第三話 「罪人」
「うああああああああああッ!!」
俺は叫んで飛び起きた。俺の近くで寝ていた誰かがビクッと反応し、目を開けた。
「あああッ!」
俺は頭を抱え、ベッドに倒れこんだ。
「どうしたの朔、何か悪い夢でも見たの?」
近くにいた人が俺に話しかけた。
母さんだ。
(…夢か)
最近はあまり見なかった夢だ。小さい頃の俺の、忌まわしい記憶。
俺は辺りを見回した。右側にある窓から夕陽が射しこみ、その壁際の机の椅子に母さんが座っている。俺は柵付きの白いベッドに白いシーツを纏い寝ていた。ベッドの左の引き出しの上にある空のバスケット。壁についたいくつかのスイッチ。そして極めつけは、この場所特有の、消毒液のにおい。それらの要素を全て満たす場所、つまり今俺がいるこの場所は。
病院だ。
今俺は、病院のベッドの上で寝転がっていた。俺は何とか生きていたようだ。
「…母さん」
「どうしたの?」
母さんは身を乗り出して俺の話を聞いている。俺が助けた女子中学生のことも気になるが、俺は、それよりも遥かに重要な今一番の関心事を、母さんに聞かなければいけなかった。
「……入試って、どうなったんだ?」
「終わったわよ」
母さんはけろっと答えた。俺は片膝を抱え込んだ。
「そうか」
俺は何とも言えない脱力感に襲われる。
母さんの簡単な説明によると、俺は自殺しようとしていた中三の女子を助けようとして下敷きになり、二人ともその場で意識を失い、近くの病院に搬送されたらしい。昔からよく世話になっている病院だ。
「朔、三日間もずっと眠ってたのよ」
「三日!? 本当に!? 俺、そんなに眠ってたのか」
俺は眉をこする。
「……母さん、その間ずっとここにいたのか? 店は、どうしたんだ? 今、誰もいないんじゃないか?」
俺そう言うと、母さんはアハハーと笑って言った。
「何言ってんの、店より朔のほうが大事よ」
母さんは笑いながら俺の背中をバシバシと叩く。背中をたたくのは、母さんが照れ隠しするときの癖だ。
「入院費は? 母さん、どうやって―――――」
「それがね、お金どれくらいかかりますかって先生に聞いたら、息子さんどこの高校ですかーって言われてね」
母さんはそこで口をつぐんだ。
「この春からどこの高校ですかって、お医者さん、聞いてきたの」
そこまで言って、母さんは押し黙ってしまった。
「……それってつまり、あの……、あれだよな」
俺はわざと曖昧に言う。思うに、医者は事務的に、いつも質問している内容を繰り返しただけだろう。入院した患者が、医療費が例外的に除外される場合の患者ではないかどうかを。俺の記憶は入試日の朝から今日まで空っぽで。つまり、それが意味するところは。
「『六陵高校に入学しました』って言ったら、『じゃあいいですよ』って言われて」
母さんは遠慮がちにそう言った。そう、医療費免除は数少ない六陵高校の生徒の特権の一つなんだ。
すなわち、俺は気絶している間に、六陵高校に入学してしまったのだ。“受験失敗”という、六陵高校への入学条件を満たしてしまったことによって。
そのあと、少しの間母さんと喋り、母さんは名残惜しそうに出て行った。出ていく直前、母さんは「下の花畑でも見て……気を落とさないでね」と言った。
花畑のシロツメクサは、俺を見上げて笑っていることだろう。
◇◆◇◆
ここで、六陵高校についての説明をしておこう。俺が入ることになった高校だしな。
六陵高校の入学条件はたったひとつだけだ。ある意味、誰でも入れる高校だ。けれど誰一人、望んで六陵高校に入ってくる者はいない。それは、六陵高校が嫌な高校だ、とかそういう理由では決してない。噂では日本で二番目に設備のいい高校とまで言われている。けれど皆六陵高校には入りたがらない。
“あらゆる高校から見放されていること”
……それが入学条件だからだ。俺は全ての受験に失敗し、最後の試験には顔さえ出せなかったことで、入学条件を満たし、六陵高校に入学することになった。
金で全てが決まる時代。
“財産唯一主義”は、俺たちをひどく脅かしていた。就職や進学、教育や政治活動など、ありとあらゆるものがその人の持つ財産で決まる。その一番分かりやすい指標が“超能力”の有無。手に入れるのに莫大な資産を必要とする超能力は、その有無だけで差別の対象と成り得るものになった。
俺たちのような非能力者は、能力を持たないという理由だけで超能力者から白い目で見られる。
それがこの世界の常識に取って代わった。
1999年にパワースポットが見つかって、世界のシステムは一変したのだ。
この事態を危険だと感じた旧政府は、急遽教育基本法の一部を変更した。改正された教育基本法第四条第三項は次の通りだ。
『 教育基本法
第四条
3 国及び地方公共団体は、超能力のあるなしにかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。』
この改正の行われた2005年、旧政府は同時に義務教育を12ヶ年、すなわち小学校から高校までとし、同時に特別措置として、当時最大級の国立高校である六陵高校を創立した。六陵高校創設の目的は、学校に受験で進学できない者の受け皿とする事だ。“あらゆる高校から見放されている”者、つまり最貧民層の、高額な入学金と授業費、修学権利費を払えない子供たちのために。
お金が無く、まともな教育も受けられない子供たちのためにつくられた“救済高校”。
そう言えば聞こえはいいが、六陵高校には、絶対に避けては通れない問題があった。
◇◆◇◆
入院してから三日ほど経ったある日の夕方。俺がのんびりとテレビなぞを見ていたら、部屋のドアがコツコツと叩かれた。
「はい」
俺は返事しながらテレビを消した。俺の部屋は個室だから、俺に用があるんだろう。一体誰だ?
すると音もなくドアが開き、見た顔が入ってきた。俺の元担任の先生だ。
「先生! ご苦労様です」
俺はそう言って右の机の椅子を引いた。すると先生は首を振った。
「いや、いい。すぐに終わらせる」
俺が不思議に思い先生を見ると、先生は手をわなわなと震えさせていた。先生が手に持っていた大量の紙の束が、その振動で床に落ちる。先生は俺をギッと睨みつけ、言った。
「――――この〝罪人〟が!!二度と俺の前に顔を出すな!」
先生は手に持っていた書類の束を思い切り床にたたきつけ、ドスドスと大きな足音を立てながら個室を去って行った。書類の束を拾い上げ見てみると、俺のクラスメイトの物らしきノートや、学校から配られたプリントの束、笑顔のクラスメイトが写った写真の山があった。一瞬俺は訳が分らなかったが、その書類にある規則性があることに気付いた。
ノートにある落書き、プリントに書いてある名前、写真の隅に写った人物―――――その全てに俺がいた。
全てが、俺に関する書類だった。
六陵高校のもたらしたものは救済だけではなかった。救済と同時に、他のものももたらしたのだ。
それは、凄まじい“差別”。六陵高校の生徒はその運命を義務付けられる。
わかりやすく言えば、六陵高校は“能力の有無”の次に明確な経済的格差の象徴だ。超能力者に蔑ろにされた非能力者は、旧政府によって、さらに下の、貧乏な者がいることに気づかされたのだ。
『俺たちよりも酷いヤツらがいる』。
『なんだ、俺たちはまだいい方だ』。
それが旧政府の策略であるにしろなんにしろ、パワードによって差別されていた者たちは、さらに下である六陵高校生を差別の対象とした。
―――――――非能力者たちは、六陵高校生を、自分たちのストレスのはけ口としたのだ。