第7話 商店街
「ふぁ……」
大きなあくびをしてベッドから降りる。朝だ。
昨日の疲れは殆ど取れてはいたが、背中が若干痛む。やはり藁のベッドというのは寝心地がいいものではないな。
藁よりは木。木よりは煉瓦っていうし。それは童話か。本当に煉瓦のベッドなんかで寝たら間違いなく背骨がイカれるだろう。
俺はくうっと伸びをして、部屋を出る。昨晩は全身の疲れと心労の為か食欲が湧かなかったが、今は胃がしきりに空腹を訴えていた。
また、あの少年に出会しはしないだろうかとドキドキしながら階段を降りていく。幸い、階段にも食堂にも少年の姿はなかった。
俺は他の冒険者の見様見真似で黒いパンとハムのようなものが少し入ったサラダを貰い、テーブルについた。黒パンを手に取り、一口齧る。
「硬っ」
いつも食べていたパンとはあまりにも違う食感に思わず小さく声が漏れた。硬くて、もそもそとしている。
だが、味は悪くはなかった。噛んでいると口いっぱいに芳ばしい香りが広がり、ほんのりとした甘みもある。
何よりこのパンは無料だ。料金を払っていないのだから、俺はあまり多くを期待できる立場ではない。
俺は硬いパンをもしゃもしゃと咀嚼しながら今日は何をしようかと考えていた。ギルドに行かなければいけないのは明日だ。今日は特に予定がない。
つまり今日一日は自由だということだ。とはいえお金が無いのでやれることは少ない。というか殆どない。俺は何かいい案はないかと頭を働かせながらサラダへと手を伸ばすのだった。
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悩み抜いた末に俺は商店街に行ってみることにした。宿舎の受付のおじさんに聞いた話だと、この町−−【エストール】は居住区、商業区、行政区の三区画に分かれていて、商店街はギルドと同じ行商区に位置しているらしい。
無論、お金は一銭足りとも持ってはいないので買い物はできない。ウィンドウショッピングというやつだ。だが買うことはできなくても、売っている商品やその値段、流通しているお金や役に立ちそうな店の場所を知ることはできる。
決して他に何も考えつかなかったからではない。本当だよ? ともあれ親切に道も教えてくれたおじさんに礼を言いい、意気揚々と宿舎を出発したのだが……。
「迷った」
おじさんはすぐ近くだから絶対に迷わないなどと言っていたが、この世に絶対などないのだ。辺りには民家が立ち並び、道端で世間話をしている女性達や楽しそうに遊んでいる子供達の姿が見える。
ギルドの周辺とは雰囲気が違う。俺は道を歩いていたおばさんを呼び止め、道を尋ねることにした。
「すみません。商店街に行きたいのですが道に迷ってしまって……」
「あらお嬢ちゃん、もしかして他所からきたのかい? ここは居住区だから商業区にある商店街は反対側だよ。少し遠いから道になれてないお嬢ちゃんじゃ、迷わずに行くのは難しいだろうねぇ」
きょ、居住区!? どうやら俺は全くの逆方向に進んでしまっていたらしい。道理でいつまで経っても着かないわけだ。
しかし参った。おばさんの言う通り、たとえ道を口で教えてもらったとしても、俺一人では無事にたどり着くことはできないだろう。俺がどうしたものかと考え込んでいるとおばさんが安心しなとばかりに胸をポンポン叩いた。
「そんな顔しなくても大丈夫よ。うちの娘が≪ディレクション≫の魔法を使えるんだよ。今呼んできてあげるからちょっとここで待ってな」
おばさんはそう言って四軒先の家に小走りで入っていった。≪ディレクション≫。その効果は昨日体験済みだ。
俺はほっとして、おばさんが戻ってくるのを待つ。しばらくすると、おばさんが金髪の女性の手を引いて戻ってきた。何やら言い合いをしているがあの人が娘さんなのだろう。あれ? あの人見覚えがあるような…。
「ほら、早くおしよ!」
「もう、お母さん! 今日は久しぶりの休みだから午前中は起こさないでって言ったでしょ!?」
「そんな事言ったって女の子が道に迷って困ってたんだから、助けてあげなきゃ可哀想だろう?」
おばさんは俺の前まで来ると、娘さんの肩に手をおいてにこやかな笑みを浮かべた。
「この子が私の娘のミリア。こう見えてこの町の教会のシスターなのよ」
眠そうに目を擦りながらあくびをするその女性は--。
--昨日、重い宿命を背負ったシスターのように見えたミリア・フェルブランその人であった。
普通の町娘の格好をしていたのですぐ気がつかなかった。この人、休みの日だとこんな感じなのか……。昨日とのギャップに若干戸惑いを感じながらも、軽く会釈をする。
「ど、どうも」
「あ、うん。……ってえぇぇぇ!?」
ミリアさんはそこでやっと俺に気づいたようで、驚きの絶叫をあげる。本当この人、昨日と全然違うな……。もはや別人だ。
おばさんは口をパクパクさせて固まるミリアさんに怪訝な顔をしながらも話を続ける。
「ほら、ミリア! この子が商店街に行きたいんだけど道が分からないんだってさ。あんたの魔法でなんとかしておやり」
ミリアさんはハッとした顔をして、俺の前に無言で近づいてきて額に手を当てた。
「あ、あの……。ミリアさん?」
「ひ、人違いじゃないですか? わ、私、あなたと会うのは初めてでひゅよ?」
思いっきり裏返った声でミリアさんが答える。ああ、この人、誤魔化そうとしてるな。
俺も鬼ではないのでそれ以上の追及はやめておいた。ミリアさんも俺の意図を知ってか知らずか、凄まじい早口で詠唱を開始した。
「彼の者に正しき道を示せ、≪ディレクション≫」
ミリアさんは詠唱が終わると同時に立ち上がり、そそくさと家へと帰っていった。
「どうしたのかしら、あの子?」
おばさんはそんな娘の後ろ姿を不思議そうに見つめていた。俺は、そんなおばさんに丁寧に礼をしてから商店街への道を歩き始めた。今日のミリアさんのことは記憶の底にでも封じ込めておこう。
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居住区から歩き始めること約三十分。俺は様々な苦労の果てに商店街に辿り着いていた。
辺りには石造りの道に様々な店が所狭しと立ち並び、人々の活気ある声で満ち溢れている。
市街区ではほとんど見かけなかった荷馬車の姿もちらほら見える。俺は一番近くにあった店で青緑色の林檎のような果物を手に取り、店主らしき男に聞いてみた。
「すみません。これ、いくらですか?」
「お、それは1つでメレニアス銅貨一枚だ。嬢ちゃん、どうだい一つ?」
俺は店主に苦笑混じりで礼を言い、その場を去る。去り際に店主が一瞬だけ悲しそうな顔をしたのが見えた。悪いなおっちゃん、金が貯まったらまたくるよ。
先ほどのやり取りで“メレニアス銅貨”というものが通貨として使われていることが分かった。この調子で色々な店を回って調査を進めよう。俺は隣にあった雑貨屋に足を運んだ。
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調査の結果、この世界の通貨についてはかなり詳しく知ることができた。まず、一般的に流通している通貨は“ロム銅貨”、“メレニアス銅貨”、“ルチム銀貨”、“ノルフィス銀貨”、“ダルクラン金貨”と呼ばれる硬貨だ。ロムやメレニアスとはその硬貨の原料となった金属の名前らしい。
ロム銅貨は殆どが釣り銭などに使用される非常に小額の硬貨だ。メレニアス銅貨は一枚で果物一個分。ルチム銀貨は一枚あれば新品の衣服を買うことができる。
ノルフィス銀貨は数枚で質の高そうなそうな高級武具。ダルクラン金貨などは単位として使われていたのが、見るからに凄そうな魔法道具だけだった。
ルチム以下の値段の商品はよく見かけたが、ノルフィス以上のものは明らかに高そうな物ばかりだった。おそらく、硬貨のグレードが一つ上がるごとに、その価値は十倍以上になっているのだろう。
この先お世話になりそうな店の場所も覚え、一通り商店街でできる事は終わった。明日からは魔物と戦うための過酷な訓練が始まる。少し早いが、そろそろ宿舎へ引き上げるとしよう。
俺は今度は迷わないように慎重に、ゆっくりと宿舎への帰途についたのだった。