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月影の万華鏡 ~魔法のプリズム、輝くシークレットライブ~  作者: 輝夜
第三章:芽吹きのプレリュード

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第十一話:秘密の契約と、最初の約束

 こよみの言葉は、静かなラウンジの中に、確かな重みをもって響いた。

「私のあらゆる秘密が、完全に守られることが絶対条件です。そして、その上で、私という存在の価値を正当に評価し、それに見合う対価を提示していただける場合に限ります」

 東雲翔真しののめ しょうまは、目の前に座る「K」と名乗る少女――いや、その落ち着きと理路整然とした話しぶりは、もはや少女というよりも、一人の成熟した交渉相手と呼ぶべきかもしれない――の姿を、改めて見つめた。変装しているとはいえ、その瞳の奥に宿る強い意志と知性は隠しようもない。

(…とんでもない才能だ。そして、とんでもない覚悟だ)

 東雲しののめの背筋に、心地よい緊張感が走る。これは、生半可な気持ちでは太刀打ちできない相手だ。しかし、だからこそ、この才能を世に送り出す価値がある。


「Kさん、率直なお言葉、ありがとうございます」

 東雲しののめは、穏やかな笑みを崩さず、しかし真剣な眼差しで応じた。

「まず、Kさんの秘密の完全な保護。これは、キララチューブが社運を賭けてお約束いたします。契約書には、Kさんのプライバシーに関するあらゆる事項を網羅し、万が一の漏洩時のペナルティについても、Kさんがご納得いただける形で明記させていただきます。そして、それは私、東雲翔真しののめ しょうま個人の名誉にかけても、お守りすることをお誓い申し上げます」

 その言葉には、揺るぎない決意が込められていた。

「次に、Kさんという存在の価値、そしてそれに見合う対価についてですが…」

 東雲しののめは、少しだけ間を置いた。

「率直に申し上げて、Kさんの才能は、我々の想像を遥かに超えています。その価値を、既存の枠組みで評価すること自体が難しい。しかし、だからこそ、我々はKさんに最高の条件をご提示したいと考えています」

 彼は、鞄から数枚の書類を取り出し、テーブルの上に丁寧に並べた。

「こちらが、現時点で弊社がご提案できる、Kさんとの契約プランの骨子です。複数の選択肢をご用意いたしました。専属アーティスト契約、プロジェクト単位での業務委託契約、あるいは、Kさんご自身が代表となる新たなレーベルの設立支援という形も考えられます。それぞれのメリット、デメリット、そして報酬体系(固定報酬、成功報酬の割合、印税分配率、関連グッズのロイヤリティなど)を明記してあります。もちろん、これはあくまで叩き台です。Kさんのご意向を伺いながら、Kさんにとって最も有利で、かつモチベーションを高く維持していただける形を、一緒に作り上げていきたいと考えております」

 書類には、驚くほど具体的な数字と、柔軟な選択肢が並んでいた。それは、キララチューブがKという才能を、いかに高く評価しているかの証左だった。

「そして、著作権についてですが、楽曲、映像、その他Kさんが創作される全てのコンテンツの著作権は、原則としてKさんご自身に帰属します。弊社は、その利用許諾を得る形で、Kさんの活動をサポートさせていただきます」


 こよみは、黙って書類に目を通した。その内容は、彼女の想像を遥かに超える好条件だった。特に、著作権が自分に帰属するという点は、彼女にとって非常に大きな意味を持っていた。それは、自分の「作品」に対するコントロールを、完全に自分の手に残せるということだからだ。

(…ここまでしてくれるなんて…)

 正直、驚きを隠せない。しかし、こよみは表情には出さず、冷静に言葉を続けた。

「…ありがとうございます。大変魅力的なご提案であることは理解いたしました。詳細については、持ち帰って検討させていただきます」

「もちろんです。ご納得いただけるまで、何度でもご説明、ご相談させていただきます」

 東雲しののめは、にこやかに頷いた。


 それから約一時間、二人は具体的な契約内容の細部について、質疑応答を繰り返した。

 こよみの質問は、常に的確で、時には東雲しののめですら即答に窮するような鋭いものもあった。しかし、東雲しののめは決してはぐらかすことなく、誠実に、そして時には法務担当者に電話で確認を取りながら、一つ一つの疑問に丁寧に答えていった。

 そのやり取りを通じて、こよみは、東雲翔真しののめ しょうまという人物に対する信頼を、さらに深めていった。この人なら、本当に自分の秘密を守り、自分の才能を正しく導いてくれるかもしれない。


「…最後に、一つだけ、個人的な質問をよろしいでしょうか」

 交渉が一通り終わったところで、東雲しののめが、少しだけ改まった口調で切り出した。

 こよみは、わずかに身構えた。

「…内容によりますが」

「Kさんは…なぜ、あのような素晴らしい音楽と映像を創り出せるのですか? そして、なぜ今まで、それを世に出そうとしなかったのですか?」

 それは、東雲しののめがずっと抱いていた、純粋な疑問だった。

 こよみは、少しの間、黙って窓の外の景色を見つめていた。

 そして、静かに口を開いた。

「…私にも、よく分からないんです。ただ、気がつくと、頭の中にメロディーが流れてきて…それを形にしないと、なんだか落ち着かなくて。誰かに見せるとか、有名になりたいとか、そういうことは、あまり考えたことがありませんでした。ただ、自分の中にあるものを、記録しておきたかっただけなんです」

 その言葉には、嘘偽りのない、彼女の素直な気持ちが込められていた。

 東雲しののめは、その言葉を静かに受け止めた。

「…そうでしたか。貴重なお話、ありがとうございます」

 彼は、それ以上深く詮索することはしなかった。それが、彼女の「秘密」の核心に触れることになると、直感的に理解したからだ。


 別れ際、東雲しののめは、こよみに向かって、改めて深く頭を下げた。

「本日は、本当にありがとうございました。Kさんのご連絡、心よりお待ちしております。そして、もし、もし我々と共に歩んでいただけるのでしたら…キララチューブの全てを賭けて、Kさんを世界の頂点へと導くことをお約束いたします」

 その言葉は、もはやビジネスライクなものではなく、一人のクリエイターに対する、心からの敬意と熱意に満てていた。

 こよみは、小さく頷き、ラウンジを後にした。

 その背中を見送りながら、東雲しののめは、大きな仕事を成し遂げたような達成感と、そして、これから始まるであろう壮大な物語への期待に、胸を高鳴らせていた。


 自室に戻ったこよみは、東雲しののめから受け取った契約プランの骨子を、改めてじっくりと読み返した。

(…本当に、すごい条件だ…これなら、私の秘密も守られるかもしれないし、ちゃんと私の価値も認めてもらえそう…)

 キララチューブとなら、何か新しいことができるかもしれない。そんな確かな手応えを感じていた。

 なにしろ、こよみには普通の人間にはない「アドバンテージ」がある。テレポート能力と瞬時の変装能力は、時間と場所の制約をほぼ無効化し、一人で二人分以上の活動量をこなすことを可能にする。並列処理思考は、学業と芸能活動、そして友人との交流といった複数のタスクを、それぞれ高いレベルで維持することを容易にする。

(学校生活がメインなのは変わらない。お仕事の方は…そうね、私にとっては、ある意味「遊び」の延長線上にあるのかもしれない。もちろん、真剣に取り組むけれど、この力があれば、きっと何とでもなるはず…)

 そんな自信と、ほんの少しの油断が、こよみの心の中に芽生え始めていた。それは、いずれ敏腕プロデューサーである東雲しののめの慧眼によって、彼女の「普通ではない何か」が露見する遠因となるのかもしれないが、今のこよみは知る由もなかった。


 しかし、その一方で、こよみの胸には、もう一つの大きな問題が重くのしかかっていた。

 養父母のゆずる佐和子さわこのことだ。

 この話を、二人にどう伝えればいいのだろうか。いや、そもそも伝えるべきなのだろうか。

 自分の秘密の力のこと。動画が流出してしまったこと。そして、プロのアーティストとして活動するかもしれないということ。

 それを知ったら、二人はどれほど心配するだろう。驚かせてしまうだろう。もしかしたら、悲しませてしまうかもしれない。

(お父さんもお母さんも、私が普通の中学生として、穏やかに暮らすことを望んでいるはず…こんな、とんでもない話…)

 二人の優しい笑顔を思い浮かべるたびに、胸がチクリと痛んだ。

 あの温かい日常を、自分のせいで壊したくない。心配をかけたくない。

(…もう少しだけ…もう少しだけ、このことは、私だけの秘密にしておこうかな…)

 それは、養父母への深い愛情と、そして、まだ全てを打ち明ける勇気が持てない、こよみの正直な気持ちだった。

 キララチューブとの交渉は、秘密裏に進めるしかない。

 幸い、東雲しののめさんは、こちらのプライバシーを最大限に尊重すると言ってくれている。彼なら、きっと理解してくれるはずだ。

 こよみは、そっと契約書案を机の引き出しの奥にしまい込んだ。

 それは、彼女が選んだ、もう一つの「秘密」。

 輝かしい未来への扉と、大切な日常を守るための、切なくて、そしてちょっぴりずるい選択だったのかもしれない。

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