第二十二話:女神の裁定と、執事の再契約
あの衝撃的な「事情聴取」から一夜明けた。
東雲翔真は、正直なところ、まだ昨日の出来事を完全に消化しきれていなかった。
月島暦――Kの本体である13歳の少女。彼女が、あの神々しくも恐ろしい「審判の女神」のような姿に変身し、自分に「説明責任」を問い質してきたのだ。黄金の天秤を手に、有無を言わせぬ威圧感で、Kとしての権利、報酬、プライバシー保護、そして養父母への対応について、極めて具体的かつ的確な要求を突きつけてきた。
(…あれは、本当に13歳の少女の所業だったのだろうか…いや、もはや年齢など関係ない。彼女は、規格外の存在だ…)
東雲の背筋には、まだ昨日の緊張感が残っているようだった。しかし、それと同時に、彼のプロデューサーとしての魂は、かつてないほど燃え上がっていた。こんなにもスリリングで、予測不可能で、そして魅力的な才能に出会えることなど、そうそうあるものではない。
その日の午後、東雲は、K(暦)との間で改めて、極秘裏にミーティングの場を設けた。場所は、昨日と同じプライベートスタジオの控え室。今回は、さすがに暦も「女神モード」ではなく、いつものKの姿――しかし、どこか昨日の威厳の余韻を感じさせる、落ち着いた雰囲気――で現れた。
「東雲さん、昨日は…その、少し、やりすぎたかもしれません…ごめんなさい」
開口一番、暦は少しバツが悪そうに謝罪した。しかし、その瞳の奥には、まだ昨日の「審判の女神」の鋭い光が宿っている。
「…いえ、暦さん。私の方こそ、あなたへの配慮が足りませんでした。そして、あなたの真の力と、強い意志を、改めて認識させていただきました」
東雲は、深々と頭を下げた。彼は、昨日の「事情聴取」の内容を真摯に受け止め、そして、暦の要求を最大限に反映させた、新たな契約内容とサポートプランを徹夜で練り上げてきていた。
「まず、Kとしての報酬ですが、暦さんのご要望通り、収益の大部分は、暦さん名義の信託口座(もちろん、匿名性は完全に保護されます)にて厳重に管理・運用し、暦さんが成人された際、あるいは暦さんご自身が明確な目的を持たれた際に、自由にお使いいただけるようにいたします。そして、その一部を、月島暦さんの『美術奨学金』及び『若手アーティスト活動支援金』として、キララチューブが設立に関与する文化振興財団を通じて、暦さん個人に毎月定額で、かつ法的にクリーンな形でお渡しするスキームを構築しました。これならば、ご両親にも、暦さんの才能に対する正当な評価と支援として、ご納得いただきやすいかと存じます」
東雲が提示したプランは、昨日の暦の要求をほぼ完璧に網羅し、かつ、それを実現するための具体的な道筋まで示されたものだった。
「…ありがとうございます、東雲さん。私の無理なお願いを…」
「無理などとは思いません。これは、Kという才能に対する、当然の敬意です。そして…」
東雲は、そこで一旦言葉を切り、そして、真剣な眼差しで暦を見つめた。
「月島暦様。改めて、私、東雲翔真に、あなたの全てをお任せいただけないでしょうか。Kとしてのアーティスト活動はもちろんのこと、月島暦としての学園生活、プライバシーの保護、そして将来に至るまで。私は、あなたのビジネスパートナーとして、そして…あなたの望むあらゆるサポートを提供する、最も信頼できる存在でありたいと、心から願っております」
その言葉は、もはや単なるプロデューサーの言葉ではなかった。それは、一人の人間が、もう一人の稀有な才能を持つ人間に対して捧げる、誠実で、献身的で、そして揺るぎない忠誠の誓いにも似ていた。
暦は、東雲のその真摯な言葉と、瞳の奥に宿る強い意志を、じっと見つめていた。
昨日の「女神モード」は、自分でもどうしてあんなことができたのか、まだよく分かっていない。ただ、東雲さんに自分の本気と、そして絶対に譲れない一線を伝えなければならないという、必死の思いが、ああいう形になったのかもしれない。
そして、その必死の思いを、この人は真正面から受け止めてくれた。
「…東雲さん」
暦は、小さく、しかしはっきりとした声で言った。
「私のこと…よろしくお願いします。東雲さんとなら…きっと、大丈夫だって思えるから」
その言葉には、確かな信頼と、そして未来への希望が込められていた。
二人の間に、改めて固い「契約」が結ばれた瞬間だった。それは、法的な書類以上に、互いの魂で交わされた、特別な約束。
その日を境に、東雲翔真の「執事ムーブ」は、さらに加速した。
Kの活動に関しては、暦の学業とプライバシーを最優先に、しかし確実に世界を狙えるような緻密な戦略が練られ、実行に移されていく。
そして、月島暦としての日常を守るため、東雲は文字通り「暗躍」した。
暦の通う中学校のセキュリティ体制の強化(もちろん、学校側には気づかれない形で、キララチューブの最新技術を駆使して)。
Kの情報を執拗に探ろうとする一部メディアやネットユーザーへの、巧妙な情報操作と牽制。
そして、近々行われる予定の、月島家の養父母への「美術奨学生としての月島暦さんへの支援」に関する説明訪問の準備。そのために、彼は文化振興財団の理事としての肩書を完璧に演じきれるよう、美術史や現代アートに関する猛勉強まで始めていた。
(まさか、自分がプロデューサー業の傍ら、美術史の勉強まですることになるとはな…だが、これも全て、暦様のためだ)
東雲は、内心苦笑しつつも、その多忙な日々を、不思議な充実感と共にこなしていた。
一方、暦は、東雲という絶対的な「共犯者」を得たことで、以前よりもずっと心穏やかに、そして前向きに、Kとしての活動と、月島暦としての日常を送ることができるようになっていた。
もちろん、彼女の「力」の秘密は、依然として二人だけのもの。
しかし、その秘密を共有し、支えてくれる存在がいるという事実は、13歳の少女にとって、何よりも大きな心の支えとなっていた。
二人の「共犯関係」は、まだ始まったばかり。
これからどんな困難が待ち受けていようとも、この二人なら、きっと乗り越えていけるだろう。
そんな確信にも似た予感が、東雲と暦、それぞれの胸の中に、温かく灯っていた。




