03
「ふぅ」
僕はソファーに座り大きなため息をついた。
背中に変な汗をかいていた。疲労感も凄いことになっている。
「どうしたんですか?」
裕美が心配そうに覗き込む。
「なんか変な神経を使って疲れちゃったよ」
「だってママと楽しそうに話をしていたじゃないですか」
「そうじゃなくて、この状況でどんな母親が来て何を言われるか
色んなことを考えちゃってね」
それがどういうことか理解できないで首を傾げる裕美。
「たとえばさ、スネ夫のママみたいな人が来て(うちの娘に
なにをしたざます!あなたは悪い人なんざんしょ!)
なんて言われたら返答に困るでしょ」
「スネ夫ママ似てるぅ(笑)」
「まぁとにかく、スネ夫のママじゃなくてドンマイ裕子が
母親で良かったよ」
「ぎゃはははは」
反対側のソファーに座っている裕美が笑い出す。
いきなりすぎて何がおきたのかわからないでいたが
「ぎゃはは・・・ドンマイ裕子・・・ぎゃははは」
どうやら僕が言った「ドンマイ裕子」がツボにハマったらしい。
両手で腹を押さえながら足をバタつかせて大笑いしている。
あんまり勢いよく足を動かすのでスカートがまくれて白い太ももがチラチラ見えた。
「ほら、そんなに足を動かすとパンツ見えちゃうぞ」
裕美は片手をスカートにのばし、下に引っ張るような仕草を
しながらも笑いが止まらないでいた。
箸が転んでもおかしい年頃とはよくいったもんだと思いながら
笑い続ける裕美を見ながら僕は気付いた。
そうか、毎朝沢山すれ違う女子高生の中で裕美だけ気になったのは高校時代ずっと好きだった母親の裕子に似ているからだ。
顔の輪郭や目の周りなんてそっくりだし背恰好も似ている。
何故今まで気づかなかったのだろう。
今年で僕は38歳。たしかに高校時代の3年間は裕子に片思いをして
いたが、そんなの20年も前の話。30歳で結婚して6歳の娘もいる。
仕事に追われ家庭サービスだって意外と大変だ。
高校時代のことなんて思い出す機会も余裕もない生活を送っている。
それなのに無意識に裕子の姿を探していたということなのか。
「はぁ苦しい・・・おなか痛い」
やっと笑い終わった裕美がソファーに座り直す。
「ずいぶんな勢いで笑ってたね」
「だって、真面目な顔をして変なこと言うんだもん」
「そんなにドンマイ裕子が面白かった?」
「それやめて!これ以上笑ったらおなかが千切れちゃう」
会話をしながらあらためて裕美を見てみると、やはり若い頃の
裕子に似ている。
でも母親と似ているのがきっかけで挨拶をしたとわかれば
裕美との不思議な関係は壊れてしまうかもしれない。
今はもう少しだけこの非日常を楽しみたい気分になっていた。
「金子さんはママと仲がいいんですね」
まだ息が整わない裕美が話し始める。
「同級生が久しぶりに再会すると盛り上がるものだよ」
「そうかなぁ・・・ママ、凄く楽しそうだった」
「きっと裕美ちゃんの怪我がたいしたことなくて安心した
からじゃないの?」
「怪我のことなんてほとんどスルーだったよ。それに・・・」
「それに?」
「金子さんのこと一也、一也って呼び捨てにしてたし」
「呼び捨て?あれ、君づけしてなかったっけ?」
「君づけは最初だけ!あとはずっと呼び捨てだった!!」
急に怒り出した裕美に戸惑った。
さっきの大笑いといい、どうも若い娘の感情のポイントが
わからない。
「じゃ、じゃあさ。裕美ちゃんも僕のこと呼び捨てにする?
そうすればママとおあいこじゃん」
「えっ、私も一也って呼ぶの?」
「そうそう、一也でいいよ。僕も裕美ちゃんじゃなくて裕美って
呼び捨てにしようかなぁ」
裕美の顔がみるみる笑顔に変わる。
「うん、そうする。一也と裕美で決まりね」
「それとね、言葉使いも統一しようよ。裕美は敬語とタメ口が
ごちゃ混ぜになってるんだよ」
「そうですか?」
「ほら、敬語だ。ついさっきはタメ口だったのに」
片手を口にあて、目をまん丸にする裕美。
「名前を呼び捨てで話が敬語って変だからタメ口で統一しようよ」
「わかり・・・わかった、そうしよう」
母親と張り合って名前の呼び方の違いで怒るなんて少し女を
感じるが、ほんの数分で機嫌が直ってしまうあたりはまだ子供
だなと思う。
今は少女と女が同居している微妙な年頃なんだろうか。
機嫌が直った途端、裕子の登場で途中になっていた話の続きを
始めようとする裕美をさえぎって聞いてみた。
「さっきドンマイ裕子でウケまくっていたけどなんで?」
また笑いそうになるのを堪えて話し始める。
「あのね、ママは私が小さい頃から私が失敗したり困ったり
泣いたりするとドンマイって言うの。
というかドンマイとしか言わないんだよね。慰めたりアドバイス
したりじゃなくてドンマイだよ。そんな母親、変でしょ?」
「変と言えば変だけど・・・ドンマイの意味知ってる?」
「知ってるよ。ドントマインドで気にするなとかって意味だよね」
「そうそう、気にするなっていいアドバイスじゃん」
「今だったら意味がわかるけど小さい時はそんなの知らなかった
から何だろうなぁってずっと思ってたの。
でも両手をグッとやってドンマイって言うから励まされる気はしてた」
「だったら笑うところが無い気がするけどなぁ」
「それが中学に入った頃だったと思うけど、なんか急におかしく
なっちゃって。もうそれからはドンマイって聞くたびに笑っちゃう」
何だかよくわからない理由だけど、裕美の中では母親の一発芸
みたいに見えているのだろうか?
それにしても野球部マネージャーの延長でドンマイを連呼しながら子育てをしていた裕子の姿を想像すると違う意味で笑ってしまう。
裕美が17歳ということは21歳で出産したわけだから相当大変だったと思うが、きっと全力で子育てを頑張っていたんだろうなぁ。
「でもね、パパはママと違ってちゃんとアドバイスとかをしてくれるんだよ」
ドクン!
自分の心臓の音が頭の奥で聞こえた気がした。
なるべく触れないでいた裕美の父親、裕子の夫の存在。
聞きたくはないが・・・気になる。
「裕美のパパはどんな人なの?」
そう聞くのが精いっぱいだった。
「パパは野球部でママと一緒だったの。あれ、一也とも同級生
になるよね?」
軽くめまいがした。よりによって同級生か。
野球部って・・・誰なんだ!?
「名前は何ていうの?」
声がうわずっているのが自分でもわかる。
しかし動揺を悟られまいと必死だった。
「佐藤英雄!レギュラーでサードだったって聞いたけどわかる?」
佐藤、佐藤、英雄、英雄、サード、サード・・・あいつか!?
「パパは背が高いかな?たぶん想像している人だと思うけど」
「うん、高いよ。180cm位あると思う」
更に記憶をたどる。
僕は高校時代写真部だったのでよく野球部の写真を撮っていた。
英雄は一度も同じクラスにはならなかったが、レギュラーだった
ので覚えている。
「たぶん間違いないと思う。覚えているよ」
あいかわらず声がうわずり気味だ。
裕美は僕の返事を確認したように軽くうなずき立ち上がった。
そして黙ったまま隣の部屋に向かって行きドアを開ける。
あっけにとられている僕に静かな声で
「こっちに来て」
そう言った。
何が起きているのかわからないまま隣の部屋へ向かう。