第三十二話:真夏のシークレット・ステージと、パジャマ姿の恋バナ
太陽が容赦なく照りつける八月。夏休みも本格化し、子供たちの賑やかな声が街のあちこちで響いている。
そんな中、月島暦は、Kとして、人生で最もエキサイティングで、そして最も秘密裏な「お仕事」の真っ最中にいた。
舞台は、先日、東雲翔真さんと下見に訪れた、あの伝説の「星降りの島」。
キララチューブの精鋭スタッフたちは、東雲さんの指揮のもと、数日前からチャーター船で島に乗り込み、ベースキャンプの設営と撮影機材の搬入を完了させていた。もちろん、全ては「環境調査のための学術的ロケハン」という完璧なカバーストーリーのもと、極秘裏に進められている。
そして、いよいよ撮影本番の朝。
暦は、Kの姿で、東雲さんと共にサンクチュアリから島へとテレポートした。前回の下見でマーキングしておいた、スタッフたちの待つベースキャンプ近くの砂浜に、二人は音もなく降り立つ。
「おはようございます、K様、東雲部長!」
二人を出迎えたのは、日焼けした顔に期待と緊張を滲ませた、撮影クルーのチーフディレクター佐伯さんだった。彼の背後には、最新鋭の撮影機材がずらりと並び、まるでハリウッド映画のロケ現場のような雰囲気が漂っている。
「おはよう、佐伯くん。準備は万端のようだね」
「はい! K様のパフォーマンスを最高の形で記録するため、チーム一同、気合十分であります!」
スタッフたちの熱気とプロ意識に、暦も自然と背筋が伸びる思いだった。
撮影は、島の様々なロケーションで行われた。
七色に輝く珊瑚礁の海をバックに、波打ち際で儚げに歌うシーン。
古代遺跡の祭壇の上で、星の運行を操るかのように荘厳に舞うシーン。
そして、夜には、満天の星空と、月明かりに照らされて青白く光る砂浜で、切ないバラードを歌い上げるシーン…。
暦は、Kとして、その変幻自在な能力を(もちろん、スタッフには「K様独自の表現方法」あるいは「最新の特殊効果」と認識されている)存分に発揮し、監督の要求を遥かに超えるパフォーマンスを次々と見せていく。
瞬時に変わる衣装、髪型、そしてメイク。歌声に合わせて変化するかのような周囲の自然現象(風が吹き、花が咲き、蝶が舞う…)。その全てが、撮影クルーたちを驚嘆させ、そして魅了した。
「…すごい…本当に、K様は人間なのだろうか…まるで、この島に舞い降りた精霊のようだ…」
モニターを見つめる佐伯さんの口から、思わずそんな言葉が漏れる。
東雲さんは、そんなスタッフたちの反応を満足げに見守りながらも、暦の体調や集中力に常に気を配り、的確な指示とサポートを送り続けていた。彼は、この撮影がKにとって、そして月島暦にとって、かけがえのない経験となることを確信していた。
撮影は数日間に渡ったが、暦はテレポート能力を駆使し、毎晩きちんと自宅のベッドで眠り、翌朝再び島へと「出勤」するという、まさにKならではの超人的なスケジュールをこなしていた。養父母には「美術部の強化合宿が、思ったよりハードで…」と、少しだけ疲れた顔を見せることで、上手く誤魔化している(もちろん、東雲さん作成の完璧な「合宿スケジュール表」も提出済みだ)。
そんな「極秘取材旅行」の合間を縫って、暦は月島暦として、友人たちとの約束もきちんと果たしていた。
ある週末の夜。暦は、早川美咲の家に、数人の仲の良い女子グループと共にお泊まりに来ていた。名目は「夏休みの宿題をやっつけよう!勉強会」だったが、実際には…。
「きゃー! このホラー映画、マジで怖いんだけどー!」
「大丈夫だって! みんなで見てれば怖くないよ…って、うわっ!」
美咲の部屋の大きなベッドの上で、パジャマ姿の少女たちが、ポテトチップスを片手に、キャーキャーと悲鳴を上げながらホラー映画を鑑賞している。もちろん、暦もその輪の中にいた。
映画鑑賞の後は、お待ちかねの恋バナタイム。
「ねえねえ、美咲は最近、田中先輩とどうなのよー?」
「えー、別に何もないってばー! ただ、部活でちょっと話すだけだし…」
「でも、あの時の田中先輩の美咲を見る目、絶対脈アリだったって!」
友人たちの間で、甘酸っぱい噂話が飛び交う。暦は、そんな友人たちの恋模様を、微笑ましく聞きながらも、自分のこととなると、途端に口が重くなってしまう。
「暦ちゃんはー? 美術部の高橋先輩とか、どうなのよー? あの人、絶対暦ちゃんのこと気になってるって!」
「そ、そんなことないってば! 高橋先輩は、ただの優しい先輩だよ!」
慌てて否定する暦だが、友人たちの追及は止まらない。
そんな時、ふと誰かが「ねえ、Kの新曲の歌詞、あれってK自身が書いてるのかな? なんか、すごく大人っぽいというか、経験豊富じゃないと書けないような言葉遣いだよねー」と言い出した。
「確かにー! あの切ない感じ、絶対なんかあったんだよ、K!」
友人たちが、Kの恋愛遍歴(?)について勝手な憶測で盛り上がる中、暦は内心ヒヤヒヤしながらも、当たり障りのない相槌を打っていた。
しかし、その時、美咲がいたずらっぽく暦の顔を覗き込んできた。
「ねえ、暦ちゃん。Kのあの歌声、なんかさー、時々暦ちゃんの話し声と似てる気がするんだよねー。特に、あの高音のところとか…もしかして、暦ちゃん、Kのモノマネとか得意だったりする?」
「えっ!? そ、そんなわけないじゃない! わ、私、歌は全然ダメだって知ってるでしょ!?」
暦は、心臓が喉から飛び出しそうになるのを必死で抑え、顔を真っ赤にして否定した。Kの正体を知る東雲さん以外に、自分の歌声とKの歌声が似ていると指摘されたのは初めてだった。
(ま、まずい…! 美咲ちゃん、意外と鋭い…!)
「えー、でもさー、前に音楽の授業で、暦ちゃんがちょっとだけ歌った時、すごく綺麗だったよ?」
別の友人が、追い打ちをかけるように言う。
「そ、それは、たまたま調子が良かっただけだってば! 普段はもっとヘタなんだから!」
暦は、必死で取り繕う。背中には、じっとりと嫌な汗が滲んでいた。
友人たちは、顔を見合わせ、不思議そうな表情を浮かべていたが、暦のあまりの剣幕に、それ以上深く追求するのはやめたようだった。
「そっかー。じゃあ、今度カラオケ行った時、暦ちゃんの歌、聴かせてよー!」
「ぜ、絶対にイヤだからねっ!!」
なんとかその場を乗り切ったものの、暦の心臓は、まだしばらくドキドキと大きく鳴り続けていた。
(あ、危なかったぁ……。まさか、こんなところでバレそうになるなんて…。もっと、普段から気をつけないと…!)
秘密を守り続けることの大変さと、そのスリルを、改めて痛感する暦だった。
しかし、そんなハラハラドキドキも、友人たちとの賑やかなおしゃべりの中に、いつの間にか溶けていく。Kとしての非日常的な冒険と、友人たちとの等身大の日常。そのギャップは大きいけれど、どちらも今の自分にとっては、かけがえのない大切な時間なのだと、改めて感じていた。
暦は、内心で冷や汗をかきながらも、友人たちとの他愛ないおしゃべりの時間を、心の底から楽しんでいた。Kとしての非日常的な冒険と、友人たちとの等身大の日常。そのギャップは大きいけれど、どちらも今の自分にとっては、かけがえのない大切な時間なのだと、改めて感じていた。
「星降りの島」でのMV撮影は、数日後、無事にクランクアップを迎えた。
撮影された映像は、東雲の予想を遥かに超える、まさに「奇跡」としか言いようのない素晴らしいものばかりだった。
「暦さん…いや、K。本当に、ありがとう。君のおかげで、最高の作品が生まれた」
最後のカットを撮り終えた後、東雲さんは、感極まった様子で、K(暦)の手を固く握りしめた。
その言葉に、暦もまた、大きな達成感と、そして東雲さんへの深い感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
この夏、二人が「星降りの島」に残した秘密の足跡は、やがて世界中を魅了する、新たな伝説の序章となるのだろう。
そして、その伝説の裏側には、パジャマ姿で恋バナに花を咲かせる、ごく普通の13歳の少女の笑顔があったことを、今はまだ、誰も知らない。




