第6話 宵闇の悪夢
第6話です。
※6/16 魔物名の変更 ナイトハウンド→ネグロドゥーク
柴田誠也は平凡な人生を送ってきた男だった。
地方の一般家庭の次男として生まれ、小中高は地元の学校に通っていた。高校卒業と同時に上京して理系の私立大学に入学。卒業後は地元には帰らず、SEとして働き始めた。
残業が多く、大変な仕事だったが仕事仲間との仲は良好でそれなりに楽しい日々を送っていた。
そんな日常は四年前のある日に突然終わりを告げた。
一人で会社に残って残業をしていた夜のことだ。一段落ついて休憩しようと脱力したとき、突如自分以外のすべてがモノクロに変わった。そしてそれがばらばらと崩れていき、誠也も気を失った。
目が覚めると全く知らない場所にいて、自分より十程下の少女に自分は魔王を倒すために異世界に召喚されたのだと告げられた。
意味が分からなかった。
最初は夢でも見ているんじゃないかと思っていた。でも、違った。それは紛れもない現実だった。
誠也は戸惑いながらも少女に言われた通りにギルドとやらに入り、戦闘訓練を受けた。
教官は恐ろしく厳しく、訓練は過酷なものだったが仕事で身につけた忍耐強さで何とか最後まで耐え抜くことができた。
そして訓練が終わった次の日に魔物を狩りに町の近くの森に向かった。誠也は最初、魔物達の恐ろしい姿に恐怖したが、どの魔物も誠也の--勇者の力の前では無力だった。
その事が彼に自分は特別なんだという思いを抱かせた。誠也はただひたすらに魔物を殺し続けた。
辺りに夜の帳が下りてきた頃、誠也は今まで見たことがない紫がかった黒い毛皮に全身を覆われた狼のような魔物に周りを囲まれた。
【ネグロドゥーク】。
闇の中でしか活動できないが群れによる連携が強力な魔物だ。グレイも当然そのことは教官から教わっていたため知っていた。
しかし彼は慢心していた。自分に勝てるものなどいない、と。それが彼を窮地に陥れた。
確かに1匹1匹は彼にとって取るに足らない雑魚だった。だが、ネグロドゥークの連携行動はしだいに彼の体力を奪っていった。
彼が血塗れで地面に倒れ伏すのにそう時間は掛からなかった。もし、あの冒険者のパーティーが通りかからなければ彼は死んでいただろう。
その次の日から誠也は自分に用意された冒険者用宿舎の一室に引きこもった。
魔物と戦うことが怖くなったのだ。一日に一度、食堂でマズい飯を食べるためだけに部屋を出て、食事を終えればまた引きこもる。
そんな毎日の繰り返しだった。一日、また一日と時間だけが過ぎていき、何も解決はしなかった。
そんなある日、誠也は宿の食堂で自分と同じ世界から来たという女性に話しかけられた。
彼女は誠也のように絶望し、怯えてはいなかった。間新しい防具に見を包み、絶対に元の世界に戻ってやると息巻いていた。
誠也はそんな彼女を見て、自分は何て情けないんだろうと思った。彼女のような女性まで魔物と戦う覚悟を決めているのに、いつまでも怖がって部屋に閉じこもっている自分を恥じた。その日から誠也の中で何かが変わった。
誠也は自分に勇気をくれたその女性とパーティーを組んだ。
冒険者としての毎日は充実したものだった。最初は誠也と彼女だけだったパーティーメンバーは五人になり、いつしか町最強のパーティーとまで言われるようになった。
斬撃を飛ばすスキルを持つ誠也、エルフの少女で魔道士のパンジー、勇敢なドワーフの戦士ドルトムント、お調子者の盗賊オスカー。そして、スキルは弱いが治癒魔法に強い適性を持つ彼女。
バランスは完璧だった。彼女たちと過ごす内に誠也にとってパーティーはかけがえのない居場所となっていた。
そして誠也がこの世界に来てから二年ほどが過ぎた頃。“解放戦争”と呼ばれる魔物達との大きな戦いが終わった間もない頃。
誠也は彼女に告白した。三十年生きてきて初めての、一世一代の告白だった。緊張から用意していた言葉が出てこず、ひどく不格好なものになってしまったが、彼女は明るい笑みを浮かべながらこれを受け入れた。
幸せだった。誠也は最初は怖くて不安だったこの世界が大好きになっていた。
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「何で、何で何で何で何で何で何で!」
誠也は彼女の手を引いて、月の出ていない、暗い森の中を疾走していた。
誠也の頭の中は恐怖と絶望、そして後悔といった黒い感情で塗りつぶされていた。
あの少年を依頼に同行させなければ、関わらなければよかった。そんな事を思ったところでもう遅い。
彼は自ら死神を招き入れてしまった。普通の少年に見えたのだ。半年前にこの世界に来たと言った、自分と同郷の学生服の少年。
依頼に同行したいと言ってきた、その少年の申し出を誠也は快諾した。それが間違いだとも知らずに。
討伐対象のネグロドゥークを目標の半分程狩ったところで事件は起きた。突如、少年が前を歩いていたオスカーの首を、持っていた剣で斬り飛ばした。オスカーの首は鮮血を撒き散らしながら宙を舞い、ドチャリと水っぽい音を立てて地面に落ちた。
最初に動いたのはドルトムントだった。憤怒の声を上げながら、少年へと斧を振り下ろした。
しかし、少年はドルトムントの重い一撃を軽くいなし、目にも見えないスピードで剣を振るった。それだけでドルトムントの体は左右に割れ、噴水のような赤黒い血飛沫を上げた。
パンジーが半ば半狂乱になりながら魔法を連打をするが、少年はそれを鬱陶しそうに見るだけでダメージを受けている様子はない。
無理だ。絶対に勝てない。誠也は放心して立ち尽くす彼女の手を取り、一心不乱に逃げ出した。見捨てたのだ。仲間を。パンジーはまだ生きていたのにもかかわらず。
誠也は走った。あの場所から、あの少年から出来るだけ遠くに。誠也は大きな木の影を見つけ、そこに身を隠した。そして彼女を抱き寄せた。
--あれ、なんでこんなに冷たいんだ? ああ、今夜は寒いからか。抱きしめて温めてやろう。おかしいな、彼女はもっと柔らかかった。ああ、恐怖で固まっているのか。大丈夫だよ、もうあいつはいないから。なんで何も言ってくれないんだ? なにか答えてくれよ……。なんで、なんでこんな……。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 」
暗い森の中に誠也の悲痛な慟哭が響き渡る。誠也が抱きしめている彼女の四肢はだらりと垂れ下がり、顎から上が存在していなかった。
もう声も出なくなるほど泣いた後、誠也のすぐ後ろから本当に面白くて堪らないといった表情のあの少年がパチパチと手を打ち鳴らしながら現れた。
「いやぁ、映画さながらの名シーンの数々、ご提供感謝します。特にさっきのシーンなんて今思い出しても涙が出そうになりますよ。……笑いすぎて。これ、楽しませてくれたお礼です」
少年は今にも噴き出しそうな声でそう言うと、力なく項垂れる誠也に何かを投げて寄越した。誠也はぽ
たぽたと赤い血を溜らせるソレを大事そうに抱きかかえた。
そんな誠也の様子を見て、玄い、黎い、ただ黑い少年は口の端を釣り上げて静かに笑った。
「何で……何でこんな事をしたんだ?」
「何でって、そりゃ楽しいからですよ」
ほとんど独り言のような、掠れた声で呟かれた誠也の問いに少年は当然だと言わんばかりの声音で答えた。
狂っている。誠也は己の快楽の為だけに人の命を奪う目の前の少年に戦慄を覚えた。
「--まぁ、一応他にも目的はあったんですけどね。そっちのほうは……おっと、おしゃべりはこの辺にしときましょうか。今から殺すんで動かないでくださいね」
その言葉と共に少年は持っていた剣を振り下ろした。斬撃が空気を切り裂いて誠也へと至る。誠也が最後に見たのは闇の中で煌く少年の二つの紫水晶の瞳だった。