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月影の万華鏡 ~魔法のプリズム、輝くシークレットライブ~  作者: 輝夜
第三章:芽吹きのプレリュード

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第十話:小さな交渉人と、誠意の証

 キララチューブからの返信メールを、月島暦つきしま こよみは何度も、何度も読み返していた。

 そこに並べられた言葉の一つ一つは、暦が突きつけた条件に対する、真摯で、そして驚くほど前向きな回答だった。プライバシーの絶対保護、著作権の尊重、活動の主導権の確約…まるで、こちらの心を先読みしたかのような、完璧な内容。

(……本気だ。この人たち、本気で私と仕事をしたいんだ)

 最初の不信感は、すでにどこかへ消え去っていた。代わりに、胸の奥で小さな炎がゆらりと揺らめくのを感じる。それは、恐怖や不安を乗り越えた先にある、新しい世界への好奇心と、自分の力を試してみたいという純粋な欲求の炎だった。


(よし、決めた)


 暦は、ノートにペンを走らせ、自分の考えを整理していく。

 まずは、相手の誠意を確かめること。そして、主導権はこちらが握り続けること。

 数十分後、暦は再びパソコンに向かい、返信メールを作成し始めた。その指先に、もう迷いはなかった。


『KiraraTube運営事務局 クリエイターサポート部 部長 東雲翔真様


 ご丁寧なご回答、誠にありがとうございます。

 貴社のご提案内容、及びその誠意ある姿勢、しかと拝見いたしました。

 特に、流出動画への即時対応のご提案につきましては、大変感謝申し上げます。つきましては、その件、正式にお願いしたく存じます。貴社が私の代理として、違法アップロード動画への対応を行ってくださることに同意いたします。


 その上で、今後の活動に関する協議を進めるにあたり、まずはお互いの信頼関係を築くことが何よりも重要だと考えております。

 つきましては、一度、東雲様と直接お話をさせていただきたく存じます。


 ただし、いくつか条件がございます。


 1.日時は、こちらの学業の都合を最優先とさせていただきます。

 2.場所は、こちらで指定させていただきます。安全が確保された、公共の場所とさせてください。

 3.当日は、東雲様お一人でお越しください。

 4.私は、私のプライバシーを保護するため、変装した姿で参ります。また、私の正体を探るような言動は一切お控えください。


 上記条件にご同意いただけるようでしたら、具体的な日時と場所をご連絡いたします。

 何卒、ご理解いただけますと幸いです。

 K より』


 送信ボタンをクリックし、暦はふぅっと深く息を吐いた。

 ビデオ通話ではなく、あえて「直接会う」ことを選んだ。それは、相手の表情や態度、その場の空気を、自分の目で直接確かめたいと思ったからだ。もちろん、自分の正体は絶対に明かさない。変身能力を使えば、それは容易いことだった。

(これで、東雲さんっていう人がどんな人か、分かるはず…)

 それは、暦にとって大きな賭けであり、未来への第一歩だった。


 そのメールは、深夜のキララエンターテイメントに、再び衝撃を走らせた。

「直接会うだと!?」

 東雲の驚きの声に、仮眠をとっていた部員たちが一斉に跳ね起きる。

「K様ご本人からですか!? しかし、条件が…『変装して行く』『正体を探るな』とは…相当な警戒心と、自己防衛意識の高さが伺えますね。これは、我々の覚悟とプロ意識が試される局面です」

 法務担当の経験も持つベテランスタッフが、冷静に分析する。

 部員たちがざわめく中、東雲は腕を組み、じっとメールの文面を睨んでいた。

(…なるほど。これは、我々への『テスト』だな。そして、彼女自身の安全確保への強い意志の表れだ)

 こちらの誠意と、彼女のプライバシーを尊重する姿勢が本物かどうかを、直接会って試そうというのだろう。なんとクレバーで、危機管理能力の高い少女だ。

「面白い…」

 東雲の口元に、自然と笑みが浮かんだ。恐怖に怯えるか弱い被害者、ではなかった。彼女は、この状況を冷静に分析し、自分の手で未来を切り開こうとしている、強い意志を持った交渉人だ。

「受けて立とうじゃないか。彼女のテストに、我々が満点で応えてやる。そして、彼女の不安を一つでも多く取り除くことが、我々の最初の仕事だ」

 東雲は即座に返信を打った。「K様のご提案、謹んでお受けいたします。全てのご条件に同意いたします。ご連絡、心よりお待ち申し上げております」と。


 そして、そのメールを送った直後から、キララチューブの「K様特別対策チーム」は、フル稼働を開始した。

 東雲の指示のもと、技術部、法務部、広報部、そしてクリエイターサポート部の精鋭たちが連携し、ネット上に拡散された「K」の流出動画の削除作業に乗り出したのだ。24時間体制で、国内外のあらゆるサイトを巡回し、発見次第、迅速かつ強制力のある削除申請を断行。悪質な無断転載や、Kのイメージを貶めるような二次創作に対しては、警告文を送付し、場合によっては法的措置も辞さない構えを見せた。

 それは、まさに時間との戦いだった。動画は瞬く間にコピーされ、拡散していく。しかし、キララチューブのスタッフたちは、Kへの誠意と、会社の未来を賭けて、不眠不休で対応を続けた。数日間で、主要なプラットフォーム上の動画の9割以上を削除・非公開化することに成功し、その対応の迅速さと徹底ぶりは、一部のネットウォッチャーの間でも話題になるほどだった。「キララチューブ、本気でKを守りに来たな」と。


 数日後。暦は、東雲との面会のセッティングを完了させた。

 日時は、土曜日の午後。場所は、都心にある、大きなホテルのラウンジ。人が多く、開けているため、逆に密談には向かないが、安全は確保できる。

 そして、面会当日。

 暦は、自室の鏡の前で、深呼吸を繰り返していた。

(大丈夫…きっと、うまくいく…)

 彼女が選んだ変装は、いつも動画で変身しているような派手なものではなかった。

 肩まで伸びた、落ち着いたアッシュブラウンのボブヘア。知的な印象を与える、銀縁の伊達メガネ。少し大人びた、シンプルなネイビーのワンピースに、ベージュのトレンチコート。それは、どこにでもいる、少しオシャレな大学生のお姉さん、といった風貌だった。これなら、誰も月島暦という中学生だとは気づかないだろう。


 約束の時間、五分前。

 ホテルのラウンジの窓際の席で、暦は少し緊張しながら、入り口の方を見つめていた。

 やがて、一人の男性がラウンジに入ってくる。すらりとした長身に、よく磨かれた革靴。シンプルなスーツを着こなしているが、どこか堅苦しさよりも、洗練された雰囲気が漂う。年の頃は、二十代後半だろうか。その男性が、キョロキョロと周りを見渡している。

(あの人が、東雲さん…)

 暦は、そっと席を立ち、彼に歩み寄った。

「…東雲翔真さん、でいらっしゃいますか?」

 声をかけると、男性は少し驚いたように暦を見た。

「はい、東雲ですが…」

「Kです。本日は、お時間をいただき、ありがとうございます」

 暦がそう名乗ると、東雲は一瞬、目を見開いた。驚きと、納得と、そして興味深そうな光が、彼の瞳に宿る。しかし、彼は暦の姿をジロジロと詮索するような無粋な真似はせず、すぐに柔らかな笑みを浮かべて、深く頭を下げた。

「…こちらこそ、お会いできて光栄です、Kさん。東雲翔真です」

 その紳士的な態度に、暦の緊張が少しだけ和らいだ。


 席に着き、向かい合った二人。

 先に口を開いたのは、東雲だった。

「まず、この度の動画流出の件、改めて深くお詫び申し上げます。本当に、申し訳ございませんでした」

 彼は、再び深々と頭を下げた。その姿には、マニュアル通りの謝罪ではない、心からの悔恨の念が滲んでいた。

 そして、彼は一枚の報告書をテーブルの上に置いた。

「こちらは、先般Kさんにご同意いただきました、違法アップロード動画への対応状況のご報告です。専門チームを発足させ、昼夜を問わず削除申請及び警告を行っております。この数日間で、ネット上に拡散された動画の約95%を削除、または非公開化することに成功いたしました。残りにつきましても、引き続き徹底的に対応を進めてまいります」

 報告書には、具体的な対応件数や、削除されたサイトのリストが詳細に記されていた。その迅速かつ徹底した対応は、まさに「誠意の証」だった。

「…ありがとうございます。迅速なご対応、感謝いたします。正直、ここまでしていただけるとは思っていませんでした」

 暦は、素直に礼を言った。口先だけでなく、行動で示された誠意。それは、彼女の心を大きく動かした。

 この人なら、そしてこの会社なら、私の最も大切な「秘密」を、本気で守ってくれるかもしれない。暦の心の中の天秤が、確かな重みをもって「信頼」の方へと傾き始めていた。


 そして、暦は、静かに、しかしはっきりとした口調で、自分の考えを語り始めた。

「東雲さん。貴社と、お仕事を…してもよい、と考えています」

 その言葉に、東雲の目が、確かな輝きを放った。彼は、思わず身を乗り出しそうになるのを、ぐっと堪えた。

「…ただし、それは、私のあらゆる秘密が、完全に守られることが絶対条件です。そして、その上で、私という存在の価値を正当に評価し、それに見合う対価を提示していただける場合に限ります」

 小さな交渉人は、目の前の敏腕プロデューサーをまっすぐに見つめ、堂々とそう言い放った。その言葉には、中学生とは思えないほどの冷静さと、自身の価値への確信が込められていた。最高の舞台云々よりも先に、彼女が求めたのは、絶対的な安全と、正当な評価だった。

 二人の運命が、そして世界のエンタメの未来が、このホテルのラウンジの一角で、今、静かに、しかし確かに、新たなステージへと動き始めようとしていた。

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