第10話 訓練最終日
「では始め!」
先生の掛け声と共に俺は小さく息を吐き、目の前で行動を開始した″敵″へと視線を投げた。
敵は三体。ヒョロリと背の高い人の形をした物体だ。ギルドが開発した戦闘訓練用の【自律式魔動人形】だ。魔力を注ぎ込むことで稼働し、力や速さ、動きなど細かな設定ができる。現在、俺の前にいる人形達の強さは駆け出しの冒険者が苦戦するくらいのレベルに設定してある。
三体の人形は無生物特有のカクカクとした動作で、一列に並んで俺の方に近づいてきている。単調な動きだが、トロくはない。完全に接近されたら厄介だ。
俺はジリジリと後退して距離を取りつつ、標的を右端の人形に定め、銃を構える。そして現在俺が持っている唯一のスキルを発動させた。瞬間、視界が大量の情報で埋め尽くされる。
最初の頃はそのあまりの情報量に気分が悪くなったりしたが、もう馴れた。今頃、俺の瞳の色は普段の茶色から鮮やかな翡翠色へと変わっていることだろう。
俺の″目″はそれらの情報から人形を破壊するのに最適な位置を導き出す。俺は目の判断の通りに照準を合わせ、引き金を引いた。撃ち出された拳大の魔力弾が人形の胸の中心に丸い穴を穿つ。人形はそのまま地面に倒れ伏し、活動を停止させた。
よし、まずは一体だ。しかし、素直に喜んでいる暇はない。残った二体の人形は俺を挟み込むように迫ってきている。それにこれ以上下がると壁際に追い込まれてしまう。俺は挟み撃ちにされないように片方の人形に狙いを定めた。ただし今度は銃ではない。雑念を払い、集中力を高める。
「【アクアスフィア】!」
俺がそう叫ぶと、刹那の内に人形の足先から頭までを直径二メートル程の水球が包み込んだ。水の職業魔法 【アクアスフィア】だ。この二週間で水と風の魔法は完全無詠唱での発動が出来るようになった。魔法名を叫んでいるのはただカッコいいからで、魔法の発動には何の影響もない。
「【フリーズ】!」
氷の基礎魔法【フリーズ】で水球ごと人形を凍りつかせる。残り一体。俺は両足に魔力を集中させ、最後の一体の方を向く。最後の人形は既に腕を振り上げ攻撃動作へと移っていた。普通ならばもう避けられない距離だ。
「【エアライドステップ】!」
しかし、勢い良く振り下ろされた人形の腕は空を切り、地を叩いた。風の基礎魔法 エアロを手ではなく、足元で起こす風の応用魔法【エアライドステップ】。強力な風のアシストを受けた瞬速のステップは、こうやって接近された際などに非常に役に立つ。接近戦が苦手な俺には必須とも言える魔法だ。
俺は、攻撃を空振り体勢を崩した人形の背後に回り込み、その頭部に銃を突き付けた。何か決め台詞の一つや二つを吐いてみたい衝動に駆られるが、特に思いつかなかったのでそのまま魔力を込めて引き金を引いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「合格だ」
今まで戦闘の様子を見守っていた先生が俺の前まで歩いてきてそう言った。それは十四日間に渡る基礎訓練の終了を意味していた。
「このレベルの人形三体を同時に相手にしてそれだけ余裕があるなら十分だろう」
「先生のご指導の賜物です」
「儂というよりは君のスキルの力だろうな」
俺のユニークスキル【判断する女神の聖眼】。全てを見抜き、見通し、分析し、判断する魔眼だ。物質、生物、空気、魔力、魔素。あらゆるものを空間ごと視て、最適な判断を下してくれる。これによって、高度な魔力感知能力や空間把握能力を必要とする職業魔法をいとも簡単に使用することができるのだ。さらに副次効果として暗視と遠視がついている非常に強力なスキルだ。
だが俺は強くなれたのがこのスキルのお陰だけだとは思っていない。この十四日間で多くの事を教えてくれたのは間違いなく先生だからだ。先生には本当に感謝しているのである。
「いえ、俺は先生のおかげだと思ってます」
「そうか」
思っていることをそのまま口にすると、先生は嬉しそうに口元を緩めた。
「コウジ、少し遅いがこの後一緒に昼食をとらないか?無論代金は儂が持とう」
「いきます」
即答だ。だが、これは断じてセコい考えから来たものではない。訓練が終わった以上、先生とはしばらくは会えないだろう。それに、機会がなくて聞けなかったこともある。最後に先生とゆっくりとした時間を過ごしたいと思ったのだ。……まぁ、ほんの少しの下心もなかったと言えば嘘になるが。
「では行こうか」
俺は苦笑を浮かべる先生と共に訓練場を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
シックな内装のゆったりとした店内は、天井から吊り下げられたシャンデリアのオレンジ色の光に彩られお洒落な雰囲気を醸し出していた。客もどこか気品のある者ばかりでいかにも高級店といった様相だ。
ここは商業区の一角に位置しているレストラン 旅鴉の隠れ家。先生が日頃から贔屓にしている店らしい。勿論、俺はこんなオサレな感じの店には生まれてこの方一度も来たことがない。俺は場の空気に呑まれ完全にビビってういた。
「今日は君の卒業祝いだ。好きなものを頼みなさい」
機嫌の良さそうな顔をした先生がメニュー表を手に取り、俺に差し出してくる。俺はそれをおずおずと受け取り、目を通した。
「ありがとうございます。--……っ!」
なんだこれはッ!飲み物一杯でメレニアス銅貨6枚などというふざけた価格設定に思わず声が漏れそうになる。
おいおい、冗談はよしてくれよ。俺の近所のナイゼリアじゃ飲み物なんていくら飲んでも280円(税込)だよ?金粉でも入ってんのか。
俺はボッタクリばかりのメニューの中から比較的安いものをいくつか見繕い、先生に声をかけた。ここで高いものをバンバン頼めるほど俺の神経は太くはない。
「決まりました」
先生はその言葉に軽く頷きを返すと、テーブルの端の方に置いてあった透明な球体に手をかざした。一回りほど小さいが、ギルドでお姉さんが使っていたものと同じだ。
これは【交信球】という魔法道具で、【子機】を持つ者に信号を送る機能がある。巨大なものになると会話できたりもするらしい。
「″コール″」
先生がそう呟くと、いくらも待たないうちにキッチリとした制服に身を包んだウェイターがやってきた。先生はメニュー表もみないですらすらと注文していく。流石常連だ。
「コウジ」
先生に促され、俺は慌ててメニュー表に視線を移し、料理名を読み上げていく。
「えっと、バブルグレープのジュース、アルカイム麦の白パン、オーロレイン生ハムのサラダ、パール鯛のソテー~ルクレチアソース添え~、ダムロパンプキンのポタージュ、彩りフルーツのタルト……以上で」
「ご注文、承りました」
ウェイターは恭しく礼をして下がっていく。その一挙手一投足から品が滲み出ていて、改めてこの店のレベルの高さが窺えた。俺が雅典とよく通っていた近所のナイゼリアとはレベルが違う。
「そういえば先生、聞きたいことがあるのですが」
「なんだね?」
ウェイターの後ろ姿を見送った後、俺は唐突にそう切り出した。料理が来るまではまだ時間がかかるだろう。だからその間に聞いておこうと思ったのだ。ずっと気になっていたが、なかなか聞き出せなかったことを。
「【魔を統べる者】ってどこにいるんですか?」
その質問に先生は一瞬、驚いたようだった。
「……そうか、君は……」
「どうかしました?」
「……いや、すまない。奴ならゼルナガルの最端部、【王都グリムロア】の王城に居る筈だ。だが、其処へと至る為には【王】の名を冠するゼルナガルの貴族が管理している五つの城塞を全て制圧する必要がある」
「それって俺でどうにかできますかね?」
「無理だろうな。今の君では王どころか、ゼルナガルの上級兵士クラスでも荷が重いだろう」
ですよねー。大分マシになったとはいっても、まだまだひよっこの俺でどうにかなる筈はない。
「でも、他の勇者の人たちが協力すれば大丈夫ですよね?たった一年ちょっとで魔物達から奪われた領土を取り戻したって聞きましたよ」
「【解放戦争】か。アレには王達は参加しておらん。奴らの力は、膨大な魔力と原典魔法をもつ上位魔族の中でも桁外れだ。下手に暴れれば地形が変わってしまうほどにな。いくら勇者と言えども楽に倒せる相手ではない筈だ。……料理が来たようだな。話は一旦ここまでとしよう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
【王】か……。俺は、先生の話に小さくない衝撃を受けていた。戦争を経験した手練れの勇者達でも勝てるかどうか分からない五人の超強力な幹部を倒して城塞を制圧するなんて一体何年掛かるんだろう?別に諦めたりした訳ではないが、それでも自分と【魔を統べる者】との距離が思ったよりも遠かったことに気分が落ち込む。
俺は暗くなった気持ちを振り払うように、目の前に丁寧に並べられた皿へと意識を向けた。上品に盛りつけられた料理の、いい香りが鼻孔をくすぐり食欲を刺激する。思うことは多々あるが、ひとまずは食事だ。
「いただきます」
両手を前で合わせてから、ナイフとフォークを使って鯛のソテーを綺麗に一口大にカットする。先生は俺の流麗なナイフ捌きに感心したように息を吐いていた。ふっ、ナイゼリアだって立派なイタリアンレストランだ。ナイフくらい使えるさ。俺はよく油の乗ったソテーにフォークを突き立て、口へと運んだ。
「おいしい……」
皮はよく焼けていてパリッとしているが、身はふわふわとしていて少し噛んだだけで口の中で解けていく。外はパリッ、中はふわっ、だ。魚自体の繊細な味と酸味のあるソースが非常にマッチしている。さっぱりとした上品な味だ。
先生はそんな俺の様子を見て目を細め、ワインが注がれたグラスに口をつけた。その後は俺も先生も黙々と食事を続けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ご馳走さまでした」
カチャリと食器を置いてふぅっと息を吐く。皿にはもう何も残っていない。完食だ。どれも美味しかったが、特にデザートには感動すら覚えた。元々甘いものが好きだったのもあるが、2週間以上も硬いパンと味気ないスープ、ほぼ野菜だけのサラダしか食べられなかったことが大きいだろう。
「……先程の話だが」
ウェイターによってテーブルの皿を全て下げられ、一段落ついた頃先生が口を開いた。
「現在ギルドでは大規模な城塞制圧の作戦が持ち上がっている。確かに王達は強いが、勇者を含む冒険者達が互いに協力し合えば倒せない相手ではない。だが、その計画を実行するためにはまだ戦力が足りない。コウジ、今は共に戦う仲間を探し、腕を磨きなさい。作戦の成功には君達勇者の協力が必要不可欠だ」
「分かりました」
こちらに真っ直ぐと向けられた先生の真剣な目をしっかりと見て返事をする。ギルド主導の作戦なら他にも大勢の勇者が集まるだろう。俺だって勇者だ。他の人にだけ任せて自分は安全な場所に隠れているわけにはいかない。俺は魔物と戦い、元の世界に帰る為に強くなったのだ。
先生は俺の返事に頷きを返すと、引き締めていた表情を緩めた。
「さて、そろそろ帰ろうか。だがその前に--」
先生が外套の中から、どうやってしまっていたのか大きめな紙袋を取り出してテーブルの上に置いた。
「訓練を最後までやり遂げた君にこれを贈ろう。卒業祝いだ」
「これは?」
「開けて確認してみなさい」
中から取り出して広げてみると、先生の外套と同じような材質のフード付きの外套と【ラスバンの魔導大全】という題名の分厚い本が入っていた。質の高そうな生地で作られているケープは勿論、この世界で本は中々な高級品だ。
「こんな高そうなもの本当にいいんですか?」
「構わん。これから勇者として魔物達と戦っていく上で役に立つはずだ」
「……ありがとうございます」
俺はテーブル額がつきそうになるほどに深々と頭を下げた。先生には感謝してもし足りない。俺はそのままの姿勢で自分の気持ちを言葉として紡いでいく。
「あの、本当にありがとうございます。このケープと本のことだけじゃなくて、いろいろと。俺、先生のこと凄く尊敬してるんです。強いし、優しいし、格好いいし、物知りだし。休憩時間に先生と話すのとかも楽しくて好きだったんですよ。訓練の時は厳しかったけど、そのおかげで十四日間でここまで成長出来たんだと思います。本当にありがとうございました」
本当はもっと言いたいことはあったのだが、あまり長くなっても仕方がない。先生にはいくら感謝してもし足りないのだ。
「顔をあげなさい」
言われた通りに顔をあげると、先生が柔らかい笑みを浮かべていた。
「コウジ、儂は今までこの町で六人の勇者の訓練を担当してきた。その中でも君は特に優秀とは言えない生徒だった。水と風の魔法の適性はトップクラスだったが、ステータスは低く、武器の扱いもなかなか上達しない。それにスキルなしでは魔力操作も甘い」
うっ、仰る通りで……。
「だが……何故か君との訓練の時間が一番楽しかった。君が日に日に強くなっていく様を見ていると自分の事の様に嬉しかった。今覚えば、それは今まで担当してきた勇者の中で君が唯一、儂に興味を持ってくれていたからだろうな。今までの勇者達は訓練以外には全くの無関心だった。だが、君は違った。儂の話に興味を持ち、儂のことを慕ってくれた。礼を言うのはこちらの方だ」
マズい。目頭が熱くなってきた。何も今生の別れという訳ではない。先生はこの町に住んでいるらしいし、会うこともあるだろう。なのに涙が溢れそうになった。
「コウジ。君は儂の自慢の弟子だ。これから辛いこともあるだろうが、めげずにゆっくりと精進していきなさい」
俺はなんとか涙を堪え、もう一度先生に深く礼をした。