第十九話 「スレンダー」
今回はかなり長いです。都合上、その方がよかったので。
俺は先日と同じ椅子に座ったチビ男、宇治川海山に促され、先日と同じソファーに座った。向かい側にはチビ男がいてその奥に窓がありそこから陽光が射し込んでいる。俺の後ろ側の壁、今俺が入ってきた入り口のある壁と向かい側の壁以外の二面の壁には壁一杯の本棚が置かれ、本で満杯になっている。
そこまでは、昨日と全く何もかも同じだった。
けれど、明らかに異なっている事が一つだけあった。
俺の斜め右に、そこに人が座って真っ直ぐ前を向けば俺と視線が直角に交わる位置の長椅子に、制服のセーターを腰に巻いた女子生徒がいたのだ。
燃えるように赤い髪は膝付きそうなほど長く、カッターシャツのボタンは第三ボタンまで開いている。俺はその人の姿形も、見たことがあった。
入学式の日、そして部活紹介の時に、生徒会役員の腕章を着けて司会をしていた、あの女生徒だ。
その女生徒は、入学式や部活紹介の時は掛けていなかった黒っぽい丸縁の眼鏡をかけて、分厚い本を読んでいた。
「今日は何の用だね」
チビ男がそう言うと、その女生徒は音もなく立ち上がり、部屋の窓際の隅へと歩いた。見ると、ポットらしき物を使い、手に持った赤い花柄のコップにお湯を注いでいる。そうして、俺から見て右側の本棚の下の棚から、何か袋を取りだし、そのコップに入れた。
「ええと…いくつか聞きたい事があって来たんですけど」
驚く事に、チビ男は俺を追い返さなかった。俺の心がいつの間にか強くなったのだろうか。いや、その話は、チビ男こと宇治川海山が、本当に人の心が見えていることが前提の話だ。まずはそれを聞いてみようか。
「チビ――じゃない、宇治川先輩は、俺達の心が見えていたと言っていましたけど……本当ですか?」
「もちろんだ。ちょうどこの辺り」と言って宇治川海山は自分の左胸辺りを叩いた。
「ここに見える。目を凝らせば。それより君、今私をチビ、と言ったような気がするんだが――――」
「そんなことありませんよ」俺はささやかな嘘を吐く。「それより、それはどういう力なんですか?」
ふとそこで、俺にあるおぞましい考えが舞い降りた。おぞましくて非現実的な、あってはいけない状況。
「もしかして……超能力者ですか」
自然と声が震える。
いや、まさか。
超能力者がこの学校にいるはずはない。ここは、超能力者から差別された非能力者がさらに差別し蔑視した罪人の集う六陵高校なんだ。そこに超能力者がいるだなんて、そんな訳は無い。あってはいけないんだ。
六陵超百科の、六陵高校の歴史に書いてあった内容を思い出した。過去に、超能力を持ったパワードの校長が六陵高校に派遣された。校長がパワードであるという事実が広まった直後、その校長は何者かに心臓を抜き取られ、校内で死んでいた。考えるべくもなく、その校長は六陵生の手によって殺されたのだ。
この高校に超能力者が存在するというのは、この高校の生徒の全員を敵に回すことに等しい。そんなことをすれば多勢に無勢、いくら超能力を持った超能力者と言えども、あっという間に潰されてしまう。
だが、宇治川海山は、俺のそんな心の叫びを、見事に打ち破った。
「……ああ、超能力者だ」
両手を広げる。
「私もダリアも……超能力者だ」
俺はポカーンと口を開けた。驚き、というよりは、虚無感を俺は感じた。いや、有り得ない。
それこそ、自殺願望に他ならない。ピラニアの巣くうアマゾンの大河へ、血塗れでダイブしたり、高度一万メートルからパラシュートを着けずにスカイダイビングするのと同じだ。現実離れしている。無意味な挑戦だ。自殺だ。
「僅か一日でそこまで捜査するなんて素晴らしいな。もしかすると、君にも探偵的才能があるのかも知れない」
宇治川海山はそう言って微笑んだ。才能を買い被ってくれるには構わないが、そんなことを言っている場合ではない。
「それは、俺の他にも誰かに言ったんですか」
「昨日の二人には言った。何と言ったか、ソーダと、ミス・カワサキだったかな」
宇治川海山の発音は御簾川紗希ではなく、敬称を表す英語のミスの発音の御簾川紗希だったので、脳内変換が御簾川紗希からミス・カワサキへと変わる。ソーダも、飲み物のそれの発音と同じだ。
「何で俺達に、そんな大事な事を話したんですか?命が狙われるかも知れないんですよ」
そう言って俺はふとついさっきのチビ男の台詞を思い出す。『私もダリアも、超能力者だ』の『ダリア』とは何の事だろうか。
「君達なら、よくも悪くも他の人にこのことを話したりしないだろうと思ったのだ」
「よくも悪くも?」
「その通りだ」
チビ男はもっともらしく頷いた。
「何でそんなことがわかるんですか。俺達とあなたはほぼ初対面だったって言うのに」
そこまで言って俺は気づく。「それも能力ですか」
「そういう事になるかな」
その時、長椅子でコップをスプーンでかき混ぜていた、赤い髪の女生徒が動いた。女生徒は、コップからスプーンを抜き取り、俺に薄茶色の液体が入ったコップを手渡したのだ。
「紅茶、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
俺はそれを受け取り、その女生徒の顔を覗き見た。全体な印象、御簾川を大人っぽくしたようだ。眉は細長く、鼻はしゅっと通り、その長い髪は両耳をすっぽりと覆っている。ダリアとは確か、キク科の植物で、夏から秋にかけ大きく赤い色鮮やかな花を咲かせる。ダリアがこの人の渾名ならば、納得が行く。
そして長椅子に座り直し、また本を読み始めた。俺もチビ男に向き直る。
「……それで、それを俺達に言ってどうするつもりなんですか」
何だかこのチビ男の言っていることは危なっかしい。もしチビ男に超能力が無くて、誰にでもこれを言っていれば、恐らくもうこの世にはいないか、少なくともこの高校にはいないだろう。
そう考えると、やっぱりこのチビ男に超能力があるのは疑えない。
「君達を見極めるのだよ。君達が我が六陵高校推理探偵部に相応しい人材かどうかを」
そう言うとチビ男は、一枚紙を取り出して机の上に置いた。入部申請用紙だ。
「……あの時は、俺の心が弱いって言って、俺にだけこの紙を渡してくれませんでしたよね。何で今になって、俺にこの紙を?」
あの時とは昨日のことだ。チビ男が俺にこの入部申請用紙を渡さなかったおかげで、俺は三十分間、第三音楽室前の、イケメンの作曲家達の肖像画の並ぶ廊下で、御簾川と宗田さんを待つハメになった。
「昨日は、他の二人の心が飛び抜けて強かったのだ。君の心はくすんで見えた」
チビ男は目を細めた。昨日見た二人の心を思い出しているのかもしれない。
けれど、それはおかしい。と俺は感じた。鬼星人の前で啖呵を切り、夢を持っているらしい御簾川は分かるとしても、ついこの間自殺を図り、いつも怯えた様子で、鬼星人の迫力にいち早く飲まれた宗田さんが、俺より心が強いとはお世辞にも思えない。
俺はその旨をチビ男に問いただした。するとチビ男は神妙な顔をした。
「ソーダは、全てに怯えていて全てに怯えていない。そんな心だった」
これまた訳の分からない言葉だ。『全てに怯えていて全てに怯えていない』だって?明らかに矛盾している。
とにかく、とチビ男は続ける。
「我が六陵高校推理探偵部に入りたければここに署名してくれたまえ。ただしそれには条件がある」
そう言われても、俺は別にこの部に入りたくて来たのではない。ただの偵察だ。
「『自分の夢を固める』こと…これが条件だ」
「さっきから何を言ってるんですかあなたは」
段々イライラしてきた。自分の言いたいことをべらべら喋って、六陵高校推理探偵部に入るメリットを何一つ述べないまま勧誘なんて。意味が分からない。
「何を怒っているんだ」
チビ男は俺を怪訝そうに見つめる。しばらく考え込むと、何かに気付いたようにチビ男は手を打った。
「成程、君にはまだ言っていない事があったな。だから怒っているのだろう」
一体次は何を言い出すつもりだ、この男。
そして宇治川海山は迷うこと無く言った。
「この部活に入れば、君もパワードになれるのだ」
◇◆◇◆
俺は思いっきり耳を疑った。
この部活に入れば俺もパワードになれる、だって?一体何の冗談なんだ。俺に自殺行為をしろっていうのか?
「今の君に欠けている物が何だか分かるか」
チビ男は急にそう言った。鈍く錆び付いたナイフで脅してくるような物言いだ。
「いきなり何なんだ」俺は眉を寄せる。
「いいから答えたまえ、君に足りないものは何だ」
仕方なく考えてみる。俺に足りない物。それは何だ。
「財産」
「違う」
「意志」
「違う」
「友達」
「そんなものは私の預かり知る所ではない」
「恋?」
「知ったことか」
「スレンダー」
「何の事だ」
手当たり次第に言ってみるが、チビ男に全否定される。
「君だけじゃない、この六陵高校の皆が持っていない物だ」
「じゃあやっぱりお金か」
「違うと言っただろう」
そう言うとチビ男は、短い腕を組んで言った。
「超能力だ」
よく分からない。それならお金が正解でもいいと思うのだが。
「我が六陵高校推理探偵部に入部すれば、それが手に入るのだ。どうだ、入りたくなっただろう」
「まぁいい、分かりましたよ、この部活がすごいっていうのは」
俺はチビ男の話を遮る。
「だけど、それと『夢を固める』っていうのに何の関係があるんですか」
俺がそう言うと、チビ男は腕を組み直し、低く唸った。考え込むようにして強く目を閉じる。
「ダリア、頼む」
そう言ってチビ男は両手を挙げた。降参のポーズだ。
「……了解」
ダリアと呼ばれ返事したのは、赤髪黒縁眼鏡の女生徒だった。本を閉じ、「改めまして」と自己紹介を始める。
「ダリアこと、有田千鶴です。六陵高校推理探偵部と生徒会を掛け持ちしてます、十六歳乙女座B型、二年G組出席番号一番、有田千鶴です」
透き通った声が心地よく、全身に溶け込んでいく。ダリアさんの顔を見ると、入学式の時と同じく、目を閉じていた。
「あの……どうかしたんですか、目」
俺は気になり問う。
「あぁ、ごめんなさい」
ダリアさんは目を開けた。眩しそうに二、三回瞼を開閉し、俺の方を向いた。
「観念論を知っているかな」
それは突然の問いかけだった。俺は何のことか分からず首を振る。
「簡単に言うと、私達の住むこの世界は、精神によって成り立っている。世界中のありとあらゆる物質は、精神によって創られているという考えなんだけれど、最近その考えが発達してきたの。精神によって生まれる物質の研究が盛んに行われるようになってきたのね」
ダリアさんはまた瞼を下ろした。
「観念論によれば、この世は精神によってつくられている、と定義されている。だけど普通は、それは違う、と思う人が多いはず。だって、自分の身の回りにあるカバンや筆箱や、自分の手や足や髪の毛や、遥か彼方に見える雄大な景色だって、精神なんかじゃなくて、確かにそこに存在している物質だもの。もっと言えば空気だって、見えこそしないけれど確かにそこに存在している。実体があるもののみが、この世界には存在する。逆に言えば、実体の無いものはこの世界に存在していない」
俺は気が遠くなってきた。
「だけどその常識を覆す決定的な発見が、1999年12月31日のアメリカであった。それが、『超力場』。実体は無くても人々に超能力を与え、空間として存在している。その存在の不可思議性は、すぐに世界各国で論議されたのね。そしてそこから生まれた考え方が、『パワースポットは精神によって創られた』という説。一般的に、パワースポットの出現位置には規則性は無いと言われているけれど、実はある規則性がある事を、その学者は発見していたの。その規則とは、『意志の強い人が集まる場所』」
次々と矢継ぎ早に繰り出される新情報に、俺は溺れそうになる。ここまでの内容が分からない人は、ダリアさんの自己紹介くらいからもう一度読んだ方がいいかもしれない。
「だからその学者は、パワースポットが、人々の意志によって創られたものであると結論付けたのよ」
ダリアさんはそこで話を終わらせた。チビ男の方を見ると、困ったような顔をしている。
「……で、それがどう『夢を固める』ことに関係があるんですか?」と尋ねる。
「この世界には、共鳴するものがいくつかある」
ダリアさんが口を開いた。まだ目を閉じたままだ。
「音とかの振動や、重力や、『ツー』と言えば『カー』と言ったり、『阿吽の呼吸』なんかもそう。パワースポットもその内の一つなのよ」
そこでダリアさんは目を開けた。今度は眩しがる素振りを見せず、俺を真っ直ぐに見ている。
「同じ音の音叉が共鳴するのと同じように、パワースポットは人の心と共鳴するの。強い意志を持っている人だけが、超能力を手にすることができる。ちょうど、大きな声を出せば、それに見合う谺が帰ってくるのと同じように。ただパワースポットに入るだけじゃ、人は超能力を得られない」
そう言えば、『戸籍超能力者』と呼ばれる超能力者の話を聞いたことがある。パワースポットに入っても超能力を手にすることが出来なかった、戸籍上のパワードのことだ。そう言う人達は、パワースポットに入ってから何年か後に超能力に目覚めることが多いらしい。その人達は強い意志を持っていなかったということか。
「……だから夢を固めろなんて言ったり、比較的心の弱い俺を弾いたりしたんですね」
チビ男は無言で頷く。
「だけど、まだ分からない事があります。全然分からない事が」
チビ男が目線を上げ俺を見る。ダリアさんも俺を見た。俺は息を飲む。
「俺達を超能力者にする意図は何ですか。それが分からない限り、俺はこの部に入ることはできません」
一瞬の間を置いて、チビ男が答えた。無邪気に目を輝かせて。
「六陵高校を護るためだ」
そう言えば、昨日の朝俺と宗田さんがこのチビ男に会った時に、同じようなことを言っていた。
「救世主、でしたか。あれはどういう意味なんです」
「六陵超百科を見れば判るだろう。我が六陵高校推理探偵部は、六陵生の手助けをする部活だ。時には他校の者達と闘わなければならないような依頼が舞い込むこともある。そんなときは、私達がひっそりと闘う他無いのだ。私達は六陵高校の救世主でありながら、誰にも気付かれない正義になるのだ」
チビ男が言いたいことは分かる。六陵高校のお手伝い係の推部は、六陵生では太刀打ちできない相手に、六陵生にバレないよう闘う必要がある。バレてしまえば、次は自分が襲われる番になるからだ。
そう言うチビ男は、誇らしげだった。まるで自分が世界を救うヒーローであるかのようだった。
「今の君は意志がまだ弱い。そうだろう? だが、君には素質がある」
何の素質ですか、と聞くと、夢を持つ素質だ、と答える。
「君は今はまだ、確実に超能力を手に入れられる段階ではない。だから、自分に強い意志がある、と思った時に、また戻って来てくれ。その時にこの紙に記名してくれればいい」
「……もしも、仮定の話なんですが」
俺は疑問をぶつける。もしそうなった場合、一体この部活はどうなるのか、気になってもいた。
「俺が今日ここで聞いたことを、六陵高校中に触れ回ったら、どうなるんですか」
六陵高校推理探偵部には超能力を得た者がいる。
俺がそう言って回ったらどうなるのか。
「君はそんなことをしたりはしないだろう。君の心を見れば分かる。まぁ、もし君がそのような事に及んだ場合は―――――」
そう言ってチビ男は不気味に笑った。
「―――――私達が君を殺して、終わらせる」
その目は本気だった。
◇◆◇◆
「外部にバラせば、私達が殺す。それでもよければ好きにするがいい。その事も含め、それでもパワードになって、この部に入る覚悟が出来た時に、またここに記名しに戻って来たまえ」
ダリアさんは静かに本を読んでいる。窓からは、夕日が射し始めた。
「私、寝るね」
急にダリアさんはそう言って本を閉じ、立ち上がって腰に巻いたセーターを解く。セーターはかなり厚手のものだったらしく、それを解くとダリアさんの腰のラインが、くっきりと浮き上がった。俺は言葉を失う。立ち上がったダリアさんは、ひどく魅力的に俺の目に焼き付いた。
なぜなら、そのラインを一言で形容するとするなら――――
スレンダー。
で、あったからだ。
ダリアさんは長椅子に横になると、セーターを被ってすーすーと静かに寝息を立てた。一瞬で眠りに落ちたのだ。
「スレンダー」
俺は知らない間にそれを口に出していた。スレンダー。スレンダー。
「俺はスレンダーが好みだ」
はっ、とそこで俺は正気に戻った。自分の両手はいつの間にかダリアさんに向かって伸びている。
危ない所だった。一瞬遅れていたら、眠り姫を起こした王子のごとく、俺はダリアさんに接吻をかましていたかもしれない。皆、俺を変態だと思うかもしれないが、決してそうではない。眠っているダリアさんは、痺れるほど魅力的だったのだ。
これ以上この教室にいては危ないと思い、俺はすっかり冷めきった紅茶を飲み干して第三音楽室を後にした。
冷めていようと、ダリアさんの淹れてくれた紅茶は格別に美味しい。何故だか俺は、そう感じた。
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