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想いはキスにつつまれて

作者: 千月華音


 篝への定期報告のため森へと向かっていた瑚太朗は、GPSのレーダーがゆっくり動いているのに気づいた。

 小鳥の結界から離れて、またあの丘に向かっている。

(確かに、そこまでの自由行動は許したけどな……)

 篝からしてみれば一個体の人間の指図などあってないようなものだろう。

 瑚太朗としては誠意を持って篝のためにと言っていることでも、それは彼女の関知するところではない。

 ヒトではない存在。

 そういうものだからこそ惹かれたはずなのに。

 人間としての対応をして欲しいと思うこの相反する気持ちはいったいなんだ。

(アホか、俺は……)

 一瞬、不埒な考えを抱いてしまった自分を叱咤する。

 いっそ人間同士であるならこうまで思い悩みはしなかった。

 なまじ少女の姿に擬態しているから、紛らわしく、惑わされる。

 でも……。

 そうでなければこれほど惹かれていなかった。

 遠くを見つめる篝の瞳。

 機嫌が悪いときに唇をとがらせる癖。

 ため息をつく仕草。

 上から目線の物言い。

 瑚太朗を人間扱いしないような言動。

 思えばどれもネガティブな印象でしかないのに、そのどれもが目に焼きついて離れない。

 太陽を長く見て網膜の裏に光が篭るかのように。

 そして報告という形ではあるけれど、こうして篝に会いに行くことに胸が高鳴っている自分も、もう受け入れてしまっていた。

「瑚太朗くん、篝が……」

「わかってる。結界抜け出したんだろ」

 小鳥が心配そうに瑚太朗の側に駆け寄ってきた。

 何度張りなおしても破られてしまう結界に自信がなくなってきているのかもしれない。

 見ると数体の魔物を捜索に出そうとしているところだった。

「居場所はわかってる。魔物は動かさなくていい」

「どこにいるの?」

「ここから少し行った先にある街を見下ろせる丘だ」

「なんであんなとこ……」

「さあな。気に入ってるんじゃないか。いつもあそこにいるから心配しなくていい。篝には携帯渡してる。位置情報は把握できる」

「…篝にだけ?」

「おまえも欲しいの?」

「瑚太朗くんと連絡とれる」

「おまえに渡すとしょっちゅうかけてきそうだし……」

「じゃ、メールだけでもいいから」

 小鳥が瑚太朗の服の裾を掴んで縋るように見上げた。

 思えば小鳥が瑚太朗にねだるのは、これが初めてなのではないか。

 我儘はしょっちゅうだが、何か欲しいとか言うことは今まで一度もなかった。

(正直、メールも煩わしいけど……)

 子供のおねだりは苦手だった。

 なんだかんだ言っても、孤児院にいる彼らの願いもいつも聞き入れていたような気がする。

 甘いとは自覚しているが、なんの我儘もきいてもらえなかった不遇な子供時代の反動かもしれない。

 親はそういうしつけには厳しかった。

「わかったよ。今度適当なの持ってきてやる。言っとくが安物しかないからな」

「うん!」

 篝に選ばせるために数機種購入したが、まだ捨てなくてよかった。

 子供向けのデザインばかりだから小鳥にはぴったりだろう。

 小鳥は嬉しそうに工房へと戻って行った。

 もう学校へ行けと言うのも馬鹿馬鹿しくなってきた。

 すでに知識レベルは高校生くらいだし、小学校の授業など退屈なだけだろう。

(それでも義務教育くらいは終わらせておけ)

 高校中退した自分が言うことではないかもしれないけど。

 瑚太朗は森の奥から強い気配のようなものを感じ、そこに篝がいるのだとわかった。

 気配というより……繋がりのような。

 魔物の線を辿る感覚に近い。

 自分と篝との間にそんなものがあるとはとても思えなかったが。

「篝」

 丘にいる篝を見つけて声をかけると、瑚太朗の声は聞こえているはずなのだが振り向きもしなかった。

 つれない態度なのになぜか悪い気がしない自分がおかしかった。

「報告したいんだけど、いいか?」

「いいも悪いも。あなたの義務でしょう」

 篝はやはり振り返らなかった。

 言葉に苛立ちのようなものは感じない。

 少なくとも機嫌が悪いわけではないようだった。

「マーテル会が洲崎派と加島派に分かれていることは前に話したよな。その加島派の動きがガードが固くてなかなか掴めない。だが糸口を見つけた」

「それは?」

「洲崎が作ってる人工来世だ。何度か足を運んだが、加島派の魔物使いも密偵なのか紛れ込んでいる。奴らの足取りを追えば加島に辿り着けるはずだ」

「それで?」

「神殿の地下に人工来世と接続する巨大な起動システムを発見した。加島の狙いはそれらしい。システムを掌握して人工来世ごと奪い取るつもりのようだ。もう少し探りを入れてみる」

「探りを入れてみたのですか?」

「いやだから、その予定だ。中間報告のようなものだよ。現状では動きに変化はない」

「では早く現状を動かしなさい」

「……篝」

「経過報告など必要ありません。何かの動きがあったという事実のみで良いのです。……瑚太朗。前から気になっていたのですが」

 今まで背を向けていた篝が、初めて瑚太朗のほうに振り向いた。

 いつもと変わらない無表情のはずなのに、瑚太朗を見る紫蒼の瞳は刺すほどに鋭かった。

 その心の底まで見透かされそうな瞳に、思わず瑚太朗の胸が激しく鼓動を打った。

 甘く痺れるように。

「なぜあなたは必要もない報告をしに何度も足を運ぶのですか。そのような時間があるのなら、少しでも現状を動かす努力をするべきでしょう」

「…………」

「正直に言って下さい。なぜ篝のもとに何度も来るのですか」

「正直に言ってもいいのか?」

「……? そうして下さいと言ったのですが」

 瑚太朗は唾を飲み込んで少しだけ悩んだ。

 言ってしまうのは簡単だ。

 だがそれは篝が望むような答えではないだろう。

 言ってしまえば、それこそ篝の信頼を裏切ることになるのかもしれない。

(だけど……)

 正直に言って欲しい、という篝の言葉が瑚太朗の躊躇いを消してしまった。

「何度も来るのは……あんたに会いたいからだ」

 とうとう言ってしまった。

 死刑執行を待つ囚人のように項垂れて篝の言葉を待つ。

 だが篝はしばらく黙ったまま、瑚太朗を不思議そうに見つめていた。

「……?」

 篝の考えが読めず、瑚太朗は疑問に思いつつもじっと篝を見つめた。

 混乱しているような表情。

 篝は今必死になって瑚太朗の言った言葉の意味を考えている。

 そんな気がした。

「会いたいとは……どういう意味ですか?」

 長い沈黙を破ってやっと言った言葉は、本当に意味が解りかねているような響きだった。

 それはそうだろう。

 篝は人間ではないのだから。

 ヒトの告白など、意味不明な言葉でしかない。

「そのままの意味だ。俺はあんたに会いに来たくて、ここにいる」

「何度も会っているではありませんか」

「俺はあんたとは違う。人間の男だ。惹かれた相手に会いたいと思うのは当然の感情だ」

「あなたが篝に欲情しているのは知っています」

「そういう意味じゃない! それも間違ってないが、会うだけでも俺には十分なんだよ。毎日あんたのために動いているんだ。それくらいの褒賞があってもいいだろう!」

「……理解できません。篝と会うことが、どんな褒美になるというのですか」

「毎日あんたのことを考えている」

「それが?」

「篝のことを考えている! 毎日、毎日! 正直おかしくなりそうだ。考えるのも嫌になるくらいなのに、どうしてもあんたのことを考えてしまう。だから会いたくなるんだよ、それくらい解れよ!」

 瑚太朗は自分でもなぜこんなに曝け出して言ってしまっているのか、わからなかった。

 言っても意味などないことくらい自分が一番良く知っている。

 なのにとまらなかった。

「ホモ・ペルトゥルバティオ(混乱するヒト)、落ち着きなさい。あなたは錯乱しているだけです。現状を打開できない苛立ちから篝に八つ当たりするのはおやめなさい」

「錯乱……だと?」

「それ以外の何に見えるというのですか。篝のことを毎日考えているといいますが、それは当たり前のことです。考えるのがあなたの義務であり、責務です。あなたは篝に仕えることを承諾したのではないのですか」

「ああ、そうだ。承諾した。ただしそれは俺の意志でだ。あんたに言われたからじゃない!」

「やはりあなたは混乱しているようです。言っていることが矛盾しています」

「矛盾じゃない。人間なら当たり前の感情だからだ」

「当たり前?」

「相手に認められたいと思う気持ち。それは不完全な人間が唯一持てる、自己の意志を尊重する気持ちだ」

「あなたは篝に認められたいと思っていると?」

「だからそう言ってるんだ!」

 瑚太朗はいっそこの星の化身を抱きしめて思うさま唇を貪りたい衝動に駆られた。

 言葉で通じないのなら身体でわからせてやりたい。

 その思いが強まっていくのをとめようもなく感じていた。

「それならば何度も言います。星の命を繋ぐ努力を、結果で示して下さい。篝はそれ以外のことであなたを認めることなど出来ません」

 最終判決が下されたような言い方だった。

 だが瑚太朗は諦めなかった。

「それには時間がかかる。俺の命も賭かってる。死んで認められても意味がない」

「死なないよう努力なさい」

「簡単に言うなよ」

「一体あなたは、篝に何を望むのですか」

「認められたいだけだ」

「それには結果を伴うと」

「…………」

 水掛け論になっている。

 このままだと何も進展しない。話し合いは決裂になりそうだった。

 しばし悩む。

 篝の信頼を得たいと思って努力している。ただそれには時間がかかる。

 篝のいう『良い記憶』であるかどうかの判断も、見てみないとわからないという不確定さ。

 こんな報われない仕事があるだろうか。

 もう妥協するしか……。

 最初に篝が言っていた男女間の求愛行動。

 求めれば応じるだろう。今だって篝は瑚太朗の行動理由がそれに基づいていると考えている。

 だけど……。

(そんなことで満足したら、今までの全てが無駄になる)

 欲しいのは身体じゃない。……心だ。

 身体だけを求めたって意味がない。

 そんな生物学的な繋がりなどで捉えられるのは御免だ。

 篝の顔を見上げる。

 理解不能といった表情で瑚太朗を見下ろしている。

 ここまで言っても想いがまったく伝わらないことに虚しさとやりきれなさを感じた。

 人間ではないのだから。星の化身なのだから。

 そう言い聞かせて今まで納得しようとしていたけれど。

 これ以上は耐えられそうもない。

 想いを伝える……。

 もっとも手っ取り早い手段。

 今まで篝の反応が怖くて回避し続けたけれど。

 報酬という意味では満足感には程遠いものだけれど。

 前借りくらいしてもいいのではないか。

 ただしそれにはリスクが伴う。

 篝の信頼を損なうというリスク。

 お互い合意であることが必要だった。

「篝」

 悩んだ末、篝に取引を持ちかけることにした。

「何を望むのかときいたな。ひとつある」

「それは何ですか」

「ただしそれは本当の望みじゃない。だがこの望みを叶えてくれるなら、あんたに経過報告するのはやめて、大きな進展があった場合のみの報告とする」

「それは篝にとって不利な条件でしかありません」

「小鳥に毎日コーヒーを運ばせる」

「……引き受けます」

 こんなことで容易く折れるのかと瑚太朗は唖然としたが、この際どうでもいいことにした。

 篝の側に近寄って肩に手を置く。

「篝にキスしたい」

 率直に言った途端、篝は目を見開いた後、不思議そうな顔をした。

「意味がわかりません」

「キスだよ。知らないのか?」

「……?」

「……本当に知らないのか」

 教えてやってもいいのだが……。

 篝が逃げるような気がしてならない。

 この際騙すことにした。

「じゃあ今から俺がすることに何も文句を言わない、というのが望みだ」

「何をするつもりですか?」

「だから、キス」

「……教えてください」

「文句を言わないというのが条件。教えるのは条件のうちに入らない」

「卑怯です、瑚太朗」

「計略といって欲しい」

 篝は少し不機嫌そうに唇を尖らせたが、やがて渋々といった感じで頷いた。

 その仕草だけで瑚太朗は胸がざわめく。

 しばらく篝を見れないと思うだけで一層想いが募った。

(遠距離恋愛って思えば……)

 距離的にはまったく離れていないのだが。

「じゃあ目を瞑ってくれないか」

「それがキスですか?」

「その前段階」

「……わかりました」

 目を瞑る。

 篝の肩に手をかけたまま、瑚太朗はしばしジッとその顔を見つめた。

 見ているだけなのにどうにかなりそうだった。

 こんなに好きだとは思いもしなかった。

 篝の眉、口元、鼻、頬、瞑られた瞼、……そして唇。

 すべてが震えがくるほどの美しさを感じた。

(落ち着け、俺……)

 篝を怖がらせたりしたくない。

 どんなにこみ上げる衝動があっても、ただ優しくしたい一心しかなかった。

 唇を寄せる。

 軽く触れた途端、篝が僅かに震えた。

 それを無視して唇を押し当てる。

 篝の唇の震えだけを感じていた。

「…………」

 ゆっくりと離すと、篝は我にかえったように目を開けた。

 そして自分の唇に指を押し当てて、不思議そうに問いかけてきた。

「今のがキスなのですか?」

「ああ」

「これに何の意味が?」

「意味なんてない。ただの愛情表現だ」

「これが?」

「わからない?」

「……わかりません。ただ匂いをつけられただけのような……」

 瑚太朗はクスッと笑った。

 わからなくてもいい。

 だけど未知の感覚に戸惑っている篝が可愛くて。

 いつまでも見つめていたかった。






「篝にコーヒー?」

「ああ。持ってきてやってくれないか。毎日」

 小鳥は首を傾げた。

 鍵が嗜好品を飲むなど考えられないのかもしれない。

 無理もないけど。

「いいけど……。瑚太朗くんの分も?」

「俺はいい。というか当分ここには来れない」

「ええっ?! なんで」

「いや、篝が居るときは来れないって意味。GPSで見てここから離れてたらたまに様子をききにくるよ」

「……篝とケンカでもした?」

「まあ……そんなとこ」

 本当は違うが、訂正するのも面倒だった。

 小鳥は少し考えこむような仕草をした。

「小鳥?」

「早く仲直りしたほうがいいよ。篝はちょっと気難しいとこあるけど……世間知らずなとこあるけど……融通きかないとこあるけど……」

「おまえも大概だけどな」

「でも瑚太朗くんのこと、嫌ってなんていないから」

「…………」

「あたしにはすごく素っ気ないけど、瑚太朗くんには違うもん。瑚太朗くんにだけは優しいから」

「優しい? ……どこが」

「優しいよ。……目とか」

「目?」

「あたしには爬虫類とか植物とか見るような目だけど、瑚太朗くん見てるときだけは……優しい」

「…………」

「たぶん、瑚太朗くんしか頼りになる人、いない……」

「それはな、小鳥。篝を最初に見つけたのが俺だからだよ」

「……え?」

「発芽の段階のとき、一度接触した。最初見たときは、それがなんなのかわかりもせず、ただ見ただけだ。篝はそれを覚えていた。篝が最初に学んだのが、俺なんだ」

「瑚太朗くんが……篝を?」

「その後も生まれた直後に接触して、見逃した。俺はガーディアンだから本当なら見逃すべきではなかったんだろうが……でも傷つけることなんて出来なかった。俺と篝との間に縁が生まれたのは、そのせいだ」

「…………」

「篝のことを見捨てるなんてことはしない。だから心配すんな」

 くしゃっ、と小鳥の髪をかき混ぜた。

 ここまで言うつもりはなかったが仕方ない。

(優しい、か……)

 その言葉を信じるなら、あの突き刺すような紫蒼の瞳の奥に、篝の心が潜んでいるのだろうか。

 それを得ることができるのなら……。

「…………」

 キスをしてもただ戸惑うだけだった篝。

 想いの一欠けらも伝わりはしなかったけれど。

 今はそれでも構わない――と瑚太朗は強く拳を握りしめた。



改訂してみました。

ちょっと説明不足な部分と、最後のほうで付け足しを。

読み返したくはないんですが、私しかわからない部分を書いても仕方ないですし。

最初のほうも……うーん、隠された心情とかあるんですが……それはご想像にお任せします。

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