第五十話 「悪人成敗」
通話を終え、御簾川紗希は、おもむろに立ち上がった。
「どうしたんだ、紗希」
「私、行ってくるよ」
「どこに」
「六陵高校に」
「わ、私も行く!」
御簾川紗希は、ポケットから青色の鳥打帽を取り出し、目深にかぶった。「いや、ダメだよ。ここからは私達に任せて、津惟」
「私達?」
「そうだよ。困ってる人を助けるのが、私達の役割。だから――――」
御簾川紗希は、帽子の汚れをはたいた。
「二人とも、きっと来る」
「二人、って?」
御簾川紗希は酉饗津惟に背を向ける。酉饗津惟は、怯えた目で御簾川紗希を見上げる。
「明日を楽しみにしててね」
そして御簾川紗希は、酉饗邸を後にした。
◇◆白詰朔◇◆
茲竹さんが、携帯電話を持って戻ってきた。なんと、ついさっきデルから留守電が入っていたらしい。
「なんて」
「今日の帰りは遅くなるって言っていたわ」
「どこにいるんです」
「六陵高校に行く、と」
とっくに最終下校時間を越えてるっていうのに、なぜ六陵高校なんかに用があるんだ。
「誰かと一緒とは言ってませんでしたか」
「さあ……」
俺は腕を組む。考えられる可能性は、このペンダントを探しに行っている、ということだ。だけどペンダントは六陵高校にはない。ここにあるからな。じゃあ、これはチャンスだ。ペンダントを使い、デルを呼び出そう。
「茲竹さん。メールでも何でもいいから、デルに連絡してくれませんか。『ペンダントはここにある。届けに行くから、校門前で待ってろ』って」
「え?」
白詰朔は立ち上がり、ポケットにしまっていた緑色の鳥打帽を引っ張り出し、きゅぽんとかぶった。形から入るのは悪くない。
「待って、どこに行くつもりなの? まさか、デルに会いに行くの?」
白詰朔は、鳥打帽の下からおどけた顔を覗かせる。
「あいつが辿ってる道の上に、看板をぶっ刺してやるんですよ。『そっちは崖だ』って」
テーブルの上の、茲竹さんの写真が入ったペンダントをひっつかむ。
「また、寄りますから――――勘定は、ツケでお願いしますね」
そして白詰朔は、夜の繁華街を走り抜けていった。
◇◆宗田栞◇◆
ガタガタっと扉が乱暴に揺すられ、相模友久と宗田栞は身を強ばらせた。
鍵の開く音がして、ぎぎぎと古めかしい音を出しながら開かれる。そこから、土台今男の顔が覗いた。外では雨が吹き荒れている。
「よぉ、お前ら……出番だ」
土台今男の説明によると、先程依頼主からメールがあり、依頼主が御簾川紗希に呼び出され、六陵高校に行くことになったから、護衛に来てくれ、と頼まれた、ということらしかった。
「依頼主様の子守りも今日で終わりだ」
「終わり、って……なんのことだよ?」
「もうあの小僧はいらねぇってこった」
土台今男はくくくと笑う。「今回の報酬金で、俺は首都の居住権を買える。やっと高所得者層に仲間入りってわけだ。これからは、依頼なんて受ける必要はねぇんだよ。好きなときにこっちに来て、弱そうなヤツから金を剥ぎ取りゃあいい。丸ごとな」
「それで、なんで俺達が必要なんだ」
「ときにお前ら……白詰朔ってクソ坊主を知ってるか」
「シロサクが、どうしたんだよ!」
相模友久は叫び、宗田栞は歯を食い縛る。
「そいつも六陵高校に来るらしい。俺が殺す男だ。お前らを人質に使う。そうした方が、楽しいしな」
「こ、殺す…………?」
「ああ。俺が殺したいってのもあるが、依頼人の意向でもあるんだ。『ミスカワサキとシロツメサクを始末しろ』ってな」
「なっ…………!?」
相模友久と宗田栞の顔色が変わった。
「どうして……そんな」
「前から、依頼人様々を陰で邪魔してた奴ららしい。詳しいことは知らねぇけどな。おら、立て」
土台今男は相模友久を蹴り上げる。よろよろと起き上がった。
「ま、待ってください! 人質にするんなら、あたしにしてください! あたし、あたしも、白詰くん達の――」
「黙ってろイカれ女」
土台今男が下卑た笑みを浮かべた。手下の男達が四人、入ってくる。「お前はこいつらにたっぷりと遊んでもらうんだな」
宗田栞はビクッと肩をすくめた。男達が近づく。
「ダメだ、宗田っち! 逃げろぉ!」
喚く相模友久を担ぎ上げ、土台今男は赤帽の男を連れて出ていった。後には、男達が三人と、両手両足を縛られた宗田栞が、残った。
「な……なに……するんですか……っ」
「ナニするのかは、見たら分かるぜ」
男が一人、ズボンを下ろした。その横にいた、カメラを抱えている男が、カメラを向ける。
「怖くねぇのかよ?」
怖かった。
見栄を張る必要はない。だが、宗田栞は、去勢を張った。ここで下手に出たら、あたしは何もできない。白詰くんに認めてもらえない。
「あ、あのっ」
「あ?」
ぼさぼさ頭の男が、顎を突き出した。「なんだよ」
宗田栞は、キッと彼を見つめる。
――――覚悟、しなきゃ。
「あの……遊ぶんだったら、この縛ってるの、取ってくれませんかっ」
男達は顔を見合わせる。「ま、いいか……どうせ逃げらんねぇだろうし」
男達はいそいそと宗田栞の両手両足を解放した。宗田栞はすっと立ち上がる。
「ごめんなさい――あたし、遊んでる暇はないんです」
宗田栞はすぅーっと息を吸い込み、力を溜めた。男達は、目の前で深呼吸する女学生が、ぽてっとした腹を出して踊り出すとでも思っているのか、ぽかーんとした顔で見つめている。
「『ディレイワールド』!」
叫びとともに、男達の動きが、止まった。
正確には、二十分の一ほどの速度の、ひどくゆったりとした速度で動いている。外で鳴っていたはずの雨の音は、轟音から、捻り損ねた蛇口から垂れる水滴のような、情けない音へと、変わっていた。宗田栞は、男達の後ろに回り、丁寧に一人ずつパンチして倒す。カメラは案外脆かったらしく、すぐに壊せた。一人は、固そうに膨張した棒を生やしていたので、それを鉄パイプで殴っておいた。固そうだし、これくらいじゃ痛くないかも、と思い、もう五、六回叩いておく。ポキッと折れた。
ゆっくりと身体を傾けていく男達を後目に、宗田栞は桃色の鳥打帽をかぶり、扉を開け飛び出した。
――――白詰くんに、あたしを認めてもらうまで、白詰くんに死んでもらうわけにはいかない。
白詰くん。
次の瞬間、時の流れが戻り、後ろからの叫び声を聞きながら、宗田栞は息を切らせ、雨の中を駆けていった。
◇◆御簾川紗希◇◆
六陵高校の正門は、大きく開かれていた。
最初から開いていたのか、誰かが開けたのかは判然としない。御簾川紗希は周りを見渡す。打ち付ける雨は、彼女の能力の妨げとなり、数歩先の音すら聞こえない。彼女は、光の届かない深海に独りで潜っているかのような、言い知れぬ不安に襲われる。安堵すべき場所なんてない、と言い聞かせる。チョウチンアンコウがどこに潜んでいるか、わからない。勇気を振り絞り、六陵高校へと踏み込む。
校門をくぐると、横からナイフが飛んできた。一瞬の、僅かな空を裂いた音に気付き、すんでのところでそれを避ける。汗が、どっと、吹き出る。
「アイツ避けましたよ、土台さん」
「馬鹿言ってんな、さっさと殺れ」
暗闇に男が二人、いた。一人は金髪、大きなピアス。もう一人は大きな赤い帽子。金髪の方は、『RAVAGE』と書かれたバイクに跨がっている。
――『RAVAGE』。意味は――――『破壊』。
暗闇の中で二組の瞳が妖しく光る。
「ちなみに聞いとくけど――お前、『ミスカワサキ』?」
声を聞いた途端、背筋が凍りついた。能力のおかげなのかどうか、わからないが――――
関わってはいけない。
御簾川紗希は、即座に、校舎の方に向かって走り出した。雨は次第に弱まりつつあったが、風が強くなり、彼女の前面を押し、拒んでいるようでもあった。
「まずいですよ土台さん、あっちは依頼人がいる方向ですよ」
「黙って乗れ」
後ろからエンジンをふかす音が響いた。それはまるで、猛獣の唸り声だった。肉を求める猛獣が、草食動物をいとも容易くねじ伏せるかのような。
タイヤが地面を擦り、ライトが背中を照らす。微かにライトに照らされた校舎は、永遠に辿り着けないくらい遠くにあるように見える。タイヤの音が背中に迫る。
彼女は、横に飛び退いた。すぐ横、先程まで彼女がいた場所にバイクが突っ込む。風を叩きつけられ、彼女はよろめいた。彼女が体制を立て直すのとほぼ同時に、バイクのライトが再び彼女を照らす。次の一撃に備え、彼女はまた校舎に向かって走り出した。
◇◆御簾川紗希◇◆
校舎の入口は開いていた。それはまるで地獄への入口で、彼女を誘っているようにも見えたが、チョウチンアンコウよりはまだ信用できる気もしたし、バイクを引き離すためには効果的だろうと思い、御簾川紗希は校舎に入る。
どうやらここは一年生棟のようだ。
当然のことだが、校舎に人気はなく、空が突然漏らしてしまった舌打ちのような、刹那の雷光を頼りに、御簾川紗希は二階に駆け上がった。幸い1−Eの窓は開いており、鍵を閉め忘れていた同級生に感謝と叱責を呟きながら、教室の中へ身を滑り込ませる。窓をカラカラ、と閉める。
やがて、廊下を誰かが走る音が聞こえた。教卓の下で息を潜ませ、足音が過ぎ去るのを待つ。廊下の奥から聞こえてきた足音は、近づいてくるにつれゆっくりになり、1−Eの教室の前で、止まった。
男の息遣いが、聞こえる。こちらの出方を窺っているのか、動こうとはしない。
唐突に、扉がガタガタと揺れた。そして、乱暴にドンドンと叩かれる。
気づかれた?
彼女は焦り、汗が流れる。これは一体、どういうことなのか――――状況を纏めにかかる。
男が扉を開けようとしてる。多分、さっきの二人のうちのどっちかだ。そもそも、なんで夜の学校に、バイクに乗った男達がいるんだろうか。それに、電話で呼び出したはずの茲竹デルは見当たらない。つまり、この男達は、デルが呼び出した可能性が高い。じゃあ、デルはここにはいない?
いや、そういえばさっき、赤帽の男が『あっちは依頼人がいる方向ですよ』って言っていた。『依頼人』は、デルを指す言葉なんじゃないだろうか。と、すると……デルは六陵高校のどこかにいる。
気づくと、扉がさっきよりも激しく揺れていた。そして、窓も揺れていた。風がびゅうびゅうと吹き抜ける音が聞こえる。教室後方の壁に貼られている紙がバサバサと鳴る。廊下側の窓も、外側の窓も、揺れている。どこから風が入ったのだろうか。
――窓は、閉まっているはずなのに。
「『ミスカワサキ』、みーっけ」
襟を掴まれ、御簾川紗希は教卓下から引っ張り出された。身体がふわりと宙に浮き、教室の奥へと投げ飛ばされた。机が崩され、椅子ごと倒れる。目を上げる。廊下側の窓が大きく開いていた。鍵を閉め忘れていたのだ。
――同級生に文句、言えないな。
「ちょこまか逃げ回んなよな。俺だって好きでこんなことやってるんじゃないんだよ。人質プレイしたかったんだよ。なのにさ、一番新人だからって連れてこられて、誰でも出来る仕事させられてさ。何が護衛だよ、ホントさ」
どうやら、赤帽は今すぐに攻撃してくるつもりはないらしい。会話から察するに、向こうには人質がいるんだろうか。想像していた以上に、一筋縄ではいかなそうだ。
「だからさ、早いとこ終わらせたいわけよ。分かる? 俺の言ってること」
外の雨は弱まりつつある。機会を見計らって、逃げることが出来るだろうか。それとも、赤帽から話を聞き出すのがいいだろうか。新人ってことは、もしかしたら、突破口があるかもしれない。
「おい、聞いてんのか、お前」
赤帽が、机を蹴り飛ばし、ゆっくりと近づいてくる。両手はポケットに突っ込まれている。すぐには手を取り出せないから、虚をつけば、倒せる。相手が緊張しているようにも聞こえない。隙だらけだ。
赤帽が至近距離まで迫る。御簾川紗希は勢いよく立ち上がり、赤帽に突撃して転ばし――――
「おっと、動くな」
――――その寸前で、御簾川紗希は停止した。
赤帽の男の手に、銃が握られていたのだ。ワルサーP38、というタイプの銃だ。
「ワルサーだけに、グロッキーんなるぜ」
同時に彼は、撃鉄を起こし、運動場側の窓に発砲した。凄まじい破壊音が響き、ガラスが飛び散る。
何が可笑しいのか、赤帽はくくくと笑った。「誰もわかんねぇんだよ、これ。つまんねぇよな」
もしかして、と御簾川紗希は気付く。
この男は、緊張するとか、そういう前に、こういうことに慣れているんだ。これが新人だなんて、悪い冗談だ。
それに、銃を握っている姿から、恐れを感じられない。
自分が銃を握っている――引金を引けば人を殺せるという、殺人に対する『恐怖』が、この男から欠落してる。
――殺される。
そう認識した瞬間、御簾川紗希の身体を、どす黒い恐怖が覆い尽くした。
「つまんねぇヤツはいらねぇと思わねぇか?『ミスカワサキ』」
銃口を私に向け、赤帽は眉を上げた。口の端がつり上がり、どこか遠くに落ちた雷が、彼の闇を照らす。御簾川紗希の歯が、ガチガチと鳴る。
「俺はそう思う」
銃声が、鳴った。
◇◆◇◆
銃弾は、私の手前で止まった。私の前に、誰かが立っている。彼は緑色の鳥打帽を被っていた。薬莢と銃弾が、ほぼ同時に床に、落ちる。
「『シロツメサク』」
赤帽の声が聞こえた。「なんなんだ、お前。なんなんだよ」心なしか、震えている。
「俺は、『救世主』だ。この六陵高校の、な」
そしてガンッという音とともに、銃だけを残して、赤帽の男が横に吹っ飛んだ。廊下側の窓に突っ込み、ガラスの破片と共に廊下に転がる。
「答えろ。茲竹デルは、どこにいる」
廊下に出て、赤帽の男に問い質す。男のトレードマークの赤帽は、ガラスまみれになって遠くの方に落ちていた。
案外すぐに、男は口を割った。咳き込みながら、その場所を言った。それに、人質がいる、ということも。聞き届けると、白詰くんは立ち上がり、男の足を踏みつけた。めきめき、と骨の軋む音がする。折ったのかもしれない。男は悲鳴を上げた。お前だけは容赦しない、ダリアさんだけでいいんだよ、と白詰くんが呟くのが聞こえた。赤は二人もいらねぇんだ、と。
「御簾川。お前はもう帰れ」
「え?」
白詰くんは廊下の奥に向かって歩き出した。私は白詰くんの背中を追う。遅れて、心臓が早鐘を打ち始めた。
「分かっただろ。デルは――犯人は、一人じゃない。どうやら向こうは、俺達が邪魔らしい。手段を選ばない」
「逆恨みだよ」
「逆恨み?」
私は、津惟から聞いたことを白詰くんに話す。
「それが、『暴力事件』、か……」
階段に着き、上の階へと上り始める。白詰くんは、眉をきつく寄せた。心臓が鳴る。「思ってた通り、滅茶苦茶だな」
「さっきの人達が何者か、知ってるの?」
「ああ。土台今男って男を筆頭にここらを荒らし回ってる“黒の走り屋”って奴らの一人だ。デルが雇ってる。実はさっきまでデルの姉と会っててな。茲竹桃娘っていうんだけど」
「そんなことまで分かってたの?」
「こっちはこっちで、証拠を手に入れてな。それより、御簾川」
そう言って、屋上への扉の前で白詰くんは向き直る。鋭い目が私を捉える。
「この先には多分、土台とデルと、誰か、人質がいる。どんな手を使うか分からない。つまり、危険だ。だから、今すぐ、帰ってくれ」
「それは無理かな」
「なんでだ」
私はむすっと腕を組む。「だって、私、津惟に大見得切ったの。『デルの心根を、ひんまがった心を、正してやらないと』って、言っちゃった」
「そんなら俺だってそうだ。おんなじようなこと、茲竹さんに言った。そういう話じゃないんだ、御簾川」
白詰くんはガシッと私の肩を掴んだ。肩を握っている手が、強ばっている。自分の鼓動が白詰くんに聞こえないか、不安になる。これは、恐怖感なんだろうか。でも、どこか違う気がする。さっきから、胸が苦しい。
「生きるか、死ぬか……そういう話になるかもしれないんだ。俺は、大事な人を、無くしたくない。分かるだろ」
白詰くんと、目が合う。その真剣な瞳に、雨に濡れた私が、映っている。心臓がとくん、と揺れた。その次の瞬間、私はこくん、と頷き、階段を駆け下り始めていた。
全てを託してもいい。自然にそう思った。そんな感情を抱いたのは、生まれて初めてだった。
◇◆白詰朔◇◆
御簾川の足音が遠ざかっていく。俺は、さっきの、御簾川から聞いた話を反芻していた。
放課後の体育倉庫で女生徒を襲った茲竹デル。きっとその動機はしょうもないものだったんだろう。そして酉饗は、それを阻止するために、彼らの前に立ちはだかった。「悪人成敗」と囁いて。
同時に、思い出す。テニス部のゴキブリ事件発生直前、俺が宗田さんの半裸を目撃してしまったとき。あの時も酉饗は、「悪人成敗」と叫んで、俺に飛び掛かってきた。あの時の酉饗は、どんな気持ちだったのだろうか。体育倉庫での一件を思いだし、自分が振るってしまった暴力を、思い出してしまったのではないだろうか。俺は、アイツを傷つけてしまったんじゃないのか。
「何が悪い?」
俺は呟く。
世界か? 人間か? 金か? 幸福か?
わからない。今は。いや、わかる日なんて永遠に来ないような気がする。
なら今は、俺は、俺にできることをすべきなんだ。
それを続けてさえいれば、きっとよくなるはずなんだ。
俺は、屋上への扉を、ゆっくりと開く。ぎぎぎ、と音を鳴らし、扉は開いた。その先には、暗雲が立ち込めている。
◇◆白詰朔◇◆
「主人公のお出ましだ」
目の前でにやにやと笑う土台が、朔を見て言った。朔は後ろ手で扉を閉める。雨は豪雨となり、風は荒れ狂う獣のように吼える。雷が遥か彼方に何本も降り注いでいる。暗雲が天を覆っている。
「シロサク!!」
土台に締め上げられ、首元にナイフを当てられている男を見て、朔は目を瞠る。相模だ。その奥で、フェンスにもたれかかる男子がいた。茲竹さんのロケットペンダントに入っていた写真が持っていた柔らかな面影はほとんど残っていないが、顔のパーツから判断すると、彼がデル、茲竹デルだ。
「取引しろ! ロケットペンダントを出せ、人質と交換だ! さもないと、コイツは殺す!」
デルが土台の後ろに回り、言った。勝ち誇った笑みを浮かべている。
「よっぽどこれが大事なんだな、デル。姉さんが大事なのなら、もうこんなことはやめろよ。いつまで茲竹さんに迷惑かけ続けるつもりなんだ」
「何言ってるんだよ、おまえ」
デルは鼻でせせら笑った。「お姉ちゃんは関係ない。物的証拠が残ってたら、ボクがやったってバレるじゃないか。そんなこともわからないのか?」
朔の中の何かが、揺れた。首にかけていたロケットペンダントを手に乗せ、デルに投げる。デルは受け取ると、つまんでポケットに押し込んだ。土台が相模を突き飛ばす。相模はよろめいて朔の方へ行った。
「シロサク」と相模が囁き、朔に鍵を握らせた。「なんでこんなことになってるのかは、しらないけどさ、この鍵、使ってくれ。校門、脇、の、草むら、に――――――」
「おい、相模!?」
相模はそう言い残すと、屋上のコンクリートに倒れ込んだ。朔が揺らしても、起きない。死んでいるわけではなさそうだが、早く治療しないと危ないかもしれない。何の鍵かはわからないが、朔はそれをポケットにしまった。
「間抜けだなぁ」
デルがにやにやと笑いながら、言った。朔はすっくと立ち上がり、デルを睨む。
「茲竹デル。お前は、なんのためにこんなことをしてるんだ」
「こんなこと? まだ分かってないのか? 『酉饗津惟への復讐』に決まってるじゃないか。ボクに怪我させた。そのせいで、部活での立場がなくなったんだ!! だったら、アイツには、ボクよりもっとツラい思いをさせてやらなきゃダメだろぉ!! それで、アイツが『ゴキブリ爆弾事件』の犯人に見せかけたんだ! ボクを怒らせたのが運の尽きだったんだ! ざまあみろ!!」
朔の腹の奥から、ふつふつと怒りが込み上げてくる。ゆっくりと、腕を捲る。
「お前は何様だ。神様にでもなったつもりなのか? ここまで来れたのは、誰のおかげだと思ってるんだ……」
「言ってろ、負け犬!! ボクには、土台今男らがいるんだ!! それに、もうお前には証拠がないだろ!? 粋がったって、お前には何も出来ないんだ!!」
朔は腕を組んでデルに近づく。「質問に答えろ。お前は、何様だ」
「ッ……」
デルは一瞬たじろいだが、すぐに元の調子に戻った。「ボクは茲竹デルだ! 『ゴキブリ爆弾事件』の犯人だ! この『黒の走り屋』に頼んで、ゴキブリをもらって、それを部室に仕掛けてたんだ! ゴキブリたちには暗示がかけられてた、狙ったヤツらを完璧に気絶にまで追い込んでくれたよ! 何もかも、ボクが裏で酉饗津惟を陥れるためにやってたんだよ! ここまで言ってもわからないんなら――――」
「いや、それで十分だ」
朔は不敵な笑みを浮かべた。「思った以上だ」胸ポケットに手を伸ばす。
「間抜けはどっちだろうな、デル?」
朔の手には、紫色の機械が握られていた。朔はその機械の真ん中のボタンを押す。すると、機械を通した、独特の音質が加わった、デルの声が流れ出す。たった今、“録音した”、デルの声が。
『ボクは茲竹デルだ! ゴキブリ爆弾事件の犯人だ! この『黒の走り屋』に頼んで、ゴキブリをもらって、それを部室に仕掛けてたんだ! ゴキブリたちには暗示がかけられてた、狙ったヤツらを完璧に気絶にまで追い込んでくれたよ! 何もかも、ボクが裏で酉饗津惟を陥れるためにやってたんだよ!』
「犯人の自白。これを明日、朝礼放送で流したりしたら、どうなるか……お前に分かるか、デル?」
デルは憤怒し、ギッと朔を睨み、土台を叩いた。「奪え!! アイツから、アレを奪って――――殺せェェ!!」
「待ちくたびれてたところだ……さっさと殺るか」
土台はサバイバルナイフの切っ先を舌で舐めた。紅の血がナイフの刃を濡らす。
朔は、一気に、土台の足元に、踏み込んだ。土台の反応が一瞬、遅れ、朔の狼のように凶暴な左拳が、土台の右頬を捉えた。衝撃が土台の身体に響き、土台は、ナイフを取り落とし、ゆらめき、膝を落とした。続けざまに、朔は両手を握り合わせ、土台の頭頂部を、杭を打ち込むかのように、一気に叩き落とした。土台は、あっけなく、コンクリートに倒れ、動かなくなった。
朔はナイフを拾い上げ、デルの足元に放り投げた。ナイフはコンクリートを滑り、デルの靴に当たる。
「次はお前だ、茲竹デル」
鳥打帽を脱ぎ捨てる。
◇◆捜査終了◇◆
デルはナイフを拾い上げ、朔を睨んだ。
空は曇天。激しい風が吹き荒れ、茲竹デルの髪の毛は獣のように荘厳にたなびいた。
「ボクは強い。――――強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い強い強いッ!!」
デルは手に持ったナイフを握り締める。掌の皮が裂け、赤黒い血が刃を滑り落ちた。轟音を上げ落ちた雷が、彼の顔を黒く塗り潰す。
ぎりぎり、と歯を軋ませ、元々内向きだったデルの前歯が、歯茎を軸にさらに内側に折れ曲がり、血が噴出する。
「酉饗津惟なんか、いらないだろぉ!!」
デルはふらりとよろめいた。口を引きつらせ、デルは不敵に笑う。
「全部アイツが悪いんだ……何で庇うんだよぉ」
「それは違うぞ」
朔は袖をたくしあげる。血流を右腕へと集中させ、右腕を燃すほどの熱を帯びさせる。
「悪いのは、この世界だ」
「じゃあ世界を裁けよぉ!!」とデルは喚く。糸を引いた涎が屋上に飛び散る。
「ボクじゃなくて、世界と闘えよぉ!! この弱虫!! 弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫ィッ!!」
「そうだ、俺は弱い。俺は臆病でお人好しな、ただの男子高校生だ。だからこそ俺は強くならなきゃいけなかったんだよ……この世界で、お前たちよりも強く!」
朔は拳を握って固めた。鉄のようになった朔の腕を見て、デルはギョッと目を瞠る。
朔は素早くデルの元へと駆け出た。デルは両手でナイフを握りこみ、特攻を仕掛けてくる。
「う、うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!」
素早く突き出されたナイフを、朔は鋼化した腕で受け流す。金属の弾ける音が、屋上を揺らした。
デルの手から飛ばされたナイフは空中で弧を描き、コンクリートの床を滑る。デルはそれを拾おうとし、慌ててしゃがんだ。
朔はデルの首根っこを掴んで起き上がらせる。デルが呻いた。
「あッ、がッ……」
「痛いか? 痛いだろう、茲竹デル!!」
デルの足が宙でもがく。
「お前は痛みを知らなかった。それが俺とお前の、決定的な違いだ」
朔はデルの首から手を離す。デルは崩れ落ちて喚く。「ち、違うッ!! ボクは強いんだ、お前の何百倍も!! お前とは比べ物にならないほど!! 決定的にッ、強いんだッ!!!」
「そうか……じゃあ、早くナイフを拾えよ」
朔はデルをコンクリートに叩きつける。デルがぐゥッと呻いた。
「結局、俺はお前より強いんだよ」
デルはぐらりと揺れながら起きあがり、唾を吐き散らして喚き、闇雲に腕を、振り回す。朔は全てをかわし、腰を落としてデルの左胸に掌底を叩き込んだ。デルは吹き飛んで尻餅をつく。
「勝つには強さが必要なんだ、デル」
デルは、鷹のような鋭い目付きで朔を睨む。朔は睨み返す。
「世界は結局、特撮のヒーローが勝つようになってる。弱い者は負けるしかないんだよ。自分が弱いことを自覚しなきゃ、お前はいつまでたっても弱いままなんだよ! 別にお前が悪人だとは言わないけどな、これは当然の報いだ、デル! お前が闘っていたのはなぁ、昔も今もずっと! お前よりも弱いヤツだったんだよ!! その二人は、お前を倒すために、強くなることを選んだんだ!! そしてお前は、自分がソイツよりも弱い存在になったことに、いつまでも気づかないで、『自分は強い』と虚勢を張って!! そんなやつが俺や酉饗を殺せると思うな!!」
朔はデルに歩み寄る。デルは息を呑んで後退る。
「逃げんなっ茲竹デル!」
朔はデルの襟を掴んで彼を床に叩き付けた。「因果応報って知ってるか。悪いことをしたやつは、報いを受けるんだよ。お前は報いを受けるんだ」
「おっ、お前に、そんな権利が、あるわけないだろっ! ボクはっ、本来はここに来るはずじゃなかったっ! だから、お前たちより偉いんだ! お前は、神様にでもなったつもりかっ!」
「神様、か。この世界にいる神とお前らじゃあ、どっちの方が偉いんだろうな」
デルはナイフに手を伸ばし、掴もうとするが、届かない。雷鳴が遥か彼方で轟いた。
「精々能無しの神にでも祈ってろ」
朔は腕をふりあげる。もう片方の腕でデルの肩を地面に押さえつける。
「ま、待て、ボクを殴るのか! お前、法律も知らないのか! 殴ったら、殴った方が罪に問われる! ボクにケガなんてさせたら、ただじゃ済まないぞ! お姉ちゃんが絶対に黙ってない! どうなってもいいのか!」
「言い訳無用だ」
朔の腕が雷光を浴び、デルを塗りつぶす。
「一生後悔するぞ! ボ、ボクの言うことに従えぇ! さもないと、お前を、お前を、殺し屋を雇って、お前を、お前を――――」
振り上げた腕は、速度と質量をもって、振り落とされた。
破壊音が屋上に響き――――辺りは静寂に包まれた。
◇◆◇◆
風はまだ吹き荒れている。




