第8話 エドラド・ミクロクレイス
更新遅れていて申し訳ないです。
翌日、目を覚ました俺は朝食をとった後、日が高くなるまで部屋で時間を潰してからギルドへと向かった。特に時間を指定された訳ではないがあまり早すぎると迷惑だろう。日本人の性というものだ。
今日からは魔物と戦うための14日間の基礎訓練が始まる。これを終えてはじめて俺の冒険者としての日々が始まるのだ。俺は不安と覚悟、そして若干の期待を胸にギルドの扉を開いた。
ギルド内に足を踏み入れてすぐ、その雰囲気が先日と異なっていることに気がついた。一昨日は昼間でも酒を飲んで大騒ぎしている者ばかりでうるさいくらい賑やかだった。しかし、現在ギルド内の冒険者たちは一様に浮かない顔をしていて大声を出している者など一人もいなかった。俺はその空気に違和感を感じながらも先日と同じように1番カウンターへと足を運んだ。
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「すみません。今日から基礎訓練を受けることになっている者なんですが……」
「ああ、はい……。少々お待ちいただいてよろしいでしょうか……?」
ギルドカードを提示すると、受付のお姉さんはそう言ってカウンターの奥で何かを探し始めた。受付のお姉さんは一昨日と同じ眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の女性なのだが、目の下には濃い隈ができていて、ぐったりとしていた。まるで徹夜明けの社畜のような顔だ。案外冒険者ギルドとは黒い企業なのかもしれない。労働基準監督署は労働環境に悩みを持つ人たちの味方だよ。しばらく待っていると、お姉さんが数枚の書類を手にこちらに向き直った。
「コウジ・スズマさんですね。ただいま担当の指導員をお呼びしますので、少々お待ちください」
そう言ってお姉さんは手元にあった占い師が使う水晶のようなものに手をかざした。
「№21 コール」
お姉さんが呟くと同時にそれが淡く発光する。お姉さんは数秒の経った後、手を離した。よく分からないが今ので指導員を呼んだらしい。
それにしても指導員ってどんな人なんだろうか。できれば優しくて美人な女の人が良いな。失敗したら「大丈夫よ、次頑張りましょう」とか言って優しく慰めてくれるような。ハルトマン軍曹みたいな鬼教官は嫌だ。「大声出せ!タマ落としたか!」等と怒鳴られるのは勘弁願いたい。俺のチキンハートでは耐えられないからな。まぁ、本当にタマは落としてるんですけどね。なんちって。……あれ、なんか涙出てきた。
「儂が基礎訓練を担当する勇者とは君の事かね?」
相棒の事を思い出し、悲しい気分になっていると突然背後から声をかけられた。低く威厳のある男の声だ。俺は背筋をピッと伸ばして立ち上がり、声の主の方を向く。するとそこには鴉の濡れ羽のような黒い外套に身を包んだ白髪の老人が俺を見下ろすように立っていた。この人は……。
「おや、君は……」
老人も俺の顔を見て目を丸くした。間違いない。一昨日、世紀末な男に絡まれていた俺を助けてくれた老人だ。様子を見るに老人も俺のことを覚えてくれているようだ。俺は腰を折って深々と頭を下げる。
「先日はありがとうございました」
「いや、よい。それよりも先日のお嬢さんが儂が基礎訓練を担当する勇者だったとはな。面白い巡り合わせもあるものだ」
老人は愉快そうにくっくと笑った。厳格そうな見た目の割に意外と気のいい人物であるようだ。美人の女教官ではないがこの老人は困っていた俺に手を差し伸べてくれた救世主だ。そんな人が指導員なら文句がある筈もない。老人はひとしきり笑うと握手を求めるように手を伸ばしてきた。
「儂の名はエドラド・ミクロクレイス。短い間だがよろしく頼む」
「コウジ・スズマです。こちらこそよろしくお願いします」
俺はエドラドさんの顔を見上げ、その手を取った。ゴツゴツとした力強い手だ。バトルアニメの主人公とかはここで「これは、鍛錬を積んだ強者の手だ…
…!」とかやるのかもしれないが生憎俺は素人なのでそのへんはよく分からない。強いて言うなら農業をやっている田舎の爺ちゃんの手に似ている。そういえば爺ちゃん、正月に会いに行った時にこにこしながら「浩示ももう高校生か。家族を守れる立派な男になれよ」って言ってたなぁ。ごめんよ爺ちゃん、立派な男にはなれそうにないよ……。
「どうかしたのか?」
ふと気がつくとエドラドさんが怪訝そうな顔をしていた。いけない、つい感傷に浸ってしまった。
「いえ、大丈夫です」
慌てて気を取り直し、エドラドさんから手を離す。エドラドさんは少しの間心配そうな顔で俺を見ていたが、それ以上は聞いてくることはなかった。真顔に戻ったエドラドさんは気持ち優しげな声音で告げた。
「では“訓練所”に行こうか」
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エドラドさんはカウンターで受付のお姉さんから小さな鍵を受け取り、俺の方に視線を向けた。
「こちらだ」
エドラドさんはそう言ってカウンターに足を踏み入れ、奥にあった扉の中に入っていった。え?そこ入っちゃマズイんじゃ…。ちらりと受付のお姉さんに視線を向けるが、特に気にした様子はない。どうやら入っても大丈夫なようだ。俺は恐る恐るエドラドさんの後を追いかけた。
扉の先には石造りの真っ直ぐな下り階段が続いていて、壁面に等間隔に設置された水晶のようなものが辺りを明るく照らしていた。エドラドさんは既に階段を下り始めている。俺はエドラドさんに置いていかれないように早足で、しかし足を滑らせないように慎重に階段を下っていく。
「あの、どこに向かってるんですか?」
エドラドさんのすぐ後ろまで追いついた俺は、その背に疑問を投げかけた。この階段を下りた先に何があるのだろうか?
「先程伝えただろう。訓練所だ。ギルドの地下にある」
エドラドさんはこちらを振り返らず、言葉少なにそう答えた。つまり地下訓練所か。普通なら驚くところなのだろうが、地下訓練所など(ゲームで)見飽きている。それにこの2日間で異常事態に巻き込まれまくったせいか衝撃は薄かった。俺はそれ以上の追求をせず、黙って後についていく。
階段を下りきった先にあったのは金属で縁取りされた木製の扉だった。先ほどの扉とは違い、ドアノブと鍵穴がついている。エドラドさんはカウンターで受け取った鍵を取り出してガチャリと解錠した。俺は、そのまま部屋の中に入っていったエドラドさんの後に続いた。
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扉の先は高校の体育館ほどの広さの飾り気のない部屋だった。足元には柔らかな土が敷き詰められている。頑丈そうな木でできた大きな箱が部屋の端に数個置いてあるだけで、机や椅子などの家具は一切ない。なるほど、ここなら訓練中に何かを壊してしまったり、頭を打って大事になったりはなさそうだ。
「さて、訓練を始める前に君のギルドカードを見せてもらっても良いかね?」
広々とした室内を見回しているとすぐ隣に立っていたエドラドさんがそう言って俺に視線を向けた。特に渋る理由もないのでジャージのポケットからカードを取り出して斜め上に突き出した。しかし、エドラドさんは結構背が高い。俺が手を伸ばして掲げただけではよく見えなかったらしく、腰を少し屈めてカードを覗き込んだ。
「ふむ、もう大丈夫だ」
しばらくカードを見つめていたエドラドさんはそう言うと、何かを考え込むような表情で顎に手を当てた。『こいつ筋力低過ぎだろ…。どうしよう』とか思ってるんだろうか。自分でもそう思う。『こいつやっぱ冒険者無理だわ。ギルドで給仕でもやらせとけ』か言われて突っ返されたらどうしよう。
俺は《魔を束ねし者》を倒して元の世界に帰らなければならない。そんな低ステータスで何言ってんだこいつギャハハハハとか思われるかもしれないが、俺は大真面目だ。
「そんな顔をしなくともよい。少し待っていなさい」
不安が顔に出ていたらしい。エドラドさんは口元をふっと緩ませると部屋の端、木箱へと近づいていった。エドラドさん、なんて優しい人なんだ…。これからは敬意を込めて先生と呼ばせてもらおう。
俺が心の中で先生を讃えるエドラド讃歌を歌っていると長い筒のようなものを持った先生が戻ってきた。
「武器はこれを使いなさい」
先生が俺の目の前に差し出したそれは見覚えのあるものだった。
「銃……?」
テレビや写真でしか見たことはないが間違いない。マスケット銃に似た長い銃身はきらきらと白銀に輝いていて、とても美しい。俺はその銃をおずおずと両手で受け取った。軽い。これなら筋力の低い俺でも問題なく使えそうだ。
「魔導銃だ。普通の銃とは違い、銃弾の代わりに魔力を撃ち出す。少しばかり扱いづらいが強力だ。何より軽い。筋力が低く魔力が高い君に丁度いい」
「あの、これ貰っちゃっていいんですか?」
「ああ、構わん。これはギルドからの支給品だ。勇者に丸腰で戦わせるわけにはいかないだろう?」
「ありがとうございます」
俺は優しげな笑みを浮かべる先生にペコリと頭を下げた。この人には頭が上がらない。先生はしばらくの間口元を緩ませてていたが、突如としてきゅっと顔を引き締め口を開いた。その声には先程までの緩さはなく、重味が含まれていた。
「この14日間で覚えてもらうことは主に魔法の使い方、武器の使い方、スキルの使い方の3つだ。訓練は厳しく行う。中途半端な状態で送り出す訳にはいかないからな」
先生はスパルタ式教育法を取り入れていらっしゃるらしい。その低く威厳ある声に額からたらりと冷や汗が流れた気がした。……本当に頭が上がらなくなるかもしれない。物理的に。