第三十九話 「鋼の狼(ヴォルフラム)」
放課後になり、俺たち三人は、推部部室即ち六陵高校実習棟三階の第三音楽室へと足を運んだ。
「あれ……?」
そう呟いたのは、宗田さんだった。「あそこにいるのって……」
宗田さんが見ている方向を見る。推部部室前の廊下で、誰かが蠢いていた。あの小さい人は、もしかしなくても……
「……シーマンさん?」
「はっ!!??」
俺が声を掛けると、シーマンさんは驚いて飛び退いた。手に持っていた額縁が、大きな音を立てて落ちる。御簾川はそれを拾い上げ、眉をしかめた。
「……何で宇治川先輩がこれを……?」
御簾川が拾い上げたのは、誰かの写真だった。その茶髪の“誰か”は、慎ましげな微笑を湛えた外人男性で、茶色の上着を羽織り、クラシックギターをゆったりと構えている。角の取れた輪郭に少し垂れた眦から、優しそうな印象を受ける。背景はぼやけているが、屋外に見える。きらきらと反射する光が、彼を包み込んでいる。
知らない顔だ。
「新入部員が入ったら、額を追加する伝統なんだ」とシーマンさん。「それぞれのイメージに合った音楽家を飾っていくんだ。今年は、私がいるから、選考はスムーズだったのだ」
えっへん、とでも言いたげに、シーマンさんはその小さな胸を張る。
「え、じゃあ何ですか、このシューベルトとかリストとかベートーヴェンとか、全部今までの推部の先輩たちが飾ってたんですか?」
「いやいや、そういうわけじゃないんだ。この伝統は、私の代で始めたことだから、歴代の先輩たちは関係ない。でも、これはいい伝統だとは、思わないか?」
「いや……よくわかりませんけど」
というか、シーマンさんは、この肖像画が六陵七不思議のひとつになってるってこと、知らなかったのか?少なくとも、六陵超百科の執筆者であるダリアさんは知ってたはずだ。ダリアさんは、シーマンさんに注意しなかったのか?
「ということは、この肖像画も、私たちの誰かのイメージ、ってことですよね。……これは、私をイメージして選んだものですよね」
御簾川は、自信たっぷりな声色だ。
「そうだ」
「あたし、ですか?」
「いやそうじゃなく、その通りだ、という意味だ。確かにそれは、ミス・カワサキ、君のイメージで選んだ、アメリカのシンガーソングライター、ジョン・デンバーだ」
知らない名だ。
「……すごいですね。やっぱりそれも、宇治川先輩の、超能力のおかげですか?」
「そうだ……その通りだ。ちなみに、ソーダはジョン・コルトレーン、クローバーはカラヤンだ」
「誰ですかそれ」
さっぱり聞いたことのない名だ。シューベルト、リスト、ベートーヴェンに比べて、知名度が低すぎるだろ。
シーマンさんは既に壁に掛けられている二つの新しい額を指さした。一つはパンチパーマの黒人男性が何かの楽器を吹いている写真で、もう一つは、白髪の壮年男性が指揮棒を持つ横顔の写真だった。ていうか、一人指揮者がいんじゃねーか。
「……バラエティ豊かですね」
御簾川は少しあきれたように言った。
「ところで、宇治川先輩。今から水泳部に張り込み行ってくるんですけど、いいですか?」
「もちろんだ。許可を取る必要はない、今回は君達単独の捜査なんだから、好きに動いてくれればいい。ただし、超能力のことだけは、他言無用なのを忘れてもらっては困るぞ?」
シーマンさんは少し冗談めかしてそう言った。
「ところで、シーマンさんの能力名って、何なんですか? それに、ダリアさんのも」
俺は素朴な疑問を口にする。今まで聞いたことがなかった。ダリアさんの能力については、皆目見当がついていないし。
「まだ言っていなかったか。私の能力は『千里眼』だ」
全てを見通す力。それがシーマンさんの能力だという。
「ダリアさんは?」
「ダリアの能力は、『記憶装置』という。見るもの全てを記憶する。それが『記憶装置』だ。捜査では非常に役に立つ能力だ」
シーマンさんの能力も、十分捜査向きだ。
「ところが、ダリアの能力には、いくつか発動条件があってな。その見たものを記憶するためには、一度眠らなくてはならないらしいのだ」
ダリアさんがしょっちゅう寝てたのは、そういうわけだったのか。
「それに、思い出すときも、目をつぶっていなくてはならない。そういう仕組みなんだ」
なるほど、ダリアさんのあの癖は、そういうことだったのか。
「あのセーターも、ボタン三つ開けも、全部寝るためにやっていたものなんだ。入学したての頃は、あんなに砕けた感じではなかったのだ」
今が砕けた感じかどうかというと、そうじゃない気がするけど。
「聞こえてる」
声のした方を振り向くと、セーターを手に持ったダリアさんが立っていた。
Oh……スレンダー。
「あんまり昔のことは言わないでよね」
そう言うと、ダリアさんは部室に引っ込んだ。
「ダリアさん、ちょっと待ってください」
俺はダリアさんを引き止め、能力を発動したときに、貧血で倒れた話をした。
「……とりあえず部室に入って」
ダリアさんは俺を部室へと招き入れる。
「白詰くん」と御簾川が言った。
「なんだ?」
「先に水泳部の方に行ってていい? ちょっと気になるからさ」
「ああ、いいぞ」
「あたし、ちょっと先輩たちに聞きたいことあるから、白詰くんと一緒にいるね」と宗田さん。
「うん、じゃあまたあとでね」
御簾川と別れ、俺と宗田さんは部室へと入った。最後に入ってきたシーマンさんが、扉のカギをしめる。さっきのジョン・デンバーとやらの額を持っていない。いつの間に壁に掛けたんだろう。
「その能力、使ってみて」
「えっ!? ここでですか!?」
「もちろん。私が見極めるから。何なら――――――」
ダリアさんは部室隅の引き出しで何やらゴソゴソしていたかと思うと、見覚えのあるスイッチを引っ張り出してきた。神託の間のスイッチだ。
「大声出せるところでやろうか?」
◇◆白詰朔◇◆
例の地震的揺れが収まり、神託の間への道が口を開けた。
廊下に人がいたら、また『六陵高校推理探偵部部室前廊下の動く肖像画』の話で持ち切りになるぞ。
新しく掛かった三枚の肖像画|(というか、全部写真だったけどな)も、めでたく六陵七不思議の仲間入りってわけだ。
「さぁ、行きましょうか」
そうして俺たちは、完全防音の神託の間へ踏み入った。前回とは違って、蝋燭は点いていないが、それ以外は何も変わりない。いや、でも、かなり暗い。
「ここも蛍光灯にすればいいのだが、なぜか誰もしようとしないのだ」
俺の気持ちを察したのか、シーマンさんが俺を流し見して言った。
「そもそも、この部屋には電気が引けないから。さすが超力場と言うだけあって、この部屋は外部の影響を非常に受けにくく、且つ外部に内部のものが漏れないようになっているの」とダリアさん。
「そうだったのか」
「そうだったのよ」
確かに、超力場において、そういうのは重要だな。もし超力場の効果範囲がこの部屋より外になってたら、下手すると廊下を通りすぎるだけで超能力を手にしてしまう可能性があるし。
「さあ、クローバーくん、見せてみて」
「……本当にやるんですね」
「もちろん」
シーマンさんがチャッカマンで蝋燭に火を灯し、神託の間が神秘的な光に包まれる。宗田さんは、固唾を飲んで見守っている。
俺は念じる。
俺は守る。近くにいる大事な人を、守る。もう誰も傷つかないように、もう誰にも傷つけられないように、俺は守る!
「はァァァァァアアアアッッ!!」
昨日よりも簡単に、俺の熱血は右腕に集中し、たちまち黒鉄の物質へと変化した。
「出してみてくれる?」
宗田さんやシーマンさんが歓声を上げる中、ダリアさんは俺の腕を見て、そう言った。
「へ?」
「『細胞変質』なら、その物質を分泌できる。超能力図鑑にも書いてあったでしょう?」
俺はダリアさんと違って、見たものをすぐに記憶できるわけじゃないんですけど。
まぁ、俺は頑張って、腕に力を込めてみた。中々コツがいる、というか、なんかよくわからないところに力を入れ続け、数分してようやく、腕から五センチ立方くらいの立方体が転げ落ちた。
ダリアさんはそれを拾い上げ、「なるほど」と呟き、目を閉じた。
「これは……タングステンね」「タングステン?」「ええ。別名を鋼の狼といって、スズ鉱石の中に混入すると、鉱滓を作ってスズの精製を阻害することから、狼のようにスズを食い尽くすとして、この別名がついた。徹甲弾や軍事兵器の装甲、高速度鋼や超硬合金、フィラメントなんかの材料にも使われている、希少金属」
なんとなく凄そうなことは伝わってくる。
「融点は3380 °Cで、沸点は5555 °C。比重は19.3で、金のそれとほぼ同じで、鉄の約2.5倍。その硬さ故に、一定方向に力を加えると壊れてしまうけれど、かなり強く重い素材だと言えるでしょうね」
ダリアさんは、その立方体を俺の腕に押し付けた。すると、立方体は俺の固まった腕に、すーっと音もなく溶け込んだ。
「血液が発動部分に集まるのは、能力発動時に多大なエネルギーを必要とするからよ。本来は、発動後はまたその血液は心臓に戻り、何の支障もなく活動できるはずなんだけれど、あなたの場合はタングステンによって、血液もともに固められる」
「何か、貧血を起こさない策はないんですか?」
「自分を固めるときは、腕全体とか、そういう風に固めるんじゃなく、拳だけ、とか、腕の側面だけ、とかにすればいいわ。そうすれば、発動部分が占める面積が少なくて済むから、すぐに貧血を起こすほど体力を削られはしないはず。ただし、発動時間が長ければ、その分、あとで解除したときに、酷いことになっている可能性がある」
酷いこと?一体何のことだろう。
「発動部分が腐るのよ。昔、輪ゴムや糸を指に巻いて遊んだことがない? そのときに、指が青くなったでしょう。あれは、血液が指に通わなくなっている状態。ずっとあの状態で放置していたら、指は腐ってもげ落ちる。あなたの腕や脚も、そうなる可能性がある」
おっかない。
「だから、発動継続時間には気を配った方がいい」
俺は慌てて発動を解く。二回目だからか、自分の意思で解くことができた。少し眩暈がする。
「あのっ、あたしの能力も、見てもらっていいですか」
宗田さんが言うと、ダリアさんは首を振った。
「その必要はないわ。あなたの能力が『時間遅進』なのは知っているし。無闇に発動するものじゃない」
「で、でも、見てもらわないと分からないんじゃ……」
「いえ、超能力図鑑の記述だけで十分。恐らく、あなたが気にかかっているのは、能力発動時に聞こえなかった、『鈍い衝突音』のことでしょう?」
宗田さんはコクリと頷く。
「聞こえなかった? 俺には聞こえましたけど」
「遅くなった世界で唯一遅くなっていなかったソーダさんには、その音は聞こえていなかったの。なぜならその音は、“時間震”だったから」
時間震。これまた聞いたことのない名だ。
「つまりは、ソーダさんの『時間遅進』能力は、具体的に言うと、選択したもの以外の世界の時間を“堰き止める”能力なの。この世界では、時は常に未来に向かって流れ続けている。それをいじることができるのが、『時間系能力者』。クローバーくんが聞いた音は、時間が堰き止められたことによって生じた、時間の急激な速度低下によって発生した、『時間遅進』能力と時流の衝突音だったのよ。だから、時流を堰き止められた人たち、つまりはソーダさん以外の人物だけが、その音を聞くことができた。いえ、“聞くことしかできなかった”という方が正しいわね」
何だか、急に話がSFじみてきた。まあ、俺が覚える必要はないだろう。
まあ、何はともあれ、ダリアさんたちに聞いておきたいことはもう全部聞いた。
「ダリアさん、おりがとうございました。おかげで色々わかりました。宗田さん、じゃあそろそろ行こうか」
俺は、宗田さんを引き連れ、水泳部へと、向かおうとする。
「――――ちょっと待ってくれ」
シーマンさんが俺を引き止める。
「なんですか?」
「君達に、言っておきたいことがあってな」
いつになく、シーマンさんは真剣な表情だ。
「……コミュニティというものは、どこにでもあるものだ。君達は、小さいところならば六陵高校吹奏楽部、六陵高校の一年生というコミュニティから、大きいものならばこの宇宙に生きる生命というコミュニティに属している。
それぞれのコミュニティの中で、君達は立ち位置というものがある。六陵高校推理探偵部ならば、新入生という立ち位置。宇宙の中ならば、一地球という一括りの生命系。
互いのコミュニティ間では、勢力の均衡、優劣がある。六陵高校生が大統領でないのと同じように、宇宙は神ではないし、童謡は讃美歌ではない。この世界にあるすべてのものは、人間の知覚する限り全てが何等かのコミュニティにいる。目に見えない存在や、未確認飛行物体なども、『幽霊』や『UFO』といったコミュニティに属している」
シーマンさんは、しっかりと俺と宗田さんを見据える。
「覚えておいてほしいのは、コミュニティに属している限り、それそのものは単独ではいられない、ということだ」
この言葉が理解できるようになるのは、これから二日後のことだった。




