第四話 「命の恩人」
俺は先生からもらった書類を眺めた。俺が友達のノートにふざけて書き込んだサイン付きの落書き。春から転勤するという先生に書いた寄せ書き。修学旅行のときクラスのみんなで撮った記念写真。さらに、生徒全員分の卒業アルバムまであった。
「……ここまでするのか」
俺は背中からベッドに飛び乗り、天井をみつめ、ため息をついた。六陵高校に入っただけで周りの人たちから〝罪人〟と呼ばれ差別され、自分だけでなく家族までもバカにされる。
どうやら、その噂は本当だったらしい。
「全部…どうにかなるのに」
俺は、記念写真を握り潰した。
「金さえあればっ…こんな思いをしなくて済むのに…!」
写真を握る拳が自然と強くなる。いつのまにか写真には、握ったしわと、涙の痕とが、くっきりと残っていた。
◇◆◇◆
次の日。
担当の医師から話を聞いた。どうやら俺は、今すぐにでも退院できるらしい。建物の三階から飛び降りた例の女子中学生にも、その下敷きとなった俺にも、奇跡的に大きなけがは無かったらしい。女子中学生の方はまだ少し検査があるみたいだが、俺は明日退院する運びとなった。
「君が助けてくれて助かりましたよ、白詰くん。君がいなければあのコは、亡くなっていたでしょうから」
担当の医師はそう言って苦笑いした。俺もつられて苦笑した。
「あのコはまだ事情を話そうとはしないですが、君が間一髪助けてくれた、ということを伝えると、命の恩人です、と泣いて喜んでいましたよ。とは言え、君も一歩間違えばその命を失っていたかもしれない、ということは自覚しておきなさいね」
俺は小さくうなずいた。
「そういえば、その子から君に、手紙を預かっているんです。今日の朝、渡して下さいと頼まれてましてね」
そう言って、医師は懐から一通の便箋を取り出した。俺はそれを受け取ると、ポケットの中にしまった。
「ありがとうございます」
「忠告しておきますけれどね、白詰くん」
医師は身を乗り出し、俺が便箋をしまったポケットを指差して言った。
「“命の恩人”は、相手を自分に心酔、妄信させてしまう可能性があります。同情であの子と会ったりするのは、お勧めしません。あの子の人生は、あなたの選択でいくらでも変わるかもしれないということを肝に銘じておきなさい」
俺は医師の言った言葉の真意を測りかね、曖昧にうなずいた。医師が出ていったあと、俺は便箋を取り出して封を切り、手紙を読んだ。どうやら、俺へのお礼の言葉がずらりと並べられただけの手紙のようだ。十枚ほどのその手紙を流し読みしていると、最後の行に小さな文字で追伸が書かれていた。
《追伸・今日の昼十二時、屋上で待ってます。直接会ってお礼が言いたいので》
時計を見ると、ちょうど昼の十二時だったので、俺は急いで病室のベッドを抜け、屋上へと向かった。
屋上のドアを開けると、そこに例の女子中学生が立っていた。数日前のあの時より表情は落ち着いている。負の感情にオサラバしてスッキリって顔だ。
「白詰くん…ですか」
そいつがもじもじとそう言った。よく見ると結構かわいい。ぽわぽわの髪を後ろで一つまとめにし、だぶだぶの患者服を着ている。背は140cmくらいか。だが俺のタイプではない。俺はスレンダーが好みだ。いや、そもそも、自殺未遂の女子中学生を前にしてそんな事を考えているのはおかしいんだが。俺の心にも、少し余裕が出てきたということだろうか。
「ごめんなさいっ…あたし、迷惑かけたみたいで…ごめんなさい」
そいつはぺこりと頭を下げた。
「いや、いいよ。あの時はホント、焦ってたから」
俺は軽く手を振る。
「あたし、全然覚えてなくって、本当に迷惑かけたと思います。ごめんなさい」
「まあ、思うところあっただろうし、いいよ別に。けがとかなくて、よかったな」
「……ごめんなさい」
そいつはペコペコと頭を下げるばかりで、こっちを全然見ようとしない。謝る気あるのかコイツ。なんで俺が責めてるみたいになってるんだ?
「じゃあ、あたしは……これでっ」
そう言うとそいつはものすごい勢いで屋上から走り去って行った。一体なにがしたかったんだろう。
……そういえば、名前を聞いてなかった。
……まあどちらにしろ、もう会うことはないだろうし、知る必要は無いだろう。間違っても俺と同じ高校に来たりはしないだろうしな。