第五十三話 「父の手紙」
「う……ん」
徐々に意識が回復する。ぼやつく視界の隅で、何かが動いた。目を凝らすと、それは人の形をしていた。
「白詰くん……白詰くん? 聞こえる?」
ポニーテールのその女子は、俺の顔を覗き込んでいる。
「――――御簾川…………? 俺は…………」
御簾川の瞳には、涙が溢れている。
「お、おい、御簾川――――」
起き上がろうとして、身体が動かないことに気がついた。何かに拘束されているわけではない。つまり、俺の体力的な問題だろう。
「もしかしたら……目が覚めないかも、って――――」
俺は辺りを見回した。右側にある窓の外は暗く、その壁際の机の椅子に御簾川が座っている。俺は柵付きの白いベッドに白いシーツを纏い寝ていた。左腕に繋がっている点滴のチューブ。ベッドの左の引き出しの上にある、山盛りの果物が入ったバスケット。壁についたいくつかのスイッチ。そして極めつけは、この場所特有の、消毒液のにおい。それらの要素を全て満たす場所、つまり今俺がいるこの場所は。
病院だ。
「俺は、何日寝てたんだ、御簾川?」
御簾川はハンカチで涙を拭き取った。
「今日は四月二五日。……まるまる一週間、ずっと寝てたんだよ、白詰くん」
「…………一週間、か…………」
それから俺は御簾川から、あれからの事のあらましを聞いた。
デルは自首し、追放された。酉饗は追放を取り消された。そして、土台今男は、この病院に、患者として入院している。
白詰くんの目が覚めたことをみんなに知らせてくるね、といって、御簾川は病室を出ていった。
果物のバスケットに、何か色紙のようなものが挟まっているのに気付いた。取り出して、見てみる。
『はやく元気になって帰って来いよぉ! 親友より!!』
『↑からげんき 越貝泰作』
『ありがとな。 酉饗津惟』
『帰ってきてね 御簾川紗希』
『あんたがおらんかったら、らぁめんよつばは手伝うたらんで! はよスポーンと帰ってきーや! 来集蒼香』
『どっしぇぇぇぇぇぇ!! 星井拿』
『応援してるっす!! 煉城』
『主人公が目立つには、脇役が必要だろ。 渚翔』
『いつでも支えるよ〜! つくね先生より♪』――――
それは、クラス全員の寄せ書きだった。
「ふっ…………ふふっ」
笑っていたつもりが、いつの間にか、色紙は涙に濡れていた。一月ほど前に、この病室で流した涙とは、まるで違う。
今、俺が流しているのは、幸福な涙だ。
◇◆◇◆
翌日、四月二十六日は、母さんや、相模や、栞や、来集や、つくね先生、鬼星人、笠懸先生や、その他色々な人が来た。皆一様に、俺の無事を喜んでくれた。
「ところで、あんた知ってる? 明後日、しおりんの――――」
「ああ、知ってる。どうするか、考えてるところだ」
ふーん、と、いつか見た威圧的な腕の組み方で、来集はにやにやと笑った。
「朔? まだ起きてる?」
夜遅く、母さんが再度俺の病室を訪れた。俺は上体を起こす。「起きてるよ」
「なんだか、今見せるべきなのかどうか、わからないけど――――」
そう言って母さんは、手提げから一通の手紙を取り出した。
「――お父さんが遺した、手紙なんだけど」
「……父さんが……!?」
俺はそれを丁寧に受け取る。
八年前、俺の目の前で死んだ父さん。家には、父さんの骨壺どころか、写真一枚残ってはいなかったっていうのに……こんなものがあったのか。
『家族へ』
――その書き出しを見て、鳥肌が立った。父さんの握ったペンが、記した文字。それは、間違いなく父さんが生きていた証。
『これを読んでいる頃――――使い古された言い回しで、うんざりするだろうけど――――父さんは、みんなと一緒のところにはいないだろう。それは、俺の不甲斐なさのせいだ。ごめんな。
朱実。俺を軽蔑してもいい。お前達を残していく父さんを、恨んでくれてもいい。
だけど、覚えておいてくれ。俺は、みんなが大好きだ。みんなの笑顔が、大好きだ。
だから……もし、俺が帰ってきたときには、朱実。君のらぁめんをみんなで食いたい。君のらぁめんには、愛が詰まってる。ビタミン愛が。そしたら、どんなに辛いことがあっても、笑っていられるから。……自分勝手な父さんを、許してくれ。
三人の笑顔があれば、俺達家族は無敵だ!
愛する者達へ
父さんより』
◇◆◇◆
「その手紙は、引越しの少し前に見つかったの。それ以外のあの人に関する物は、あの借金取りの人達が全部捨てちゃってたんだけど……それだけは、すごく見つけにくい場所にあって」
「だから……だからなのか」
家に父さんに関するものが何一つ無かった理由。それは土台達が、「父さんがいなくなった」という現実を俺達に認めさせ、絶望させるためだった。
そして、『らぁめんよつば』の看板に書かれた文字の意味。
――――『“おかえりなさい”あったかい家族の味。』の、真の意味。
「……ラブラブだな」
「何言ってるの、この子はもう」
そう言って、母さんは俺の背中をばしばしと叩いた。
◇◆◇◆
翌朝、四月二十七日の朝八時。俺は屋上へと出向いた。夜中に降った雨のせいか、少し黒さが残っている。一昨日に比べれば、かなり体力は回復している。
屋上に着くと、先に土台がいた。
「よぉ、クソ坊主……何の用だ。てめぇのせいで、治療費で貯金はパアだ」
土台は、顔の大半を包帯に巻かれている。右目か鋭く俺を睨む。
「決闘状なんぞ言付けやがって」
「決まってるだろ、土台」
俺は拳を握りしめる。「お前を確実に消さなきゃ……何も終わらないんだよっ!!」
「上等だァクソ坊主!」
二人ほぼ同時に、床を蹴る。互いの右拳が互いの左頬に直撃する。ゴキ、という嫌な音が響き、土台の包帯に血が滲んだ。俺は手を鋼化することも忘れ、ひたすらに土台を殴る。土台も、俺を殴ろうと必死にもがくが、傷の影響か、動きが鈍い。
「どうした土台っ! お前は、俺を殺すんじゃないのかよっ!」
包帯を引きちぎり、忌々しい金髪をわし掴む。「俺に殺されて……! それでもいいのかよっ!」
「やめろっ!!」
声のした方を振り向く。東郷さんと、医者の先生が、重々しく立っていた。
「と……東郷さん」
「兄ちゃん、お前さんは、まだ何もわかっちゃいねェ」
のし、のし、と、東郷さんが近づいてくる。俺は立ち上がり、後ずさる。
「流馬、金髪の方を頼む」
「わかっていますよ、丈助」
医者の先生が土台に近づき、締め上げる。土台が苦痛の悲鳴をあげる。東郷さんは、俺の肩を掴み――――
右掌で、思いっきり俺をはたいた。
「ッ!」
俺は後方に吹っ飛び、コンクリートの上を滑る。
「前に言わなかったか? 心向きを曲げるな、って。お前さんが、コイツと同じようなねじくれた方向を向く必要なんかねェ」
「でも、東郷さん……! なら、土台は……生かしておいてもいいって言うんですか!! コイツを! 散々人を殺してきたコイツを!」
東郷さんは――――小さく頷いた。
「――――ああ」
「どうして……」
「殺す価値がないからだ。殺すとすれば……アイツにそれ相応の価値がついてからだ」
東郷さんはにやりと笑った。「アイツは、俺達革命軍が、責任をもって預かってやる」
◇◆◇◆
「それじゃあ……先生も革命軍の一員だったんですか」
「流馬先生、でいいですよ、白詰くん」
手術が終わり、病室に戻った俺は、真っ先に流馬先生にそう尋ねていた。流馬先生は、何食わぬ顔で答える。
「事実を言えば、その通りです。私は革命軍の一員“だった”のですよ」
「と、言うと……」
「今はそうでない、ということです。ですが、約一ヶ月前ですかね。君がここに来たとき――――宗田さんが飛び降りたときですね――――丈助が、君を見舞いに来たでしょう。君は覚えていないと思いますが」
俺はそのとき、気を失ってたからな。
「その時から、しばしば私たちは連絡を取り合うようになりました。元々仲はよかったですしね。それで、今回のことも、彼に伝えた。すると彼は、すっ飛んで来た、というわけです」
それで漸く合点がいった。
「……東郷さんはどこに行ったんですか? さっきから見当たりませんけど」
「金髪の彼を引き摺って行きましたよ。『ライダーばりの改造手術をしてやる』と言って」
「………………そうですか」
深く聞かない方が、いい気がした。
◇◆◇◆
流馬先生が出ていった病室で、俺は思索に耽る。
八年前、父さんが死んだ。そして、土台達が高所得者層に雇われ、借金取りとして俺達を傷つけた。
そんな折、俺が瀕死の重症を負って入院し、父さんの手紙が見つかり、俺達は引っ越した。らぁめんよつばを開店し、茲竹さんがバイトとしてやって来た。東郷さんも、この頃から常連として通うようになった。俺もゴキブリ嫌いも、この頃からだ。
そして、中学三年、今から一月前。俺は宗田さんと出会った。二人ともこの病院に運ばれた。
それから、本当に色々なことがあって――――俺はここにいる。数え切れないほどたくさんの人に支えられ、俺は生きている。
俺の心は、確かに変わった。臆病な俺は影を潜め、全てを受け入れることが出来るようになった。
だけど――――心向きは、変わっていない。『誰かを助けたい』。その方向性は、何も変わっていない。
東郷さんの言う通り、俺は、心向きを変えてはいけない。あそこで土台を殺したりなんかしたら…………俺が今までしてきたことは、無に帰していただろう。
ツウガワ高校で土台を殴り倒したとき、俺が抱いていた気持ち。それは、人を殺すという『悦楽』だったのだ。
「…………冗談でもごめんだ」
土台を消すために、土台と同じになる。そんな悪夢があっては、たまらない。
今は、ただ、東郷さんを、信じよう。東郷さんならきっと、土台を抑えることができる。
バスケットに入っていたメロンにかぶりつき、俺は大きく息を吐いた。




