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月影の万華鏡 ~魔法のプリズム、輝くシークレットライブ~  作者: 輝夜
第四章:秋色のパレットと、秘密のメロディー

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第四十六話:美星祭の喝采と、胸に灯る小さな光


澄み渡る秋晴れの空の下、月島暦つきしま こよみの通う中学校は、年に一度の祭典「美星祭」の熱気に、まるで魔法にかけられたかのように浮き足立っていた。校門には、各クラスの生徒たちが数週間かけて制作した、色鮮やかなアーチが誇らしげにそびえ立ち、校舎の窓という窓からは、アニメのキャラクターを描いた巨大な垂れ幕や、趣向を凝らした模擬店のカラフルな看板が顔を覗かせている。朝早くから、期待に胸を膨らませた生徒たちの、いつもよりワントーン高い賑やかな声と、準備に追われる先生たちの少し慌ただしいけれど楽しそうな声、そして風に乗って運ばれてくる、香ばしいソースの匂いや甘い綿菓子の香りが、学園全体を非日常の興奮で包み込んでいた。まるで、この日だけは、いつもの規律正しい学校が、夢と魔法の世界へと変貌を遂げたかのようだ。


1年A組の教室もまた、開演を間近に控えたクラス演劇「異世界の魔法使いと迷い込んだ少女」の最終準備で、むせ返るような熱気と、心地よい緊張感が最高潮に達していた。

舞台袖に見立てられた教室の隅では、脚本・演出担当の相田翔あいだ しょうくんが、台本を片手に、真剣な表情で役者たちに最後の指示を飛ばしている。彼の額にはうっすらと汗が滲み、普段は物静かなその瞳には、作品を成功させようという強い意志の光が宿っていた。早川美咲はやかわ みさきをはじめとする衣装係の女子生徒たちは、こよみがデザインし、クラスみんなで夜なべをして作り上げた衣装の細部を、真剣な眼差しで最終チェックしている。その指先は、期待と不安で微かに震えているようだった。男子生徒たちは、大道具である手作りの「魔法の森の木々」や「古びた魔法使いの塔」の配置を入念に確認し、照明や音響を担当する生徒たちは、何度もタイミングを合わせながらリハーサルを繰り返していた。誰もが、自分の役割に誇りを持ち、この一瞬のために全力を尽くそうとしていた。


そして、こよみは、舞台背景として教室の後ろの壁一面に設置された巨大な絵――彼女がこの数週間、心血を注いで描き上げた、三つの月が妖しくも美しく浮かぶ幻想的な夜空と、その下に広がる神秘的な森――の前に、一人静かに立っていた。絵筆を握る彼女の指先は、ほんの少しだけ震えている。それは、単なる緊張から来るものではなかった。自分の内なる世界を、その最も深い部分にある風景を、こうして多くの人々の目に触れさせることへの、言いようのない高揚感と、そしてほんの少しの恐れが入り混じった、複雑な感情の現れだった。

(…大丈夫。みんなで、一生懸命、心を込めて準備してきたんだから…きっと、私たちの想いは、見てくれる人に伝わるはず…)

彼女は、そっと目を閉じ、大きく深呼吸を一つした。胸の中に、クラスメイトたちの期待に満ちた笑顔と、これまでの努力の日々、そしてあの「星降りの島」で感じた圧倒的な自然のエネルギーが、鮮やかに蘇ってくる。それは、Kとしての自分と、月島暦としての自分が、確かに繋がっている証のようでもあった。


やがて、開演を告げる少し掠れたブザーの音が、教室中に響き渡った。先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返り、生徒たちの手によってゆっくりと教室の照明が落とされていく。観客席(もちろん、教室の机と椅子を巧みに並べ替え、段差をつけただけの簡素なものだが、今はどんな立派な劇場よりも輝いて見える)は、他のクラスの生徒たちや、我が子の晴れ姿を見届けようと集まった保護者、そして噂を聞きつけてやってきた地域の人々で、通路までびっしりと埋め尽くされていた。誰もが、固唾を飲んで、これから始まる物語に期待を寄せている。その熱気が、肌で感じられるほどだった。

緞帳代わりの、黒い大きな布が、生徒たちの手によってゆっくりと、そして厳かに開かれていく。


そして、そこに現れたのは―――息をのむほど美しく、そしてどこか切ない、異世界の森だった。

こよみが描いた背景画は、演劇部の先輩から借り受けた数台のスポットライトによる巧みな照明効果と相まって、まるで本物の森が、教室の壁の向こうに無限に広がっているかのような、圧倒的な奥行きと、幻想的な雰囲気を醸し出している。青白い三つの月の光が、複雑に絡み合う木々の枝葉の間から、筋となって差し込み、足元に広がるはずの苔は、まるで露に濡れて微かに光を放っているかのように見える。その、あまりにもリアルで、しかしどこかこの世のものとは思えないほど美しい世界観に、観客席からは、どよめきとも感嘆ともつかない、大きな、そして長い長い溜息が漏れた。それは、1年A組の生徒たちが、この日のために費やしてきた努力と情熱が、最初に報われた瞬間だった。


物語は、現代の日本でごく普通の日常を送っていた一人の少女(演じるのは、クラスでも屈指の演技力と、どこか儚げな雰囲気が役柄にぴったりだと評判の女子生徒、鈴木さんだ)が、ふとしたきっかけで異世界へと迷い込んでしまうところから始まる。言葉も通じず、右も左も分からない見知らぬ世界で途方に暮れる少女。そんな彼女が出会ったのは、森の奥深くにひっそりと暮らす、孤独な魔法使い(演じるのは、意外にも普段は物静かで目立たない相田くんだが、舞台の上では、その低い声と落ち着いた佇まいが、魔法使いの持つミステリアスな雰囲気を完璧に表現し、堂々とした存在感を放っている)だった。最初は互いに警戒し合い、すれ違いながらも、次第に心を通わせていく二人。その心の交流を描いた、切なくも心温まるファンタジー。


役者たちの、中学1年生とは思えないほどの熱演はもちろんのこと、こよみがデザインし、クラスメイトたちと協力して作り上げた衣装もまた、観客たちの目を釘付けにした。迷い込んだ少女の、最初は現代的な普通の服装が、物語が進むにつれて少しずつ異世界の要素を取り入れて変化していく様子。そして、魔法使いの纏う、深い森の夜の色を思わせるような、深紫色の地に銀糸で複雑な星々や古代文字のような模様が刺繍されたローブは、その荘厳な美しさと細部にまでこだわった作り込みで、見る者を魅了した。

「すごい…あの背景も衣装も、本当に中学生が自分たちで作ったの…? まるでプロの仕事みたいだ…」

「あの魔法使いのローブ、細工が細かすぎる…一体どうなってるんだ…?」

客席のあちこちから、そんな囁き声が、感嘆と共に聞こえてくる。こよみは、舞台袖で、その一つ一つの声を、顔を真っ赤にしながらも、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら聞いていた。自分の創り出したものが、こうして誰かの心を動かし、物語の世界へと誘っている。その実感が、彼女にとっては何物にも代えがたい、大きな喜びだった。


物語中盤。魔法使いが、少女に自分の過去を語り聞かせるシーン。

舞台は、魔法使いの隠れ家である、古びた塔の書斎へと転換する。背景には、天井まで届くほどの巨大な本棚と、そこにぎっしりと並べられた、革装の分厚い魔導書。そして、窓の外には、やはりあの三つの月が、静かに塔を照らしている。

その、あまりにもリアルで緻密な書斎の描写に、観客は再び息を呑んだ。

魔法使い役の相田くんが、低い声で、かつてこの世界が平和で、魔法が人々の生活を豊かにしていた時代のことを語り始める。そして、いつしか人々が魔法の力を過信し、争いを始め、世界が少しずつ輝きを失っていった悲しい歴史を…。

その時だった。

こよみの頭の中に、突然、鮮烈なイメージがフラッシュバックした。

(…赤い…空…燃える…街…逃げ惑う…人々…そして…誰かの…悲痛な…叫び声…!)

それは、今まで見たことのない、恐ろしく、そして悲しい光景だった。目の前の舞台で語られている物語とは全く違う、しかしどこかで繋がっているような、強烈なリアリティを持った「記憶」。

「うっ…!」

こよみは、思わず胸を押さえ、小さく呻いた。全身から急速に血の気が引き、冷たい汗が背中を伝う。呼吸が浅くなり、目の前がチカチカとする。

(なに…これ…? いつもの、あの懐かしい感じのデジャヴュとは…違う…! もっと…もっと、息が詰まるようで…怖い…!)

目の前に広がるのは、美しい異世界の風景ではなく、暗く冷たい、どこか金属質な匂いのする場所のイメージ。そして、誰かの荒い息遣いと、自分を強く掴む大きな手、そして抗えない力でどこかへ引きずられていくような、強烈な恐怖感。それは、彼女が心の奥底の、さらに奥深くに、鍵をかけて封印していたはずの、幼い頃の悪夢のような記憶の断片。何が起こったのかは思い出せないけれど、ただただ恐ろしくて、息が苦しくて、助けを求めて叫びたいのに声が出ない、そんな感覚。そして、遠くで聞こえる、誰かの悲痛な叫び声と、何かが崩れ落ちていくような轟音…。それは、滅びゆく故郷の、最後の慟哭だったのかもしれない。

「…こよみちゃん? 大丈夫!?」

隣にいた美咲が、こよみの異変に気づき、心配そうに声をかける。

「う、うん…大丈夫…ちょっと、立ちくらみがしただけだから…」

こよみは、必死で平静を装い、大丈夫だと頷いたが、心臓はまだ激しく波打ち、手足の震えは収まらなかった。

(今の…一体…何だったんだろう…? 私の…記憶…なの…?)

彼女の心に、新たな、そしてより深い混乱と不安の影が、静かに差し始めていた。


しかし、舞台はそんなこよみの内心の動揺とは無関係に、クライマックスへと向かっていく。

少女が、元の世界へ帰る決意をし、魔法使いとの別れの時が近づく、最も感動的なシーン。

舞台上が、夕焼けのような、切ないオレンジ色の光に包まれる。

その時、どこからともなく、静かで、しかし力強いメロディーが流れ始めた。それは、Kの最新ヒット曲――あの「星降りの島」での体験から生まれた、壮大で美しいバラード「瑠璃色の潮騒しおさい」のインストゥルメンタルバージョンだった。

(…あ…!)

こよみは、息を呑んだ。この曲を使うことは、相田くんと二人だけの秘密で、他のクラスメイトたちには知らされていなかったサプライズ演出だったのだ。もちろん、楽曲の使用許可や著作権処理は、東雲しののめさんが、Kの正体がバレないよう細心の注意を払いながら、完璧に済ませてくれていた。

Kの、あのどこまでも透き通るような歌声こそないものの、そのメロディーとハーモニーは、舞台上の切ない別れのシーンと完璧にシンクロし、観客たちの涙を誘った。すすり泣く声が、あちこちから聞こえてくる。


しかし、その時、舞台袖で音響を担当していた生徒が、隣の照明係の生徒に、困惑した表情で小声で囁いた。

「…なあ、今のこの…海の匂いみたいなの、何かの演出…? 俺、そんな指示聞いてないんだけど…」

「え? 海の匂い? …うわ、本当だ! なんか、潮風みたいなのも吹いてきてない!? まさか、空調の故障とか…?」

照明係の生徒も、顔を見合わせる。確かに、どこからともなく、微かな潮の香りと、ひんやりとした優しい風が、客席の前の方までふわりと届き始めていたのだ。それは、決してこの教室の窓から入ってくる風ではない、もっと澄み切った、どこか遠い場所の空気のようだった。

さらに、舞台背景に描かれた三つの月が、ほんの一瞬、まるで本物の月光のように、淡く、青白い光を放ったように見えた。

「おい、今の見たか!? 月が光ったぞ!」

「いや、気のせいだろ…照明の加減だよ、きっと…でも、なんか、すごいリアル…」

舞台袖の生徒たちは、自分たちの知らないところで何かが起こっているような、説明のつかない現象に、若干のパニックと、しかしそれ以上に、目の前の舞台が生み出す圧倒的な臨場感に引き込まれていた。誰も、それがこよみの無意識の力の暴走――彼女の強い感情と、異世界の記憶が共鳴し、現実世界に僅かな影響を及ぼし始めた兆候――だとは気づいていない。


こよみ自身もまた、その光景に胸が熱くなり、知らず知らずのうちに瞳に涙を浮かべていた。先ほどのフラッシュバックの衝撃はまだ残っていたが、それ以上に、自分の創り出した音楽が、こうして仲間たちの創り上げた物語と融合し、多くの人々の心を揺さぶっているという事実に、深い感動を覚えていた。

(…私の音楽が…みんなの心を…こんなにも揺さぶっている…そして、私の知らない記憶もまた、私の一部なのかもしれない…)

それは、Kとしてではなく、このクラスの一員として、仲間たちと共に創り上げた舞台の上で感じた、初めての、そしてかけがえのない感動と、ほんの少しだけ、自分の過去と向き合う覚悟のようなものだったのかもしれない。


演劇は、万雷の拍手と感動の涙の中で、幕を閉じた。

カーテンコールでは、役者たちと共に、脚本・演出の相田くん、そして舞台美術・衣装デザインの月島暦つきしま こよみの名前が呼ばれ、会場全体から、この日一番の大きな喝采を浴びた。

終演後、舞台袖では、音響や照明を担当していた生徒たちが、興奮冷めやらぬ様子で話し合っていた。

「なあ、やっぱりあの時の潮の香り、あれ何だったんだろうな? 誰か、アロマでも焚いたのか?」

「いや、それにしてはリアルすぎたって! まるで本物の海みたいだったぞ!」

「背景の月も、一瞬だけど本当に光って見えたんだよな…あれ、俺たちの照明じゃないよな?」

彼らは、自分たちのあずかり知らぬ「演出」に首を傾げながらも、「まあ、結果的に最高の舞台になったから、いっか!」と、興奮気味に笑い合っていた。その背後で、こよみは、彼らの会話を耳にしながら、内心で(もしかして、あの時、私、何か…?)と、ほんの少しだけ、得体の知れない不安を感じ始めていた。


全ての片付けが終わり、夕暮れ時の、少しだけ寂しさを帯びた、がらんとした教室で、こよみは、相田くんと二人きりになっていた。他の生徒たちは、もう美星祭の喧騒が残る校庭や、他のクラスの出し物を見に行ってしまったようだ。

「…月島さん、今日は本当に、本当にありがとう。君のデザインと、そしてあの曲がなければ、この劇はここまで素晴らしいものにはならなかったと思う。感謝してもしきれないよ」

相田くんが、少しだけ頬を染めながら、しかし真っ直ぐにこよみの目を見て言った。その瞳には、心からの感謝と、そして尊敬の念が浮かんでいる。

「ううん、そんなことないよ。相田くんの脚本と、みんなの演技が素晴らしかったからだよ。私も、一緒にこの劇を創ることができて、すごく…すごく楽しかった」

「…月島さんのデザイン、本当に素晴らしかった。特に、あの森の背景画…なんだか、本当に別の世界に迷い込んだような気持ちになったんだ。そして、あの…少女が迷い込むシーン…君は、何か、特別なものを持っているような気がするよ。言葉では上手く言えないんだけど…まるで、君自身が、本当に別の世界を知っているかのような…そんな深さを感じたんだ」

相田くんのその言葉は、どこかKの神秘性や、こよみ自身の持つ不思議なオーラ、そして先ほどの彼女の僅かな動揺の本質に触れているような、鋭く、そして意味深な響きを持っていた。

こよみは、その言葉にドキリとしながらも、なぜか嫌な気はしなかった。むしろ、自分のことを、こんなにも真剣に、そして深く見てくれる人がいるということが、少しだけ嬉しかった。

「…ありがとう、相田くん。そう言ってもらえると…すごく、嬉しいな」

二人の間に、ほんの少しだけ、甘酸っぱくて、そして心地よい沈黙が流れる。

窓の外には、美星祭の賑やかな音楽や歓声が遠くに聞こえ、空には一番星が、まるで舞台のスポットライトのように、二人を照らし始めていた。

それは、こよみにとって、忘れられない文化祭の一日。そして、彼女の心の中に、新たな友情と、もしかしたらそれ以上の何かの「小さな光」が灯り、同時に、まだ解き明かされない「過去の記憶」という名の万華鏡が、静かに、しかし確実に回転を始めた、大切な瞬間だったのかもしれない。


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