第三話:春風と秘密のメロディー
桜の花びらが、ひらひらと春の優しい風に舞う四月。
月島暦は、まだ少し糊の匂いが残る真新しいセーラー服に身を包み、期待と不安を胸に中学校の校門をくぐった。真新しい教科書のインクの匂い、少し広い教室、初めて顔を合わせるクラスメイトたち。何もかもが新鮮で、暦の心は、春の陽気に誘われるように、ふわりと浮き立つような感覚を覚えていた。
小学生の頃とは違う、少し大人びた響きの「中学生」という言葉。それは暦にとって、新しい世界の扉が開かれたような、そんな特別な響きを持っていた。
養父母である月島譲と佐和子は、そんな暦の新たな門出を、いつものように温かく見守ってくれている。二人の変わらない愛情が、暦の背中をそっと押してくれているようだった。
そんな暦には、誰にも言えない、ささやかな秘密の楽しみがあった。
それは、動画サイトへの投稿だ。
きっかけは、小学校高学年の頃。ふとした瞬間に、まるで心の奥底から湧き上がってくるように、自分でも知らないはずなのに、なぜかひどく懐かしいメロディーを口ずさむことがあった。それは、夢の中で聞いたことがあるような、あるいは遠い昔にどこかで耳にしたことがあるような、不思議な響きを持つ歌だった。
そのメロディーを忘れてしまうのが惜しくて、暦はただ自分の記録として、誰にも見せるつもりなく、こっそりとその歌声を録音し、動画サイトにアップロードしていたのだ。もちろん、顔は一切出さない。ただ、静かに流れるオルゴールの音色のような、澄んだ声だけ。アカウント名は、自分の名前の一文字を取って、ただ「K」。
それが、いつの間にか「謎の歌い手K」として、一部の音楽好きの間で密かな話題となっていた。「どこかノスタルジックで、心が洗われるようだ」「この歌声は、まるで天使が囁いているみたい」そんなコメントが、少しずつ寄せられるようになっていた。再生回数も、最初はほんの数回だったものが、じわじわと増え、チャンネル登録者という存在も現れ始めていた。
暦自身は、その状況を時折チェックしては「聴いてくれる人がいるんだな」と少し驚きつつも、あくまで「個人的な趣味」であり「自分のための記録」という認識だった。誰かに正体を明かすつもりもなければ、有名になりたいという欲も、その頃の暦にはまだなかった。ただ、自分の心から溢れるメロディーを、誰かが受け止めてくれているという事実に、ほんのりとした温かさを感じているだけだった。
そして最近、暦は新たな「秘密の遊び」を覚えていた。
あの春の日、突然目覚めた不思議な力。髪の色や長さを自由に変えられること。まるで魔法のように、一瞬で服装まで変えられること。
(これって、すごいことだよね…でも、誰にも言えないし…)
最初は戸惑い、時にはパニックになりながらも、暦は少しずつ、その力を受け入れ始めていた。そして、その力を何かに使ってみたいという、小さな好奇心が芽生え始めていた。
自分の部屋で、姿見の前に立つ。
心を静かに研ぎ澄ませ、暦は瞼を閉じた。
頭の中に描くのは、月の光を浴びてしなやかに輝く、銀色の長い髪。そして、夜空の深さを映したような、静謐な色の瞳。纏うべきは、星屑を散りばめたような、シンプルな白いドレス。
それは、憧れであり、どこか懐かしさすら覚える理想の姿。
息を深く吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出す。その呼気と共に、内なる何かがカチリと音を立てて切り替わるような感覚。
目を開けると、鏡の中には、先ほどまで思い描いていた通りの少女が立っていた。
艶やかな黒髪は、触れればさらさらと音を立てそうな銀糸へと変わり、部屋の照明を反射して微かに光を放っている。普段は黒に近い瞳は、吸い込まれそうなほど深い藍色に。そして、いつの間にか身にまとっている白いワンピースは、まるで月の光そのものを織り上げたかのように、繊細な輝きを湛えていた。
「……きれい」
思わず、鏡の中の自分に囁きかける。それは、自画自賛というよりも、目の前に現れた「作品」に対する純粋な感嘆だった。
普段の地味な月島暦とは全く違う、どこか人間離れした、幻想的な雰囲気を纏った「もう一人の自分」。
それは、誰にも見せることのない、暦だけの秘密の変身ごっこ。
ある時は、豊かな森の奥深くに佇む精霊のように、落ち着いたモスグリーンの髪に、木の葉を重ねたようなアシンメトリーなデザインの緑のドレス。瞳は、木漏れ日のように優しい琥珀色に。その姿で口ずさむのは、風の音や木の葉の擦れる音に似た、穏やかでどこか物悲しいメロディー。
またある時は、情熱的なリズムに合わせて踊る踊り子のように、燃えるような深紅の髪をポニーテールに結い上げ、動きやすさを重視した鮮やかな色のトップスとフレアスカート。瞳には、強い意志を宿したような、真っ直ぐな光が灯る。その姿で踊るのは、テレビで見たアイドルの振り付けをアレンジした、暦オリジナルの激しいダンス。
その日の気分や、頭の中に流れるメロディーに合わせて、暦は様々な「自分」へと姿を変える。そして、その変身した姿で、あの懐かしい「秘密のメロディー」を歌ったり、最近覚えたダンスを踊ってみたり、即興でピアノの鍵盤を叩いてみたり。
その様子を、こっそりとスマートフォンで撮影し、誰にも見られないように鍵をかけた個人的なフォルダに保存していく。それは、暦にとって、最高の暇つぶしであり、自分だけの宝物だった。
動画の数は、少しずつ増えていった。それは、誰に評価されるでもなく、ただ暦が「楽しい」と感じるままに記録された、色とりどりの「魔法の欠片」たちだった。
中学校生活が始まって数週間。
暦は、新しいクラスにも少しずつ慣れ、休み時間には友達と談笑するようにもなっていた。
しかし、その胸の奥には、誰にも言えない秘密と、そして、まだ言葉にならない小さな予感のようなものが、静かに息づいていた。
春の穏やかな風が、暦の頬を優しく撫でていく。
その風が、やがて大きな嵐を運んでくることなど、暦はまだ知る由もなかった。
はいどーも! ~かぐや~でーす!
第三話、読んでくれてどうもありがとう!
いよいよ暦ちゃんも中学生! 新しい生活、ドキドキだねっ!
そして、小学生の頃から続けてた「謎の歌い手K」としての活動と、最近ハマってる「秘密の変身ごっこ」! いやー、暦ちゃん、なかなか面白いことやってるじゃなーい?
懐かしいメロディー、一体なんなんだろうね? 気になる気になる!
個人的な秘密のフォルダに保存してる変身動画も、どんどん増えてるみたいだし…これは、いつか何か起こりそうな予感がプンプンするんですけどー!?
次回は、この平和な日常に、ちょっとした波風が立ち始める…かも?
お楽しみにね! それじゃ、また会いましょー!まったねー♪