深く、そして魂を揺さぶるような美しい表現を生み出すこよみ。その姿は、もはや単なる13歳の少女ではなく、真のアーティストとしての風格すら漂わせていた。

その神々しいまでのパフォーマンスを目の当たりにした東雲しののめさんは、深い感動と共に、静かに、しかし確信に満ちた声で呟いた。

「暦さん…あなたは、本当に素晴らしいアーティストだ。そして…もしかしたら、素晴らしい『魔法使い』でもあるのかもしれないね。世界を、その歌声と、そしてその力で、より良い方向へと導くことのできる、稀代の…」

こよみは、その東雲しののめさんの言葉に、少し照れながらも、自分の未来への、そして自分の持つ「力」の可能性への、確かな手応えを感じていた。力の制御は、まだ道半ば。そして、自分の過去に関する謎も、まだ何も解き明かされてはいない。

しかし、この心強い「共犯者」と一緒なら、きっとどんな困難も乗り越えていけると、彼女は強く、強く信じていた。

窓の外には、中間テストが終わった解放感に満ちた、賑やかな街の灯りが広がり始めている。その灯りの一つ一つが、まるで彼女の新たな門出を祝福しているかのように、優しく、そして力強く輝いていた。


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