第三十五話:砕け散る設計図と、スタッフたちの狂騒
月島暦が、友人たちと共に体育祭の熱狂と感動に包まれていた、まさにその裏側。
キララエンターテイメントのクリエイターサポート部部長、東雲翔真は、地獄のような状況に叩き落とされていた。
Kの次なるサプライズパフォーマンスの予定地であった、最新鋭の大型商業施設「クリスタル・プラザ」。そのオープンが、数時間後に迫ったパフォーマンス本番の、まさに土壇場で「施設のメイン電源システムにおける重大な欠陥の発覚」により、無期限延期となったのだ。
その一報は、東雲が「クリスタル・プラザ」の責任者と、最終打ち合わせ及びメディア向けのリハーサルを行っている最中に飛び込んできた。
「なっ…! 今更、そんなことが…! オープン自体が無期限延期とは、一体どういうことですか! 我々のパフォーマンスは!?」
東雲は、目の前で頭を下げるだけの施設責任者に対し、冷静さを保とうとしながらも、その声には隠しきれない怒りと焦りが滲んでいた。この日のために、どれだけの準備と交渉を重ねてきたことか。
周囲では、すでに国内外から集まった一部メディア関係者がざわつき始め、不穏な空気が漂い始めている。
(…まずい…このままでは、Kのイメージダウンどころか、キララチューブ全体の信用問題に発展する…!)
東雲は、すぐさまオフィスに残っているK特別対策チームの佐伯に緊急連絡を入れた。
「佐伯くん! クリスタル・プラザでのパフォーマンスは、中止せざるを得なくなった! 理由は後で説明する! 私は今、ここの責任者とメディア対応に追われていて、しばらく身動きが取れない! 君たちに、緊急で代替会場の確保を託したい! Kのパフォーマンスを、今日中に、何としてでも実現させるんだ! あらゆる手段を講じてくれ! 頼んだぞ!」
一方的な指示に近い言葉を残し、東雲は再び、押し寄せるメディア関係者と、無能な施設責任者との間の、困難な交渉の渦へと身を投じていった。彼の背中には、Kの未来と、会社の命運が重くのしかかっていた。
一方、東雲からの悲痛なまでの指示を受けた、キララチューブ本社のK特別対策チームのオフィスは、まさに蜂の巣をつついたような大混乱に陥っていた。
「東雲部長が、クリスタル・プラザで足止め!? 我々だけで代替会場を!?」
「無茶だ! あと数時間で、どこにそんな場所が…!」
「でも、やるしかないんだ! K様のパフォーマンスを、世界中が待っているんだぞ!」
スタッフたちは、絶望的な状況の中で、それでも必死に活路を見出そうともがいていた。しかし、有力な代替会場はどこも予約で埋まっているか、あるいは急な使用許可が下りるはずもなかった。時間だけが、無情に過ぎていく。
その時だった。
若手スタッフの一人が、力なく見ていたローカルニュースサイトの記事に、ふと目を留めた。それは、地域住民が一体となって盛り上がっているという、とある公立中学校の体育祭の様子を伝える、ささやかな記事だった。
「…ん? なんだこれ…『地域一丸となって盛り上がる、伝統の○○中学校体育祭、本日大盛況のうちに終了! PTA主催のサプライズイベントも企画中?』…へえ、最近の中学校って、体育祭も派手なんだな…グラウンドも広そうだし、何より若いエネルギーに満ち溢れてるじゃないか!」
その、何の気なしの呟きが、絶望的な空気に包まれていたオフィスに、ほんのわずかな、しかし確かな波紋を投げかけた。
別のスタッフが、ハッとしたように顔を上げる。
「…待てよ。中学校の体育祭の『後』ならどうだ? グラウンドも、音響設備も(体育祭で使ったものを上手く拝借できれば…!)、そして何より、集客は…いや、むしろ人が集まりすぎないようにしないとマズいレベルか? K様のパフォーマンスの衝撃度を考えれば、むしろ最高の舞台になるんじゃないか…?」
「ば、馬鹿なこと言うな! いきなり中学校に、世界のKが出演するなんて、そんな話が通るわけ…!」
古参のスタッフが現実的な意見を口にするが、もはや彼らの耳には届いていない。
「いや、キララチューブの名前と、『地域活性化のためのドキュメンタリー撮影、及び体育祭を頑張った生徒たちへの、K様(の名前は伏せて、若者に人気のアーティスト)からのサプライズ応援メッセージ!』って名目なら、あるいは…! 校長先生やPTA会長に、我々の熱意と、地域貢献への想いを熱く語れば、可能性はゼロじゃないはずだ!」
追い詰められた彼らの思考は、もはや正常な判断力を失いかけていた。Kへの熱狂的な想いと、このプロジェクトを絶対に失敗させられないというプレッシャー、そして何よりも「Kのパフォーマンスを世界に届けたい」という純粋な願いが、彼らを無謀とも言える「賭け」へと突き動かす。
「よし…もう、これしかない! 東雲部長には、成功させてから報告だ! K様のためなら、俺たちが何とかする!」
一人のスタッフがそう叫ぶと、まるで何かに憑りつかれたかのように、他のスタッフたちも次々と立ち上がり、驚くべき行動力で動き出した。
まず、彼らはKのパフォーマンスに必要な、最新鋭のポータブル音響システムと、簡易的ながらも華やかなステージセット(これは元々、別の小規模なゲリラライブ用に準備していたものだ)を、倉庫から大急ぎで運び出す手配を整えた。
そして、数人がチームとなり、例の○○中学校へと急行。校長先生とPTA会長に、まさに「舌先三寸」で、しかし熱意だけは本物のプレゼンテーションを行い、なんと翌日の午前中、体育祭の後片付けが終わった後のグラウンド使用許可と、PTAによるイベント運営協力を取り付けてしまったのだ!
「明日の早朝、体育祭の後片付けが始まる頃合いを見計らって、PTAの方々に『サプライズイベントの準備です!』と協力を仰ぎ、一気にグラウンドに設営するぞ! 音響チェックは1時間もあれば十分だ!」
「照明は…まあ、昼間だからそこまで凝らなくても大丈夫だろう! K様のオーラだけで、そこら中が輝きだすはずだ!」
彼らは、その○○中学校が、奇しくもK(月島暦)の通う学校であることなど、全く気づいていなかった。ただ、藁にもすがる思いで掴んだ、最後の希望の光だと信じて、突き進んでいるだけだった。
その日の夜。
全ての準備が(ある意味で)整い、もはや後戻りできない状況になった後で、スタッフたちから事の顛末を聞かされた東雲翔真は、しばらくの間、言葉を失い、ただ頭を抱えて天を仰いだ。
「……君たちは……一体、何てことをしてくれたんだ…………」
その声は、怒りを通り越して、もはや深い絶望と疲労の色を帯びていた。
しかし、彼はプロデューサーだ。そして、Kの未来を預かる責任者だ。
ここで全てを投げ出すわけにはいかない。
彼は、震える手で、K――月島暦の極秘連絡用スマートフォンを取り出し、深呼吸を一つした。
そして、彼女に、この信じられないような、そしてあまりにも無茶な状況を、どう伝えるべきか、必死で言葉を選び始めた。
背中には、滝のような冷や汗が流れていた。
(…暦さん…本当に、すまない…だが、もう、やるしかないんだ…君の力を、貸してほしい…!)
彼のプロデューサー人生において、これほどまでに追い詰められ、そしてこれほどまでに「奇跡」を願った夜は、後にも先にもなかっただろう。
嵐のような一日は、まだ終わらない。そして、本当の嵐は、明日、あの中学校のグラウンドで巻き起こるのだ。




