第四十一話:震える言葉と、グラウンドの優しいどよめき
魂を燃やし尽くすかのような、圧巻のパフォーマンス。
一曲目が終わった瞬間、グラウンドは爆発的な歓声と、地鳴りのような拍手に包まれた。その熱狂は、秋晴れの空へとどこまでも響き渡り、K(暦)の全身をビリビリと震わせる。
「K! K! K!」
「最高だった!」
鳴り止まないコールと、称賛の声。
ステージ上のK(暦)は、わずかに肩で息をしながらも、その嵐のような熱狂を一身に浴びていた。額には玉のような汗が光り、頬は興奮で紅潮している。スポットライトが再び彼女一人に集中し、会場の全ての視線が、固唾を飲んで彼女の次の一言を待っているのが分かった。
(…すごい…みんなの熱気が…直接、心に響いてくる…これが、ライブ…)
カメラの向こう側ではない、目の前にいる数千人の観客との、生身の魂の交流。それは、K(暦)にとって初めての、そして強烈な体験だった。
しかし、同時に、頭の中は真っ白になりかけていた。
「…ど、どうしよう…MCなんて、何も考えてなかった…! 東雲さんからも、こういう場合は臨機応変にって言われてたけど、臨機応変って…何を話せばいいの…!?」
目の前には、数千人の観客。その一人一人の顔まではっきりと見えるわけではないが、その熱気と期待感は、肌で感じるほどだ。その中には、間違いなく、早川美咲をはじめとするクラスメイトたちや、お世話になっている先生たちの顔もあるはずだ。そのプレッシャーに、マイクを握る手が微かに震えているのが自分でも分かった。
「………………」
K(暦)は、マイクを握りしめたまま、数秒間、何も言えずに俯いてしまった。
その沈黙に、会場が、ほんの少しだけ、ざわめき始める。
「Kちゃん、どうしたのかな?」
「もしかして、緊張してる…?」
「頑張れー!」
観客席の前の方で、美咲ちゃんたちが心配そうにK(暦)を見つめながら、小さな声で囁き合っているのが、ステージ上のK(暦)の耳にも、微かに届いたような気がした。
(だめだ…しっかりしなきゃ…私はKなんだから…! みんなが、私を待ってる…!)
彼女は、ぎゅっと目を閉じ、そして、意を決して顔を上げた。スポットライトが眩しい。
「……あ、あの……き、今日は……その……えっと……」
マイクを通して響いたK(暦)の声は、先ほどまで力強く歌い上げていた時とは全く違い、か細く、そして明らかに震えていた。そのあまりのギャップに、会場からは、一瞬の驚きの後、ふふっと息を漏らすような、微笑ましさと温かさの入り混じった優しいどよめきが起こる。
「わ、私は…K、です…」
しどろもどろになりながらも、なんとか自己紹介をするK(暦)。その声は、まだ少し上ずっている。
「こ、こんなにたくさんの方の前で…お、お話しするのは…は、初めてで…す、すごく…き、緊張しています…えへへ…」
最後は、照れ隠しのように、小さく笑ってみせる。その初々しい姿に、観客席からは「可愛いー!」という声援と、温かい拍手が送られた。
「Kちゃん、頑張ってー!」
「大丈夫だよー!」
「Kちゃんのトーク、貴重すぎる!」
その声援に、K(暦)の強張っていた表情が、ほんの少しだけ和らいだ。深呼吸を一つ。
(…大丈夫…みんな、優しい…)
「…本当に…今日は、こんな素敵な場所で…皆さんの前で歌うことができて…す、すごく…嬉しいです…」
少しずつ、言葉がスムーズに出てくるようになる。素直な気持ちが、ぽろりと口からこぼれた。
「昨日の体育祭も…その…実は、こっそり、陰ながら…拝見していましたけど…皆さんの、一生懸命な姿や、キラキラした笑顔に…すごく、感動しました…」
(まさか、自分がリレーのアンカーで、しかも陸上部のエース(だったらしい人)とデッドヒートを繰り広げていたなんて、絶対に言えないけど…!)
内心で冷や汗をかきながらも、K(暦)は続ける。その声には、少しずつ自信が戻り始めていた。
「だから…今日の私の歌が…ほんの少しでも、皆さんの心に届いて…何か、こう…明日からも頑張ろう、みたいな…元気とか、勇気とかを、与えられたら…それは、私にとって、最高の幸せだなって…思います…」
そこまで言うと、K(暦)は、ふと、いたずらっぽい、しかしどこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。そして、少しだけ、いつものミステリアスなKとは違う、素の月島暦に近いような、親しみやすい口調で、こう付け加えたのだ。
「…まあ、正直なところを申しますとですね…私も、まさか今日、このグラウンドで、皆さんの前で歌わせていただくことになるなんて、本当に、昨日の夜まで想像もしていなかったんです…えへへ」
少し困ったように、しかしどこか吹っ切れたような笑顔でK(暦)がそう言うと、会場からは「えーっ!そうなのー!?」という驚きの声と、温かい笑いが起こった。
「なんだか、こう…色々なことが、ものすごいスピードで進んでいって…正直、まだちょっと、気持ちが追いついていない部分もあるんですけど…でも、これもきっと、何かの素敵なご縁なのかなって、今は思っています」
その言葉には、戸惑いながらも、目の前の状況を前向きに受け止めようとする、彼女の健気さが滲み出ている。
「私の人生、ここ数ヶ月で、本当に、予想もしていなかったような、キラキラした方向に進み始めていて…それは、私の拙い動画を、幸運にもたくさんの方に見ていただけるという、望外の機会を与えてくださった、キララチューブの皆さんのおかげだと思っています。…本当に、ありがとうございます!(ぺこり)」
深々と頭を下げるK(暦)の姿に、会場からは、より一層大きな、そして温かい拍手が送られた。ステージ袖で、東雲翔真は、そのK(暦)の言葉に、安堵と、そして胸が熱くなるような感動を覚えていた。
(…暦さん…君は、本当に…)
「…な、なので! 今日は、そんなキララチューブの皆さんの熱い想いと、そして何よりも、ここに集まってくださった皆さんの温かい応援に応えられるように、精一杯、心を込めて歌います!」
少しだけ頬を赤らめながらも、真っ直ぐに前を向いて宣言するK(暦)の姿に、会場のボルテージはさらに高まる。
「…だから、次の曲も…いえ、この後お届けする全ての曲に、今の私のありったけの想いを込めて歌います! どうか、最後まで、この時間を一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです!」
最後は、少しだけKらしい、凛とした声で締めくくり、再び深々とお辞儀をする。
その、緊張しながらも一生懸命に言葉を紡ぎ、そして時折見せる素顔の可愛らしさと、ちょっぴりユーモラスな(?)本音。Kの神秘的なイメージと、13歳の少女の健気さとの絶妙なギャップは、観客たちの心を、完全に、そして永遠に鷲掴みにしたのだった。
次の曲のイントロが流れ始めると、会場のボルテージは、再び最高潮へと達していく。
それは、まさに伝説の始まりを告げる、グラウンドに響き渡る、優しくて力強い、どよめきだった。




