第三十四話:秋風そよぐグラウンドと、秘密のプロジェクト始動
長かったようで短かった夏休みが終わり、月島暦の通う中学校にも、再び生徒たちの賑やかな声が戻ってきた。日焼けした顔、少しだけ大人びた表情、そして夏休みの思い出話に花を咲かせる声。教室は、新学期の始まり特有の、どこか新鮮で、そして少しだけ気だるいような空気に包まれていた。
暦自身もまた、この夏、Kとしての「星降りの島」での冒険や、新曲制作という大きな経験を経て、ほんの少しだけ、内面的に成長したような気がしていた。そして、自由研究で垣間見た、あの「三つの月が浮かぶ島」の伝説は、彼女の心の奥底に、新たな興味の種を蒔いていた。
しかし、感傷に浸っている暇もなく、学校はすぐに次の大きなイベントに向けて動き出す。それは、秋の一大イベント、体育祭だ。
「よーし! 1年A組、今年の体育祭は総合優勝目指すぞー!」
クラスのムードメーカーである佐藤健太くんが、朝のホームルームで高らかに宣言すると、教室中から「おー!」という威勢の良い声が上がった。学年対抗、クラス対抗で行われる体育祭は、生徒たちにとって、勉強のストレスから解放され、クラスの団結力を高める絶好の機会なのだ。
暦もまた、そんなクラスの熱気に、自然と胸が高鳴るのを感じていた。Kとしての活動も大切だが、今の自分にとっては、この「月島暦」としての学園生活も、かけがえのないものなのだ。
体育祭の種目決めでは、暦は、その秘めたる身体能力(異世界由来の、常人離れした運動神経)を悟られないよう、なるべく目立たない種目を選ぼうとしていた。しかし、女子クラス対抗リレーの選手選考で、体育の先生から「月島さん、君は基礎体力も高いし、フォームも綺麗だから、ぜひアンカーをやってくれないか?」と、半ば強引に推薦されてしまう。
「えっ!? わ、私なんかじゃ、とても…!」
慌てて辞退しようとする暦だったが、クラスメイトたちからの「暦ちゃんなら絶対速いよ!」「お願い、A組の秘密兵器になって!」という期待の眼差しに、結局断りきれず、リレーのアンカーという大役を引き受けることになってしまった。
(…どうしよう…本気で走ったら、絶対おかしいって思われる…でも、クラスのみんなが期待してくれてるのに、手を抜くわけにもいかないし…)
人知れず、新たな悩みを抱えることになった暦だった。
一方、リレー選手としてのプレッシャーとは別に、暦は美術部で培った才能を、体育祭の準備でも発揮していた。クラスの応援旗のデザインと制作を任されたのだ。
放課後、クラスメイトたちと残って、大きな布にクラスのスローガンやマスコットキャラクターを描いていく。暦のデザインは、独創的でありながらもクラス全員の意見を取り入れたもので、その色彩感覚と構成力は、他のクラスの生徒たちからも「A組の旗、すごいカッコイイ!」と注目を集めるほどだった。
「暦ちゃん、本当に絵が上手だね! この旗、絶対優勝旗になるよ!」
一緒に作業をしていた早川美咲が、感心したように言う。
「ううん、みんなで一緒に作ってるからだよ。美咲ちゃんのアイデアも、すごく良かったし」
暦は、はにかみながら答えた。一人で黙々と作品を創り上げる美術部の活動とはまた違う、みんなで一つのものを協力して作り上げていくという作業は、彼女にとって新鮮で、そしてとても楽しいものだった。
そんな体育祭準備の合間、暦は、クラスメイトたちの相談に乗ることも多かった。
リレーの練習で転んでしまい、落ち込んでいる美咲ちゃんを「大丈夫だよ、本番までまだ時間はあるし、きっと上手くいくって!」と励ましたり、応援合戦の振り付けがなかなか覚えられずに悩んでいるクラスメイトに、そっとアドバイスをしたり。その的確な言葉と、相手の気持ちに寄り添う優しさに、クラスメイトたちは自然と暦を頼りにするようになっていた。それは、彼女がKとして、多くの人々の心を掴む「何か」を持っていることの、ささやかな現れだったのかもしれない。
その頃、キララエンターテイメントの社長室では、東雲翔真が、社長の星影龍一郎に対し、Kの次なる一手となる、壮大な極秘プロジェクトの最終プレゼンテーションを行っていた。
「―――以上が、K様の新たなる伝説の幕開け、『プロジェクト・クリスタルシンフォニー(仮称)』の全容です」
東雲が提示した企画書には、数日後にオープンを控えた最新鋭の大型商業施設「クリスタル・プラザ」の巨大アトリウム広場を舞台に、Kが最新技術を駆使した、かつてないスケールのサプライズパフォーマンスを行うという、野心的な計画が詳細に記されていた。それは、単なるゲリラライブではなく、現実と仮想空間が融合したような、まさにKの「魔法」を具現化するような、革新的なエンターテイメントの提案だった。
「…東雲くん、君のその発想力にはいつも驚かされるが、これはまた一段と…壮大だな。クリスタル・プラザ側との交渉は、本当に問題ないのかね? オープニングイベントの目玉として、これほどのものを仕込むとなると、警備や技術面でのハードルも相当高いはずだが」
星影は、企画書から目を離さず、鋭い視線で東雲を見据えた。
「はい。クリスタル・プラザ側も、K様のパフォーマンスがオープニングの最大の話題となることを確信しており、全面的な協力を約束してくれています。技術的な課題も、弊社のトップエンジニアチームと、プラザ側の専門チームが連携し、すでにクリアしております。そして何より…K様ご自身が、この新たな挑戦に、強い意欲を示してくださっているのです。『私の力で、誰も見たことのないような、夢のようなステージを創り上げたい』と」
その言葉に、星影は、ふっと息を吐き、そして挑戦的な笑みを浮かべた。
「…面白い。実に面白いじゃないか、東雲くん。Kの『夢のようなステージ』、私も見てみたいものだ。よかろう、そのプロジェクト、承認する。予算も最大限投入しよう。ただし、失敗は許されんぞ。これは、Kの未来だけでなく、我が社の威信を賭けた戦いだと思え」
「…はい! 必ずや、世界が驚嘆するステージを創り上げてみせます!」
東雲は、深く頭を下げた。彼の胸の中では、この壮大で革新的な計画への興奮と、K(暦)という希代の才能への絶対的な信頼が、かつてないほど熱く燃え上がっていた。
こうして、暦が体育祭の準備に追われる学園生活の裏側で、もう一つの、世界を揺るがすであろう秘密のプロジェクトが、静かに、しかし着実に、その実現に向けて動き出していたのだった。
月島暦は、まだその全貌を知らない。ただ、東雲さんから「近々、Kとして、これまでとは全く違う、新しい形のパフォーマンスに挑戦していただくことになるかもしれません。詳細が決まり次第、ご連絡します」とだけ、意味ありげに告げられているだけだった。




