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読みやすい短編集

詰め放題の店

作者: 鯰川 由良

 普段通らない道をぶらぶらと探索するというのは、私の一つの楽しみである。

 そんな行為をするということは、たいてい時間を持て余している証拠なのだから、心にも幾分の余裕がある。

 さて、今日もそんなふうに適当に歩き回っている訳なのだが、ニ時間も歩き続けたところで、いよいよ帰宅路の目安もつかなくなってきてしまった。

 スマートフォンでマップを覗けば万事解決なのだが、カンニングを避けたい心情のようなものが働き、それを許してくれない。また、こののんびりとした時間に、デジタルという硬質的なものを侵入させたくないというのもある。


 そんなことをぼんやりと考えながら、私は薄汚れたブロック塀の道角をふらりと左に曲がった。その時だ、威勢のよい店主の声が私の耳に届いた。「安いよ!」とか「お得だよ!」とか、そんな庶民の心を煽り立てるような言葉を大声でまき散らしている。


 しかし、私の心はそんな声に少しも揺り動かされない。私は知っているのだ。安価で売られるものというのは、大抵の場合、何かしらのデメリットが要因となり、そのような状態になっているものである。例えば、商品自体に小さな不備があったり、その商品が不人気だったり、まぁそんな感じだ。だから私は全くと言っていいほど気が惹かれないのだ。


 その直後、響き渡った店主の声。

「なんと! 一回三百円、掴み放題、詰め放題!!」


 さて、斜に構えた庶民にも、抗いようがない言葉が存在する。詰め放題だって? 聞いていないぞ。詰め放題という魅惑のひびき。

 さらに、三百円という価格! 商品を袋に詰めている際のエンターテイメント性の価値と、獲得した品の価値の総和が、三百円という価値をゆうに越えることは想像に難くない。


 ──少しだけ覗いてみようか。


 空はまだ少し橙色を帯びた程度。

 幸い、日の入りまでにはまだ時間がありそうだ。

 いざとなれば、マップに頼ることだって出来るのだ。

 さて、三百円で詰め放題の品物とはいかなるものか。私は好奇心に荒くなる鼻息を抑えながら、辺りを見回した。が、しかし、肝心の店が見当たらない。声ははっきりと聞こえるので、確かにこの辺のはずなのだが。辺りを見回しながら付近を一周して、結局元の場所に戻ってきてしまった。


 なんだなんだ。人を呼び込んでおいて店を構えていないとはいかなる所業か。


 その時、目の前を猫が横切った。どこからかやって来たその猫は、細身の体をくねらせながらブロック塀の間の細い通路をすり抜けて、あっという間にその先へと消えてしまった。

 こんなところに小さな通路があったのか。さっきの店主の声も、その先から聞こえてくるように思える。店舗を探しているという意識が、路地裏にある店の発見を阻んでいたというわけだ。グッジョブ、猫! 


 私は高揚した気持ちのまま、薄暗く湿った道を半身になって進む。んん、それにしても狭いな。両側の塀は黒く汚れているし、まさかこんな道を歩くことになるとは……というか、店の立地は一体どうなってるのだ。もはや嫌がらせの域ではないか。


 そのまましばらく進むと、少しばかりひらけた場所に出た。日当たりは決して良くなく、かろうじて目の前の小さな店舗の朱色をした瓦の一部に日光が当たってる程度だ。


 やっと着いたぞ……


 路地裏に位置するだけあり、かなりこぢんまりとした店構えだ。八百屋のように何か品物が陳列されているが、薄暗いために何が並んでいるかは確認できない。店の奥に至っては、完全に暗闇に包まれてしまっていた。更には、店全体がしんとした空気に包まれていて、人間の気配が全く感じられない。


 ──いらっしゃいませ。


 店内に足を踏み入れようとしたとき、聞き取れる限界のような小さな声が私に投げかけられた。

 よく目を凝らすと、黒いスーツを着た、店主と見られる人物が暗闇の中に突っ立っていた。その顔などはよく見えないが、全体的に細身で、先程までの声量がこの体から出ていたとは到底思えないような姿をしていた。


 いやはや、心臓が飛び出るかと思った。未だに心臓がバクバクと音を立てている。

 しかし、お目当ての店舗にたどり着けたのも事実である。

 さっそく薄暗い店内を見渡すと、店の真ん中らへんに『詰め放題』の文字を見つけた。その文字が書かれた札を指差しながら、「一回お願いします」と述べ、私はポケットから百円玉三枚を取り出した。

 店主はそれを受け取ると、手のひらの硬貨を幾度か数えたのち、首をかしげた。

「あ、これじゃ二百円分足りませんね」

 店主はそういうと、先程私が指さした看板に視線を向けた。するとどうだ、そこには『詰め放題五百円』の文字があった。三百円という衝撃を鮮明に覚えていた私は、小首をかしげつつ、背に腹は代えられない思いでニ枚の小銭を取り出した。

 店主は残りの二百円をしっかりと受け取ると、店の奥への姿を消した。しばらくすると、店主は幅一・五メートルほどのワゴンを片手で引っ張りながら現れた。

 私がそれを覗き込むと、ワゴンには一面に土が敷き詰められている。その土からは幾本もの葉が生えており、その種類は様々である。萎れたような葉から、緑の強いいきいきとした葉までが一様に並んでいる。それはそれは奇妙な光景であり、私の当初の想像とはかなり異なったものである。

「えぇと、これは?」

 私が溜まらず質問すると、店主は土から引き抜いて袋に詰めるのだと言い、私に詰め放題特有の取っ手のないビニル袋を渡した。なるほど人参みたいなものかと思いつつも、その葉っぱの形から多種多様な野菜が埋まっていることを想像する。

「では、制限時間は三分です。それでは、よーい──」

 私は肘の上のあたりまで腕を捲くる。

「スタートです」

 その合図とともに、私は一番左の手前にあった葉っぱを勢いよく引き抜いた。

 引き抜いた予期せぬそれと、目があった。

「ギィィィィァァァァァ!!!!」

 その瞬間、けたたましく鳴り響く音。私は片手で耳を塞ぎながらも、その植物らしき何かを手放さぬよう、必死で抵抗した。



 ────私はビニル袋に入った一本のマンドレイクを片手に、夕陽の中を歩く。

 輪ゴムやテープやらで袋の口は完全に密閉しきったわけであるが、未だに袋の中ではそれが叫び喚いている。スタミナを使い尽くしたようで、だいぶその声は抑えられているが、近くを通った人々が気づき振り返るほどには、その声が健在である。


 まさか、マンドレイクの詰め放題だったなんて……


 持って帰ったとて、こいつをどうしていいかなんてわからない。取り敢えず土に埋めておくべきなのだろうか。それならば、プランターを買わなきゃいけないな、と新しい支出ができたことにため息を付く。


 夕陽の中、私は少し歩いてから、先程の店の方向を振り返った。

 いったいなんの店だったのだろう。この世のものとは思えないような、実に奇妙な雰囲気の店だった。


 そうして振り返った私のすぐ近く、閉店間際の八百屋の店内、威勢の良さそうな店主の隣で小さな看板が顔をのぞかせていた。

 『野菜詰め放題 一回三百円!』

読んでくださり、ありがとうございます。

誤字等がございましたら、ご報告いただけると嬉しいです。

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