ソナチネ
パリーの香り シャンソンの味
何となく…(感じる)
生きているという この小さな喜び
シャンデリアの細い蝋燭のもと
私の小さな幸福が…ゆれる
(※19才の折りに家出した。横浜中華街のお店でウエイターとして雇ってもらい、住み込みで働くこととなる。渡欧を期していたが、実はそのお店での充実した日々こそが幸福だったと、その時はまったく気づかなかった。勤務時間は夕方の5時から深夜0時過ぎまでの遅番で、仕事が引けたあと時々深夜の山下公園まで行っては夜の港に眺め入ったものだ。ラヴェルのピアノ曲「夜のガスパール」のごとき、公園の噴水で妖精たちが踊っているような、人気の絶えた公園の素敵さとも合わせて、ミューズの僕たることをみずからに任じていたのだった。冒頭の詩はその折りに詠んだもの。そして上記の「ソナチネ」は家出の身の自分を、文無しの身をも顧みず、逆に気づかってくださって、雇い入れてくださった飯店のママさんの存在が、詩の裏側に伏在している。ママさんに与えられた安定と幸せであることを悟ることもなく、ひたすら渡欧こそと期していた。おのれを、現実を見ることなく、無知のままに描いた未来をこそ糧として生きる、浅薄な青年に過ぎなかったのだ。しかしこの詩の「幸福」とはママさんゆえと、どこかで感じてもいたのだろう。シャンデリアはお店の素敵な内装品である…)