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月影の万華鏡 ~魔法のプリズム、輝くシークレットライブ~  作者: 輝夜
第四章:秋色のパレットと、秘密のメロディー

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第五十一話:魂の旋律と、共犯者たちのプレリュード


サンクチュアリの床に散らばる、ショートした機材の焦げ臭い匂い。その中心で、月島暦つきしま こよみは、東雲翔真しののめ しょうまの腕の中で、ようやく薄っすらと目を開けた。

「…しののめ…さん…?」

「暦さん!気がついたか! よかった…本当に…」

東雲しののめの声には、心からの安堵が滲んでいた。先ほどまでの、彼女の力が暴走しかけた瞬間の、筆舌に尽くしがたい恐怖と緊張感は、彼の全身からまだ完全には抜けきっていない。


意識がはっきりとしてくると共に、こよみは自分が引き起こしてしまったであろう事態の重大さに気づき、顔面蒼白になった。ピアノの周りには、無残にもショートして黒く煤けた機材がいくつか転がり、部屋の照明も落ち、非常灯だけが不気味に赤い光を放っている。そして何よりも、東雲しののめさんの、普段の冷静沈着な彼からは想像もつかないほど、心配と疲労の色が濃い、しかしどこか安堵したような複雑な表情。

(…私…また、何か…とんでもないことを…しちゃったんだ…東雲さんに、キララチューブに、取り返しのつかない迷惑を…)

全身から急速に血の気が引き、罪悪感と自己嫌悪じこけんおで、胸が押しつぶされそうになる。

「…東雲さん…ごめんなさい…! 私のせいで…また、こんな…! もう、私なんか…Kでいる資格なんて…」

大きな瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。それは、恐怖や混乱からではなく、大切な人に迷惑をかけてしまったことへの、純粋な後悔と謝罪の涙だった。


しかし、東雲しののめは、そんなこよみの頭を優しく、しかし力強く撫でると、いつもの自信に満ちた、それでいてどこか悪戯っぽい、それでいて絶対的な安心感を与える笑みを浮かべて言った。

「ははは、暦さん、何をそんなに深刻になっているんだい? 君がKでいる資格がない、だと? 馬鹿なことを言っちゃいけない。君以外の誰がKになれるというんだ? この程度の機材トラブル、Kがこれまで稼いでくれた利益を考えれば、正直なところ、誤差の範囲内、いや、むしろ必要経費みたいなものだよ。なんなら、このサンクチュアリごと、もっと頑丈で、もっと君の力に耐えられるような、超弩級の要塞に建て替えることだって、今のキララチューブなら造作もない。だから、そんなことで君が心を痛めたり、自分を責めたりする必要は全くないんだ。全て私に任せなさい。いいね?」

そのあまりにも豪快で、スケールが大きくて、そしてどこまでも頼もしい言葉に、こよみは唖然として、涙も引っ込んでしまった。

「え…あ、でも…本当に、大丈夫なんですか…? 私、すごく…怖い思いを…」

「もちろん、君が怖い思いをしたことは、私の監督不行き届きだ。本当にすまない。だが、それとこれとは話が別だ。君の才能は、そんな些細なアクシデントで揺らぐようなものじゃない。むしろ…」

東雲しののめは、そこで一旦言葉を切り、そして、まるで最高の宝物を見つけた探検家のような、興奮と期待に満ちた瞳でこよみを見つめた。

「暦さん、君がさっき、無意識のうちに奏でていた、あのピアノ…あれは、とんでもない傑作の誕生を予感させる、魂の旋律だった。君の心の奥底からの叫び、その激情、そして祈り…その全てが、音となって溢れ出ていた。正直に言って、鳥肌が立ったよ。あれを、Kの新しい代表曲として、最高の形で世界に叩きつけてやろうじゃないか! きっと、世界中が君の新たな才能にひれ伏すことになる!」

彼の瞳は、すでに次のプロジェクトへの熱意で、ギラギラと燃えるように輝いていた。そのあまりの切り替えの早さと、絶望的な状況すらも新たなチャンスへと転化させてしまう、底なしの前向きなエネルギーに、こよみは、いつの間にか自分の不安や恐怖が、どこか遠くへ吹き飛んでしまっているのを感じていた。

(…東雲さんって、やっぱり、ただのプロデューサーじゃない…この人となら、本当に、何でもできるような気がする…)


東雲しののめは、手早くスタッフに連絡を取り、サンクチュアリの復旧作業と、こよみの送迎の手配を済ませると(もちろん、こよみには「今日はもうゆっくり休んで」と伝え、無理強いはしない)、淹れたての、心を落ち着かせる効果のあるカモミールティーを、そっとこよみの前に置いた。

「さて、暦さん。あの『神の聖域』での体験と、君の力の新たな側面、そしてあの恐ろしい記憶の断片については、また日を改めて、君の心が落ち着いてから、じっくりと話を聞かせてほしい。君が話したくなければ、無理に話す必要はない。だが、もし君がその重荷を誰かと分かち合いたいと思うなら、僕がいつでも、どんな話でも聞く。それを忘れないでほしい」

その言葉は、どこまでも優しく、そしてこよみの心に寄り添うものだった。

「…はい…ありがとうございます、東雲さん…」

こよみは、小さく頷いた。

「そして、今はまず、君が生み出したあの素晴らしいメロディーを、最高の形で音楽に昇華させることに集中しよう。君のその『力』は、もしかしたら、これまでのKの音楽を、さらに新しい次元へと引き上げてくれる、とてつもない可能性を秘めているのかもしれない。そう思わないか?」

東雲しののめさんの言葉は、まるで魔法のように、こよみの心の中に眠っていた、新たな創作意欲の炎を、再び力強く灯した。

怖い記憶も、力の暴走の不安も、まだ完全には消えていない。でも、この人と一緒なら、きっと乗り越えられる。そして、もっとすごい音楽を、もっとたくさんの人に届けられる。そんな確信にも似た想いが、彼女の中で力強く芽生え始めていた。

「…はい! 東雲さん! 私、頑張ります! あの時の気持ち…あの時の音を…ちゃんと、歌にしてみたいです!」

こよみの瞳には、先ほどまでの涙の代わりに、アーティストとしての、燃えるような決意の光が宿っていた。


それからの数日間、こよみは、東雲しののめさんと共に、サンクチュアリで新曲「星詠みの鎮魂歌レクイエム」の制作に没頭した。

東雲しののめさんは、こよみが自由に、そして安心して創作に集中できるよう、最高の環境を整えた。サンクチュアリの設備は、以前にも増して強化され、彼女の強大な力にも耐えうるよう、特殊なシールドが何重にも施された。そして、彼女の精神的な負担を軽減するため、専門のカウンセラー(もちろん、Kの秘密を知る、ごく限られたスタッフだ)によるメンタルケアも、さりげなく導入された。

こよみは、あの夜に溢れ出た感情の奔流を、一つ一つ丁寧に音と言葉に置き換えていく。それは、決して楽な作業ではなかった。時には、あの恐ろしい記憶の断片が蘇り、筆が止まってしまうこともあった。しかし、そんな時、東雲しののめさんは決して彼女を急かすことなく、ただ静かに寄り添い、彼女が再び立ち上がるのを待っていてくれた。

「大丈夫だよ、暦さん。君のペースでいい。君の心の中から生まれてくるものだけが、本物の音楽なんだから」

その言葉に、こよみは何度救われたことだろうか。


そして、彼女の「力」は、音楽制作においても、驚くべき効果を発揮し始めていた。

彼女が特定の感情を込めてメロディーを奏でると、その音色には、言葉では表現できないような、聴く者の魂に直接響くような、不思議な「響き」や「波動」が込められるのだ。それは、喜びの感情であれば、聴く者を高揚させ、希望で満たすような輝かしい音となり、悲しみの感情であれば、聴く者の心の奥底にある悲しみにそっと寄り添い、涙と共に浄化してくれるような、深く優しい音となった。

東雲しののめさんは、その現象を目の当たりにし、改めてK(暦)の才能の規格外さと、その力の持つ無限の可能性に戦慄した。

(…これは、もはや音楽というよりも、一種の「魔法」に近いのかもしれない…彼女の歌声は、人々の魂を直接癒し、そして導く力を持っている…)

彼は、この新曲「星詠みの鎮魂歌レクイエム」が、Kの、そして世界の音楽史における、新たな金字塔となることを確信していた。


こよみもまた、自分の「力」が、音楽を通じてこんなにも豊かで、そして深い表現を生み出すことができるという事実に、驚きと、そして大きな喜びを感じていた。

怖い記憶も、力の暴走の不安も、まだ完全には消えていない。

でも、この音楽がある限り、そして、この音楽を共に創り上げてくれる東雲しののめさんがいる限り、自分はきっと前に進んでいけると、強く信じられるようになっていた。

床に転がっていた小さなオルゴールが、まるでその二人の決意を祝福し、そして未来へのプレリュードを奏でるかのように、窓から差し込む秋の柔らかな日差しを受けて、キラリと、しかし確かな光を放った。

嵐の後のサンクチュアリには、コーヒーの芳醇な香りと、そして二人の「共犯者」が紡ぎ出す、未来への希望に満ちた美しい旋律が、静かに、しかし力強く響き渡っていた。


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