神は機械に宿る
とある魔法のある異世界。
そこでは、人工的に『神様』 を作って世界の均衡を保っていた。
今の神は数百歳。大昔、一人の魔力の高い子供にその役目を与えた。神となった者は老けないし、死なない。神さえしっかりしていれば、それなりに世界は平和だった。
しかし、突然のことだった。神は役目を放棄した。困った民衆は、新たな神を作った。
田舎の魔力が高い村娘をよく教育して、神の棲む祠に連れて行く。
「いいか? シャロン。前の神は役目を忘れた馬鹿な神だ。お前はそうなるな。お前の力で、世界を平和にしてくれ」
「はい、先生」
村娘のシャロンは十五だった。しかしこの役目には燃えていた。私一人の力で世界を平和に出来るなんて何て素晴らしいのだろう。それを投げ出すとは、前の神は何て酷い神なのだろう。湧き上がる使命感から、シャロンはふんぞりかえりながら祠へ入った。
中に居た前の神とやらは黒いフードを深く被って、性別や年齢も分からない姿だった。
まあ、人に会う格好ではないわ、どうせやましい事があるからこんな格好なのね、とシャロンは内心憤慨した。
「シャロンといいます。貴方の持つ神の力、返してくださいな」
先代に当たる神は、ちらりとシャロンを一瞥すると、物言わず手の平に暖かな球を出し、それをシャロンに渡した。球は、シャロンに吸収されてしまったのか、瞬時に消えた。それを見終わった先代は、そのまま一言も交わすことなく、ふらふらとどこかへ言ってしまった。
とことん礼儀がないのね。長い神様生活ですっかり思い上がったと見える。私はああはならないわ。
シャロンはそう誓いながら、今度は自分がその長い神様生活に入った。
『神様』 生活は順調だった。
高い魔力で、必要な時に雨を降らせ、日を農作物に与える。病人がいれば重い症状の者から治してやり、怪我人がいれば重傷の者から治してやった。学校の子供の「百点取りたい」 なんて可愛い願いも、努力に応じて叶えてやった。
そんな生活が先代と同じ数百年続いた。最初は「私は良いことをしているんだわ」 という誇りを自尊心、ちょっぴりの見得からから満足だったシャロン。いや、だった、ではない。今も、満足のはずだ。
『神様』 は慣例により、一般人とは滅多に会わない。けれど、向こうからはやってくる。今日も、薄汚れた祠の前にどこかの学校の子供達が見学とかでやってきた。……この祠も、交代したばかりの頃はいつでも綺麗だったのに。
「ここが神様のいらっしゃるお社よ。さあよく目に焼き付けて。後で感想文を書いてもらいますからね」
祠の奥に隠された洞窟から、シャロンはその様子を見ていた。
体調の悪い子供や、苛められているような子供はいないようだった。良かった。
けれど、お世辞にも真面目とは言えないような子供達ばかりだった。
「かったるーい」
「こんな汚いところでも、作文では無理矢理褒めなくちゃいけないんだよね。どうしよう? 雰囲気ありました~とでも書いとく?」
「じゃあ私は荘厳だと思いました~とでも」
「前から思ってたんだけどさ、こういうのおかしいよね。別に神様の家を見ただけで、神様を見たわけでもないのにさ。ってか、神様なんているの?」
姿を見せない神は、いないも同じ。少なくとも、無邪気な子供にとっては。それは、人知れず神様の仕事をしているシャロンに突き刺さった。今日だって、子供達がずぶ濡れにならないようにとお天気にしたのにな……。しかし行楽は必ず晴れるのが当たり前な人々にとって、それは当然のこと。
やがて子供達は帰っていく時間になった。幾人かの子供たちが、持ってきたおやつのゴミをどうするかでヒソヒソと話していた。
「持って帰るのとか超メンドイんだけど」
「ここに置いてけばいいじゃん。あたしそうしてるー」
「え? 神様の住む所だよ?」
「だからでしょ? 他と違って、誰かが片付けるじゃない」
「あー、そっか」
「そうそう、神様なんだから、可愛い子供達のためにこれくらいはすべきってね」
子供達は、ゴミをその辺の植木やら道の端やらに隠すように置いていった。その様子を、ニコニコ笑いながらシャロンは見ていた。
いいの。私が自分で片付ければ、それだけあの子達が楽できる。私は神様だからこれでいいの。
しかしそう思って洞窟内の数少ない持ち物―――箒とちり取りを見るシャロンの顔は、無表情そのものだった。
彼らの気配が消えた頃、重い腰を上げて自分で掃除に取りかかろうとしたその時、誰かが走ってくる気配がした。慌てて洞窟の奥に身を隠す。
それは、一人の少女だった。ああ、願い事か何かかとシャロンは思う。けれど、祠周辺が汚れまくった今日、もしかしたらあの少女は悪態ついて帰るかもしれないな、と今までの経験から思う。
しかしその少女は、汚れた祠を見るなり「あ」 と一声あげて掃除を始めた。
あっけにとられているうちに、祠は久しぶりに人の手によって綺麗になった。
理解が出来なくて何をしているんだろうとシャロンが思っていると、少女は祠に手を合わせて喋り始めた。
「私、クララといいます。このたびは、弟が無事産まれたお礼をしに来ました! 難産だって、母子ともに危ないって言われてたのに、二人とも無事に出産できたんです。奇跡だってお医者様は言ってたけど、私は神様のお陰だって思うんです。神様、ありがとう!」
ああ――。
人が私に何かを願うのは当たり前だけど、それが叶った後にお礼に来るなんて、何十年ぶりだろうか?
少女の純真な気持ちは、シャロンを突き動かした。悪い意味で。
「私こそ、祠を綺麗にしてくれて有り難う」
掃除以外で初めて、祠の外に出た。神様になった日から初めて、人に姿を見せた。クララは、驚きのあまり固まっていた。
クララとシャロンはよく語り合った。特にクララは、興奮から色々と聞いてきた。
「いつからここに?」
「ずっと一人?」
「私の前に現われたのは何故?」
シャロンはそれらに全て答えた。数百年前だと。もちろん、素質のある子はそうはいないものだから、一人だと。クララが良い子だから現われたのだと。
クララはますます興奮した。
「まさかこんな私が神様に会えるなんて。嬉しい」
存在を尊ばれるより、軽視されることのほうが多い。歴史として語られるより、言い訳に使われることの方が多い。畏怖されたり喜ばれたりするより、恨まれたり嫉妬されたりすることの方が多い。
クララという少女を見ていると、シャロンは急に今までのことがつまらなく思えた。
「そう……。なら、もっと喜べばいいわ」
その日から、シャロンは世界中の人間一人に使っていた力を、クララ一人に使った。
一人助けるのも二人助けるのも同じ。なら結局は、世界中の人間を助けるのも一人だけ助けるのも同じ。何故かそんな気がした。
クララが「寒いですね」 と言うから、季節を夏にした。代わりに世界のどこかでは冬になっているのだろう。「暑過ぎます」 と言うから、冬にした。たまには急激な気温の変化もいいだろう。
「海に行きたい」 と言うから、湖と海を連結させた。生態系が狂ったかもしれないが、どうせ人間以外は知能が無い。「スケートがしたい」 と言うから、川を凍らせた。そういえば、こんな光景は数百年ほど神様していたが見たことが無い。そう思うと尽くしていて別な意味でも楽しかった。
クララの笑顔を見ていると満たされた。こんな気持ちは初めてだった。クララも最初は大喜びだった。最近は、どうしてか沈んでいることが多いけど、そういう時は突飛なことをして忘れさせるに限る。クララのために豪邸を建てたりね。
こんなことを繰り返していれば、当然民衆から苦情が来た。彼らは祠に押しかけて言った。
「どうしてですか。貴方は神でしょう。皆から敬愛される立場で何という事を」
それを聞いた時、シャロンの中で何かが切れた。
「愛されてるからよ。それに疲れた。愛されたら愛してやらなければいけない立場に疲れた。貴方達に、愛してないのに愛される苦痛が分かる? 私は、本当はずっと誰も愛してなかった」
今までずっと模範的だった女神のまさかの反抗。それは人々に狂ったように見えた。何で自分の代で、と多くの人は嘆いた。
「愛されるんじゃない、愛したいの。ずっと誰かを愛したかったの。欺瞞に満ちた博愛なんてものじゃない、誰か一人だけに愛を……」
それなら誰にも迷惑のかからない形でやればいいのに、と誰もが思っただろう。人間なら首にする案件でも、これは神だ。こうなるまでは数百年、理想的な神だった。
クララさえいなければ、きっと元に戻る。あれが全ての原因だ。
そう思った彼らは、夜にふらふら出歩いてるクララを捕まえ、殺した。
死体を祠の前に置いて、彼らは言った。
「もう暴走の原因はありません。ですから正気に返ってください」
シャロンは遺体に駆けつけた。そして犯人を割り出そうとして、愕然とした。殺されたのに、全く抵抗の跡が無い。意図を察して、数百年ぶりに涙を流す。
神の力で、生き返らせれば――。その考えもよぎったが、どうせまた殺されるだけだと冷静な自分が言う。遺体は、ひっそりと誰も知らない土地に埋められた。
そして民衆の狙い通り、シャロンは暴走はしなくなったが、仕事もしなくなった。人類が滅亡しない程度の仕事をのろのろとするだけ。そしてその姿は、喪に服しているのか黒いフードを深く被っていた。神は神でも死神のようだった。
話にならないと、民衆は新たな神を選んだ。丁度魔力の高い少年が産まれていたのだ。
少年――レクラムは正義感の強い少年だった。教育係には「前の神のように大事な立場にありながら役目を忘れるような神になるな」 と口を酸っぱくして言われたのもあって、シャロンのことは会う前から大嫌いだった。
レクラムは大人達の望みのまま、祠に押しかけて「神性を返せ。穀潰し」 とシャロンに言う。シャロンは無言で神の交代の儀を行った。そしてそのまま出て行った、先代のように。後ろからは「何であんなのが神だったんだ」 と罵る声が聞こえた。
シャロンが居なくなった祠の奥で、レクラムは意気揚々と仕事に取り掛かる。もう、俺が来たからには安心だ。世界は安泰だ――。
数百年後、シャロンの時よりも荒れた祠では、幼い少年が度胸試しで小便を引っ掛けていた。
「ほら、こんなことしてもバチは当たらないぜ!」
そんな様子を見ながら、元気だからあれでいいんだ。死にそうだったりしたら、あんないたずらも出来ないんだからな、と無理に納得させているレクラム。
彼らが去った後に、自分で掃除しようとしていると、人の走ってくる気配。先代が軽々しく人と接するから間違いが起こったのだと知っているから、慌てて隠れる。
やってきた少年は、祠の汚れている様子に驚き、近くの川まで行って水を持ってきて清めてくれた。
「ディアスと言います。掃除しか出来ませんでしたが、せめてものお礼です。母が亡くなった時、とても安らかでした。病名からは信じられないほど。神様がお傍についていてくださったからだと、僕は信じています。ありがとうございます」
気がついたら、少年を傍に召し上げていた。そして驚く少年をよそに、その母親を生き返らせた。
さあ感動の親子の対面……にはならなかった。
「神? 貴方様が? そんなはずがない。こんな事をする輩が神のはずがない」
生き返った母親は誇り高い人間だった。自分が例外になるのが我慢ならなかったらしい。
「どうした、嬉しくないのか。まだ息子の面倒を見たかったのだろう?」
レクラムは不思議そうに言うが、母親は聞かない。最初は嬉しそうだったディアス少年も、段々顔が強張ってくる。
「息子よ、ディアスよ、お前は十五年も生きて良いことと悪い事の区別もつかないというのか。神なら死人を生き返らせてもいいと思ったか。私は、育て方を間違えた……空しい」
まるで死人を生き返らせたのが悪い事のような言い方に、レクラムは激怒した。善意でしたのに、何という言い草か。
「神の、俺のしたことが不快だというのか! 神が恐ろしくないのか!」
「神は恐ろしい。でも私は、もっと大きなものが恐ろしい。一人のために摂理を曲げる矮小な神よりも」
「ああそうか、俺が怖くないか。ならその命、返してもらうぞ!」
目の前で母親が生き返り、神の怒りに触れてまた塵になるさまを見たディアスは怯えた。
「どうした? ああ、あんなのでもお前の母親だったな。お前に見えないところでやるべきだった」
「神様……」
「何だ? 何でも言え。何でも叶えてやる。遠慮するな。お前にはその価値がある」
長く神をやっていると最後は狂うのかもしれない、と誰かが言った。そうかもしれない。これで何度目か、また世界は荒れた。一人のために。
それに一番耐えられなかったのは、ディアス少年だった。まるで自分が伝説の悪女のようではないか。このままでは無残に殺されてしまうかもしれない。考えた末、主の目を盗んで堕ちた神、と言われる女性の元へ行く。何でも、この世の終わりまで恋した女性の喪に服すと誓っているらしい。元神の名残で、死ぬに死ねないのを格好つけてるだけだと思っていたが。
その元神――シャロンに死を願い出た。
こうなると思った。シャロンは真っ先にそう感じていた。素質のある子はそうは生まれない。そして一子相伝みたいなもの。でも一人が全てを背負えるほど、人間の業は軽くない。いつか、壊れる時が来ると思っていた。感情のある生き物が神様なんてしている以上、いつか救いを求めると思っていた。
シャロンは毒薬を渡す。ディアスは喜んで飲もうとした。その直前、シャロンはクララに聞けなかったことを聞く。
「あなたは神を、恨んでいるかしら」
その目の奥に深い悲しみを見てとったディアスは、「恨んでいません」 と答える。ただ、と少しだけ付け加えて。
「僕で、最後にしてほしいと思います。そして間違っているのは、この制度なのでしょうね……」
レクラムは最愛の人の死に涙した。そしてシャロンに当たり散らす。
「どうして、お前がよりにもよって」
シャロンは平然と返す。というか、最初にあれだけ言っておいて調子が良すぎると思わざるをえない。恋をするとこんなにも変わるのか。そして自分も、かつてはそうだったのか……。
「私の時よりマシでしょう。世界への被害も。最愛の人の最後も。私が動かなければ、彼は他殺で惨たらしく殺されていたでしょうね」
「畜生っ……俺が、俺が目を離さなければ……」
「無駄よ。貴方の犯した罪は、必ず他の誰かが償わされる。神に手出しは出来ないんだから。一番近い人間に矛先が向かうのは当然よ。ああ、神としての心得は学んでも、こんな所までは習ってないから分からないか」
すっかり打ちのめされたレクラムの慟哭を聞きながら、シャロンはレクラムにある物を見せる。
「いつまでも泣いてないで。次の人が選ばれる前にやることがあるでしょう」
「……?」
「これ、何だと思う? 機械っていうんですって。ボタン押すだけで色々出来るのよ。地方の天才が作ったみたい。こういうのが出来たら、一気に世界は変わるんでしょうね」
「それが一体なんだと」
「これに、私達の神性を移しましょう。もう、感情のある神様なんていらないのよ。最初は、融通きかなくて大変かもしれないけど、こんな暴走を経験することは無くなるわ」
レクラムは少し考えて、そうだなと頷いた。
それからその世界では、機械に神が宿っている。